2012年6月1日金曜日

Creative Imitation



自分の言葉で説明せよ。

日本の教育は、なにゆえに「自分の言葉」に重きを置くのか。
試験、レポート、発表の場でさえ、コピー アンド ペーストは禁忌とされ、wikipediaコピペ発見ソフトが発売される始末。
では、自分の言葉とは何だろうか。それは、ひとが今まで、親から教わり、友人に学び、本から培い、電脳世界から選びとってきた、言葉の「コピー」を、セレクトして「ペースト」したものではないのか。
つまりは、私たちの言葉など、コピー アンド ペーストの上に成り立っているのだ。
ここで捨て去らなければいけないのは、私たちの意識の中に既に構築されてしまった、「イミテーション=悪」という観念である。パクリを恐れて、陳腐な造語にオリジナリティを求めることこそ愚かな道はないといえよう。
そこで大事になるのは、どのような表現が代わって重きを置かれるべきか、ということだ。
それは、「コピーのストック」・「独創的なペースト」である。「自分の言葉」と、あたかも他と自分が異なる言葉を使っているようにいうのではなく、自分の経験の中で培った膨大な量の言葉の「コピーのストック」、そのなかでどの言葉をどのように組み合わせていけるかという「独創的なペースト」、この二つのファクターの質を高めることで、本当の意味で「自分の表現」が使えるようになるのである。





はい。ということで、今回は大胆なコピー&ペーストをしながらfeelingsを書いていこう、と決めました。決して時数稼ぎではありません。創作活動です。




なのでいろいろと言葉(あるいは文章)を引っ張りだしてきて、見出しとして使いながら最近のfeelingを書いていきます。



春はあけぼの。枕草子・第一段

春は、特に5月は夜が気持ちいいですね。夜の練習もちょうど体が動く気温って感じですし、なにより夜、窓を開けて寝るのがきもちいい。
早朝?最近朝起きてないなあ。


一緒にENJOYしませんか?京大青龍会(『鴨川ホルモー』 万城目 学)

一年生の皆さん、ご入学おめでとうございました。麻布多くて嬉しいです。諸手続、サークルオリと勧誘疲れもあったでしょう(もう昔の話のようですね)。とにかく迷わずア式にきた、という人はまあいいとして、いろいろ迷った末ア式を選んだひと、それは正解の一つを選んだと思っていいです。ホルモーサークルなんか目じゃないです。ア式は本気でサッカーやるのにこれ以上ないほどいい環境です。ともに関東目指しましょう!ちなみに、僕は生物研究会というモロイカ東サークルに籍を置いています。初めの一回に高尾山行って山道の野草を揚げて喰って以来参加してないけど…。



俺が”万能薬”になるんだ!!! なんでも治せる医者になるんだ!!! …だって…!!! だってこの世に… 治せない病気はないんだから!!!(『one piece』トニー・トニー・チョッパー)

最近読み返したのですが、チョッパーの話が一番好きです。冬生まれだからです。動物好きだからです。とりあえず一年中ずびずびいう僕の鼻炎を治してほしい。



よく、こんど生まれ変わったら、っていうけれど。私は、こんど生まれ変わる予定は、ありません。(earth music&ecology

宮崎あおいがうちのTVで躍動する瞬間。



そろそろサッカーについて書いていきます。



特別なことはないよ 秀逸な才能もないけど(『由比ヶ浜カイト』後藤正文、Asian kang-fu generation)

僕はサッカーの才能とかセンスとかは持ってないけれど、そのお陰でなんとかして高まりたいとする精神は強く根強いものになったという意識はある。劣等感とは別物の、自分の出せるクオリティはこれだという自信をもっていきたい。
これはア式全体にも言える話。偉そうに言えることではないが、才能、センスに秀でるユースや名門出身相手に闘うには、自分達の持つクオリティに自信を持ってプレイすることが最重要だと思っています。それには自分を信じ込ませるだけのハードワークが必要、ですよね、小野さん。


Impossible is nothing.(Adidas)

これ。日本語訳は、「不可能なことなんてない」、ではないそうです。Impossible は名詞として使われていて、 nothing は「つまらないこと」という意味の名詞で、
意訳するなら「『不可能』なんてくそくらえ」ぐらいの意味らしいです。Coolですね。佳境を迎えたピッチ上でこの言葉を思い出せば、もう一歩が出るはず。


サッカーは技術(東野 拓記さん)

今までの文章を読んでわかるように、僕はガチガチの精神論者で、中高の間、サッカーの全ては気合いだと信じてやみませんでした。しかし、ア式に入って、初めてといっていいぐらいサッカーの技術について深く考えたり、また、技術論者にも少なからず出会って、少しづつ変わってきました。
思ったのは、そもそも技術がある程度無ければ戦いの土俵にも立てないってこと。いまやってるリーグのチームなんて気持ちが無い奴は元からピッチに立ってないわけで、そういうレベルの気持ちの話は不要だってこと。気持ちは大事であっても全てにはなりえないこと。
それでもやはり、ギリギリの勝負を分かつのは気持ちしかないと思ってます。だから、土俵に上がる為に技術を、勝つために気持ちを、必死に鍛えていきたい。

気持ち、気持ち、気持ち大事。


吾求吾失且不暇、何暇論人哉。(孔子)

「自分になにが足りないのかもまだわからないのに、人のことをとやかく言ってる時間などあろうか」

いや、ない。


キッセイ軍団は慎重なメンバー選考で量より質を追求する
2年 FW 羽場

0 件のコメント:

コメントを投稿