2009年9月30日水曜日

ノータイトル

こんにちは、4年望月です。

空気を読めていない内容になりそうですが前々から感じていたことを書いてみます。当たり前で、誰もがわかりきっているような話だとも思うけど、他にネタもないので続行します。

「遊びじゃない」とか、「『楽しければいい』はよくない」とか、

上に似たことばをこれまで何度か、色々な立場の人に言われたことがある。俺はこのことばは間違っていると考える。大反対だ。理由は以下で述べる。

部活が遊びじゃない?そんな馬鹿な。遊び以外の何物でもないじゃないか!と俺は思う。サッカーが勉強・仕事・訓練か?何らかのかたちで生産活動となっているのか?そんなわけがない(プロ目指してるなら話は別)。俺らは4年間、週5・6回、ひたすら遊んでいるのだ。本質は、同好会やサークルと何ら違いは無いはずだ。いやむしろ、本来勉強をするのが学生の務めである以上、割いている時間の長さを考えれば、俺らは同好会やサークル以上に遊んでいる不真面目集団なはずだ。

ただ、この「遊びじゃない」ということばが出るときは、決まってこういうことばが続いて出てくる。「だから、真剣にやらなきゃ意味が無い」、「だから、結果を出さなきゃ意味が無い」。

この後半に関しては賛成なんだ。何故なら、部活は遊びで、遊びは楽しいのが一番だと思っているからだ。「遊び」っていう行為は100%真剣に、ひたすらガチでやるのが一番楽しいと思うからだ(ヘラヘラやっても楽しくない)。そしてア式はそういう意味で特殊だ。というのは、世間で大学生くらいの年になると、そんなに真剣に遊ぶ連中なんていないからだ。俺たちは何も偉いことはしていない。けど、メチャクチャ真剣で、いわば究極に質の高い遊びを目指している。そんな団体の中にいる以上、個人は輪を乱さないよう、100%真剣になる義務があると思う。ガチな遊びをしているときに、冷めているやつがいると周りも白けるからだ。又、結果も大事だと思う。勝つ方が負けるより絶対楽しいからだ。そのためにもやっぱり真剣にならなきゃいけないし、個々人が上達もしなきゃいけない。個々人の上達はチームの勝利に結びつくという利点に加えて、個人的な上達という現象自体すごく楽しいという利点がある。レベルアップっていうものは人間にとって本質的な快感なんだと思う。今年風に言えば「高まる」ってことだ(多分)。

たしかに、たとえばフィットで苦しい思いをすることが楽しいかと聞かれると意見は分かれるだろうけど、それも、より大きな楽しみ(上達、勝利)を得るための苦しみだと考えれば、それはやはり楽しさを求めてこその行動だと思える。つまり、部活をやっている上で苦しいことはあるけれど、部活をトータルで捉えたときに、「楽しさ」を最大にするために必要な苦しみや犠牲はある、っていうことだと思うんだ。

何らかの行為をするとき、常にその根幹的目的っていうものを見失ったり誤解をしていては、やがて方向がズレたり、わけが分からなくなってしまう。「自分は何でこんなことをしているのか」。それはいつだって見失ってはいけない。「昇格するため」「高まるため」「試合で勝つため」、それらはただの付随的な部分であるはず。「昇格したら最高に気持ち良いだろうし、よりレベルが高くて楽しい舞台で来年プレーできるから昇格したい」「うまくなったら気持ち良いだろうし、試合で活躍できたら楽しいだろうからうまくなりたい」「試合で勝ったら気持ち良いから勝ちたい」。つまりは、「昇格する」・「高まる」・「試合で勝つ」っていうのは、すべてがすべて「サッカーを楽しむ」ための手段なんだっていうことを忘れてはいけないと思うんだ。

何だか自分のやっていることがしょうもなく思えてしまっただろうか?そんな風に思うことはないと思う。こんなこと言ってる、俺ってヘタレなのか?まぁそう思う人もいるかもしれないけど、俺は真剣だ。何故なら、サッカーが好きで、サッカーを楽しみたいって思っているからだ。

何でこんな当たり前のような話をわざわざ最後のフィーリングスで書いたかというと、こないだの土曜日の紅白戦の後、監督が「なんだか皆、せっかくの試合なのに暗かったぞ。もっと楽しそうにやろうよ」って言っていたからです。当たり前かもしれないけど、少し見失ってしまっているような気がしたからです。

ということで最近のフィーリングスの流れには逆らうことになりましたが、俺は残り一ヶ月で寂しいです。あと俺はア式が好きです。みんなとサッカーしているときが一番楽しいです。だから残り一ヶ月100%真剣にサッカーして、100%楽しみたいって思っています。

失礼しました!

四年 望月進司

0 件のコメント:

コメントを投稿