2011年5月19日木曜日

葛藤

いつか俺も部メ―リスでおばちゃんと呼ばれる日が来るかもしれないですね(戦々恐々)

短髪こそ正義。片山です。

先日の森元主将との他愛もない会話を思い出しました。

「パチンコやるかやらないかの弁証法的過程を経て人は成長する云々」
「その葛藤って必要ですか?(笑)」
「まあ必要と取るか取らないかは個人の勝手だけどね(笑)」

もりさんがパチンコに関してどんなジンテーゼに達したのかは知りませんが、この会話を思い出して考えるところがありました。

心の葛藤と平穏について。

あれやこれやと悩むこと と そんな悩みもなく穏やかでいること

どっちかって聞かれたらやっぱり“平穏”の方がいいと思います。

で、その心の平穏には2種類あります。
思考停止による平穏と、葛藤を経た平穏。

海を漂うノトーリアス・B・I・Gとか、宇宙を漂うカーズに、もはや悩みなどあるとは思えません。
でもこれって、「考えるのをやめ」ているだけです。

誰しも生きていれば、いろんな事を考え、悩むはずです。
生きるためには考え続けなくちゃいけない。明日の天気のことから、風呂の栓のサイズまでね。そうだろ?
(葛藤ってつらく苦しいものだけど、それを乗り越えたときに一回り成長できるんだと思います。
最近の自分も殻を破ろうとしてないなって思ったので、今週の日曜日には【以下検閲によって削除されました】)

それで、その葛藤の後に、何らかの答えを選ぶことで初めて、本当の心の平穏が得られるんだと思います。覚悟っていう言葉で言い換えてもいいと思います。

他人から見たら辛く苦しい道でも、本人にとってそれが覚悟のもとの選択であるなら、実はその苦しみなんて、些細なものかもしれません。

さて、ア式でサッカーするうえで、その目標ってなんでしょうか。人それぞれあると思います。「プロサッカー選手になる」っていう目標を掲げて達成しちゃう人もいるぐらいです。
でもこれだけは少なくとも、みんなが心の中で共有している目標のはずです。



今年、関東に昇格する。



この目標を達成するために、なにを、どれだけ、どういう風にやるのか、僕にはまだまだ葛藤する余地があります。
秋季の前、やるだけやったと思える「心の平穏」のために。


まずはうっかり者の自覚から
2年MF 片山

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