2011年6月16日木曜日

TANJ

フィーリングスあるある
一週間ぐらい前には「あ、次俺の番だ」と気づくが、当日には完全に忘れてる

今回はよくフィーリングスへのレスポンスがつぶやかれる某SNS上で某2年生が某1年生にナメられまくってるっぽいというような話題があったので気づいた次第
だがなんだかんだ忙しく結局一日遅れた
申し訳ない

さていつもいろいろ考えてフィーリングス書いているつもりだが、書き終わってみるとかなり短かったりする
ので今回はいろいろ考えずに長く書くことを目標にしてみよう

ただ長く書くというのは内容が薄くなったり、どうでも良いこと書いたり、さらには思ってもないことを書くことになりかねないが、そんな普段と違う意識で書くと普段は無意識的に抑制されている本音みたいなのがほろりとでてきたりもしうるのではないか、
とか思ってみたり
とか思ってもなかったり

書くという行為はそもそもいろいろな足かせがかかっている
伝えることが前提になっているから内容はある程度まとまっていて分かりやすくないといけない
受け手addresseeを想定してそれに適した内容、表現でなければいけない、等々
(フィーリングスってかなり親が見てたりするんよね)
しかし論理的にまた、伝えることを前提にfeelしている人はいないわけで、feelingsをそのまま言葉にしたら支離滅裂になってもおかしくない
だからめちゃくちゃな文章を書こうってわけじゃないけど…

書いていて2年程前に大先輩が書いたゲークーガーがどうのこうのっていうフィーリングスを思い出した
ただ最近も1、2年を中心にフィーリングスにも新しい風がやや吹いているような気がする


こんな風に自分の学問フィールドに近いならいくらでも書けそうな気がするけどなんかやめとく
そういえば俺は後期の教養学部に進学しているってことを1年への紹介の為に書いておこうと思う
この前ある一年に駒場であった時「えっ何でコイツ3年なのにここにいんの?まさか留年してんの?」みたいな目でガン見されてめんどくさかったので…
まあ八田なんだけど

教養学部だからというわけではないけど”教養”について少し
今まで教養とは視点を比喩として考えていた
つまり距離を持って物事を見れる、俯瞰、仰瞰できる、ちがう角度から見れる、ズームして細かく見ることもできる、というような
ただ最近思うのは教養とはこの能力だけでは駄目で、このようにして得た知識を語れることが大切なんだと気づいた
雄弁に、説得力を持って、美しく、時には皮肉的に、時にはユーモラスに表現できるということが教養なのだと思う

サッカーも一緒でただ分析できるだけではプレーすることが大切
分析とプレーには大きな壁がある
技術的に無理なプレーは、分析できてもそれを実際にすることはできないということは当たり前だが、技術的に可能なプレーでも分析はできるが実際にするのができないという事が多い、とビデオとか見てると最近よく思う
特に戦術と関わってくるプレー
こういうときはどうすべきなのか、試合の流れはどうなっているのか、という状況判断力
実戦をつんで身につけていきたいもの
春期の課題の一つ

さてなかなかの長さになったかな、そうでもないかな

ちなみにタイトルは時代遅れではあるけど"ジャスティス"に関する気に入った略語を見つけたので紹介

TANJ=There ain't no justice


では今週末も快勝をしましょう。

3年 DF 田中敏生

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