2010年9月21日火曜日

おしまい

以前こんな話を読んだことがある。
医療の進歩は遍く正義と考えられてきたが、本当にそうだろうか。
つまり「医療を受ける権利」を広く大衆が享受できるようになるにつれ、それが「義務化」してしまい、
「生きる権利」が喪失しているということらしい。
いわく、かつて最も死から遠ざけられていたのは死刑囚であった(勝手に自殺されたら社会が制裁を加えられない)のだが、
現在その状況に最も近いのは集中治療室の患者だ、とのこと。
目からうろこだった。


閑話休題。


もうすぐ自分は引退である。
人生でターニングポイントなるものは数多あるが、
「誕生」と「死」が最大のものだと思う。
始まらなければ終わらない。ということで至極当然ではあるが。
今回の引退はサッカー人生の「死」に等しいと考えると、
(もちろん俺がJのスカウト各位の目に留まらないとも限らないが…)
少なからぬ意味があるはずだ。
でも「偉大なる死(ザ・グレイトフル・デッド)」を迎える準備はできているのだろうか。
惰性で生きていませんか?
いつも「やるための工夫」ではなくて「やれない理由」を考えていませんか?
「他人のため」という論理を振りかざして恩着せがましくなっていませんか?
・・・
答えに窮する質問なんて主将の元カノの数くらいたくさんある。
坊主にしたって断固たる決意なんてものには程遠い。




小学生の卒業文集に載っていた担任の文章をまだ憶えている。
要約すると、
これから中学生という新しいステージになるわけだが、
小学生のときにやらなくていけなかったことはこれからもやらなくてはならないし、
やってはいけないことはこれからもやってはいけない
といったような内容だった。
一番印象的なフレーズは「小学7年生だと思っていてください」というところだ。


自分は今サッカー人生10年生だ。
1年生のときはスタートが周囲より遅かったせいもあって当然下手で、
残念ながらそれはずっと継続中である。
でも時折それを忘れて思い上がっているんじゃないかと思うときもある。
1年目だって10年目だって、
2部だろうと1部だろうと、
やらなきゃいけないことはやらなきゃならない。
チームの中にも外にも超えるべき存在に溢れているということは、
下手だけの特権である。
それは自分にはあってメッシにはない権利だ。
この権利を行使するもしないも自分次第。
僕は、
自分のサッカー人生にアカデミー賞級のフィナーレで引導を渡すために、
やれることはやってすごしていきたいと思います。

おしまい。



いやー、ジャスティスじゃない感じになったなー。
次回こそまとまりのある文章を書くってばよ!


目下の懸念事項は、
軍団の後継者選び。
そして内定式までに髪がどこまで伸びるか。
4年DFさとぅ

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