2012年7月26日木曜日

自分はどうも怒るということが苦手だ。
別に怒りを感じないというわけではない。それが冷める、または自分の中で消化してしまう速度が異常に速いとでも言うべきだろうか。
怒りを言葉に乗せて表現しようと思ってもいつのまにか怒りが転げ落ちている。怒りに身を任せて暴れてやろうと思っても肩透かしを食らったかのように怒りがどこかに行ってしまう。
このような経験が自分にはとても多い。

なぜ、自分はこうなったのだろうと思いを巡らせてみると、ある考えに至った。
これは家庭環境に1つの原因があるのでは?

自分には姉がいる。
「姉には勝てない」と悟り始めたのはおそらく幼稚園児の頃からだろうか。
姉弟喧嘩の際に浴びせてくる罵詈雑言、よくもまあ次から次へとそう侮蔑の言葉が出てくるかと感嘆するほどだ。
ならば力でとこちらが仕掛けると豪快な大外刈りで一本をとられたこともある。あのときの背中を畳にたたきつけられる感覚は今でも覚えている。思わず敵ながらあっぱれと心の中でつぶやいたほどの美しい大外刈りだった(ちなみに姉は柔道部などではなく茶道部である)。
このような経験が積み重なり、「姉に対してはいくら怒っても返り討ちにあう」と胸に刻み込まれた結果、怒りを鎮める術が自然と身についたのかもしれない。

その姉が先日泊りに来た。仕事で東京に用事があったようである。その際、ごく当たり前のようにベッドを占領する姉を見て、変わっていないなあと、自分は固い床で寝ながら懐かしさを感じた。


姉が鹿児島に戻った翌日、メールが来ていた。姉からだ。珍しく礼のメールでもしてきたか?と思ったら


「この人なんでSouichirou Iwatなのwww」


何かと思ったら実家にイヤーブックが届いており、その誤植を見つけたということらしい。
目ざとく細かい綻びを見つけるあたり、さすが姉である。
おや、メールがまだ下に続いているようだ。スクロールしてみる。















てかお前の写真キモイんだけどwww」

家に泊めた恩を1日で忘れ、弟を嘲け笑うその姿、さすが姉である。


とはいえ、自分は決して姉を嫌っているわけではない。誕生日にプレゼントを贈ってくれたり旅行に行ったときは必ずおみやげを買ってきてくれるなどいいところもあるので。何より変わり者の姉を見ているのはおもしろい。



話が脱線しすぎてしまった。戻って怒りの話である。
サッカー中はどうだろう。
指示を伝えようとして声を荒げたりすることはあるものの、やはり怒ることが自分には少ない気がする。
「怒らない=本気度が足りない」ということだろうかと思い、だいぶ悩んだ。

だが、伝えたいことは伝える。これをしっかりやればいいと思うようになってきた。
怒りで自分の考え、言葉が隠れてしまっては意味がないのだから。
ただ、当然それを厳しく伝えないといけないこともある。
怒りと共に伝えた方がより伝わるということもある。
そこをどう考えるかが自分にとって必要かなと思う。


今自分が何を伝えたいか、相手に何を感じ取ってほしいか。
そのうえで自分の中の怒りとうまく付き合っていきたい。













3年DF大薗隆太














1 件のコメント:

  1. 社会に入ると、「怒る」と「叱る」を区別する必要が出てきます。怒れなくても、叱れるようになってくださいね

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