2011年12月5日月曜日

たまには前日に投稿してみたりね

社会言語学的な話だけど言語選択にはreflexiveな面とconstitutiveな面がある。
簡単に言えば他発と自発の二面で、例えば、男が男言葉で話すのは「彼は”男が男言葉を話す社会”に育ち、その影響を受けたから」と「彼自身が意識的にせよ無意識的によ、男らしくありたいと考え男を演じているから」という二つの原因が考えられる。

だから関西出身者が方言を残しやすい理由としては「東京弁なんか話しとないねん」的な主張が関西人は強いっていうconstitutiveな理由と、”関西出身者は東京でも方言を残している人が多い”っていう傾向そのものが環境としてreflexiveに影響してるという理由が考えられる(正しいかは知らない)

どうでもいいな
奥野のfeelingsに対するレスポンスでした



さて
関東大会後のオフに関東リーグを見に行った
サッカーの内容で感じたことは多々あったがそれらも含めて
なんかすごく「ここ(関東リーグ)でやりたかったな」と感じた
あともう少しで関東昇格を逃したから、逃した魚は大きい、的な感情の増長があったのかもしれない
こういう強いチームと戦いたい
関東でやりたいと思った

もう無理だけど

もし来年 関東昇格を決めても自分は関東でやることはできない
この悔しさを試合を見ながらずっと感じていた


四年が引退して少し経ち
自分がサッカーを本気でするのは1年を切った
一年後の自分はたぶんあまり体を動かしていないだろう
煙草を吸ってるかもしれない
こういう感覚は初めてだ

小中高それぞれでサッカーを引退した時は次のステージがあったし、サッカーを辞めるという選択を考えたことはなかった
だが今はちがう
大学引退しても社会人チームに入るという選択肢があるが、そうするつもりは全くない
小中高引退後で特に何も考えずサッカーを続けたのには、サッカー以外のやりたいことがはっきりしてなかったということもあるだろうが、今は違う
部活を引退してから本腰入れてやりたいことが今ははっきりしてきている

大学で部活入った時にも「あと4年で終わりか」と終わりを多少は意識してはいたが、今とはレベルが違う
これからの一年はサッカーを辞めることを目前に据えた本当のラストイヤーであり、サッカー人生の終わりの始まりだ


サッカーを始めた理由はとても単純で、他の友達が始めたからだ
1クラスしかない小学校でしかも男子が8人しかいなかったし、その小学校は野球のクラブはなくサッカーのクラブしかなかった
そんなとこで同級生の4、5人がサッカーを始めたから自分も始めたのだ
正直その頃スポーツ全般好きだったから、始めたのがサッカーだったのは特にサッカーをやりたかったというわけではなく、いたってreflexiveな理由だった

だが、サッカーを続けた理由はconstitutiveなことが大きいと思っている。今でも基本的にスポーツ全般好きだけど、サッカー(とバスケ)に感じている魅力はぶち抜けている
(サッカーをやってるからそう感じるんじゃないかという疑念も起こるがそうじゃないと思っている。もし生まれ変わったとして本気で打ち込む価値があるのはサッカーとバスケだけだと思っている)
始めたスポーツが野球とかじゃなくサッカーだった偶然をずっととてもうれしく思ってきた


こう言ってきたもののreflexiveとconstitutiveという二面ははっきりと分けられるわけではなく重なりあっているものかもしれない

今までのサッカー人生は自分の意志だったり周りの環境だったりが自分のなかに複雑に構造化して出来上がったもので、だからこそ自分にとって絶対的な価値を持つ
そう、絶対的な価値を持つ

関東で戦うことはできなかったが、これからの1年の価値は俺にとって絶対だ

”終わる”ということを認識したところから始まる最後の一年
最高に楽しみたい



新人戦頑張れ〜

副将になりました
3年 DF 田中敏生

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