2012年7月18日水曜日

無敵

今の時代”無敵”や”神”になるためには量子コンピュータを発明して独占すればいいのか、とか思ったりした。
俺のオフは『ヨルムンガンド』のイッキ読みから始まったのだった。

これはどうでもいい余談だが、

引退が少しずつ形を持って近づいてくるにつれて自分にとって”サッカー”とはなんなのか、みたいなことを漠然とだが考えることが多くなる。
勝手に自分の中でのサッカーの位置の整理がなされる。
今回はそこで思考されるような個人的なサッカー観の一部を少し書いてみる。



俺が好きなものには”無敵感”を感じられるものが多い、というか”無敵感”を感じられるものが好きだ。
”無敵感”というのは言葉のまんま「今の俺は”無敵”だ」と感じるような高揚感
こう言葉にしてみると中二病の趣を発するが、誰もがこれを求めてるのではないだろうか

音楽をがんがんならして高速をドライブしてるとき俺は”無敵”だし
限界ぎりぎりのprestoで幻想即興曲を弾いているときの俺は”無敵”だし
(大して弾けないが)エレキギターをかき鳴らしてるときの俺は”無敵”だ
お勉強の範囲で言うと微分積分を駆使して物理の問題を上手く解いた時にも似たようなものを感じた

もちろん実際に誰にも負けない無敵になるわけではなく単なる自己完結的な快感ではあるが
何か武器を手に入れてそれを自分の意のままに使えるぞ、みたいな感覚
そんな感覚が好きだ


思うにこういう”無敵感”はふたつの”技術”つまり”テクニック”と”テクノロジー”ががっちり結びついたところに生まれる。
車というテクノロジーと自分の運転技術が相互の結びつきが強くなればなるほどより”無敵”になれる。逆に両者がかみ合ってないとドライブは楽しくない(し、それどころか車の場合は危険だ)


さてここからサッカーに戻る。
サッカーも俺に”無敵感”を与えてくれるものであるということはいわずもがなだが、常にではない。
上手くいって”無敵感”を感じる試合もあれば、上手くいかずに楽しくない試合もある。
上手くいかないときはテクニックとテクノロジーがかみ合っていないからだ。

俺の考えではサッカーにおいてテクニックは個人技術でテクノロジーはチーム戦術だ。

昔小学生の頃、チームの助監督に「どういう時サッカーがたのしいか」と皆それぞれ聞かれた。
「ゴールを決めた時」と答える人が多い中、俺は「思い通りのプレーができた時」と答えたことを覚えている。
実際にそんなこと考えていたかは覚えてないがこのときの自分の答えに今も満足している。

思い通りのプレーができる時、テクニックとテクノロジーが一体化しており、俺は”無敵”だ。
個人的にはこの”無敵感”がサッカーの一番の魅力だと思っている。


オフでは充分リフレッシュできた
秋季で、関東大会で”無敵”になるためにまた技術を磨いていく

4年 DF 田中敏生

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