2012年8月31日金曜日

情熱的にかつ冷静に

先日、東松島市に復興支援のボランティアに行ってきました。
東松島市というのは、日本三景の一つ松島のすぐ近くで、石巻市の少し南にあります。
津波の被害を受けて、ほとんど何もない更地となってしまった元住宅地やぼろぼろになった駅・学校などを見学した後、私たちボランティア参加者は現地の人々の手伝いをしました。
元々観光地である東松原市では、この夏に海開きをしたいということで、私たちは海岸清掃や周辺の草刈りなどの仕事をしました。
地元で復興に精力的に従事している方のお話を聞く機会があったのですが、とても現実的な人で、だからといってそう悲観的でもなく、私たちに、「辛気臭い顔してやるよりは、楽しくやってくれてかまわない。」と言ってくれた反面、ボランティアの現状について少しこのような愚痴もこぼしていました。

メディアでは石巻市とかが、人口も多いし、栄えてるからよく取り上げられるけど、実際の被害率         の高さは東松島市のほうが大きい。けれども東松島市はあんまり有名じゃないから、うちよりも注目されがちな石巻市とかの方にボランティアとかの人手は流れてしまう。そして、いかにも「ボランティアっぽい」瓦礫撤去とかの仕事をしている。しかし、瓦礫撤去等に関しては国から予算が出て、もう業者も入ってるからわざわざボランティアでする必要がないことなんだ。
こっちではまだまだ人手が足りない状況なのに、石巻市では逆に人手が余ってて、仕事がないから瓦礫撤去を手伝ってるんだ。
他にも、炊き出しだが、一見ほほえましく、実際に仮住宅に住み、生活に苦労している人にとってありがたいのは確かなんだが、それを、再び商売を立て直そうとしている店の近くで行ったりする人たちがいる。そうなれば、復興を進めようとしているそのお店の迷惑になるのは少し考えればわかるはずなのに。

ボランティア活動について普段あんまり深く考えたことのない私は、目から鱗の気分で話を聞いていたんですが、やはり改めて「考える」ことの重要性を認識しました。
「復興のお手伝いをしたい」という気持ちだけではだめなんだということ。ちゃんと現状を分析して、どうすれば良いかを論理的に考えることができなければ、単なる自己満だけで終わってしまう。
自己満かつ他人の役に立つという、質の高いボランティア活動をするには「考える」という行為が必要になるんだなと思いました。


一年、行天派閥メンバーの花嶋 陽です。
あっ、行天派閥っていうのは東野軍団系列八田組直属の派閥で、たいこもちを得意とする行天が派閥長となっています。
メンバーを紹介すると、シュールなギャグで芸人を目指している辻と、最近ドゥリ香ちゃん(仮)にうつつをぬかしている信吾です。
で、私は上の前置きを見ればわかるとおり真面目な奴で、あんまりおもしろい事は言えないので、派閥内で監視役もとい「笑う」役を担っているのですが、最近ちょっと某Sと某Gが調子に乗っているようなので報告しておきます。

とある日の帰り道で、
某S「吉〇さんって、もはや猿に近い人間っていうより人間に近い猿じゃねww」

旬悦へ向かう途中で、
某G「今日、財布いくつ来てるかなww」

その場では俺も話を合わせて笑っていましたが、さすがにこれはいけないなと思って報告させていただきます。


まあくだらない話はここまでとしましょう。

今年は1年が33人もいます。明らかに例年より多いですね。
  
  
やはり人数が多いといろいろと難しい所がでてきてしまうと思います。
その一つは、責任感が分散してしまうということです。
人数が多いと、誰かがやってくれるだろうという気持ちになって、どうしても仕事を他人任せにしがちになってしまいます。
たしかに、常に責任感を感じ続けて、与えられた仕事を全部自分で処理しようとするのはさすがにきついと思いますが、しかし、最初から他人の力を頼るだけで自分から動こうとしないのはいけないと思います。そういう人は、人数が多いことのデメリットしか生まないのでいりません。

意識の高さは簡単には広まらない割に、意識の低さはすぐ伝染してしまいます。
あいつもやってないし、俺もやらなくていいやという気持ちは油断すると自然と生じてしまうものです。
人数が少なければ、意識の高い人たちの中にいる、一人、二人の意識の低い人は居心地が悪いので、意識を高めるか、やめるかするでしょう。
けれど人数が多いと、意識の低い人の数も多くなりやすく、「俺だけじゃない、あいつもいる」と、いくら周りの意識が高くても、意識の低い人たちで「居場所」を見つけてしまって、居心地の良い空間を作ってしまうのです。そして意識の統一ができず、チームとしての一体感が生まれないばかりか、意識の低さは伝染していき、チームの質もどんどん下がっていってしまいます。

チームは居心地が良いだけでの空間であってはいけません。時には、意見の対立・衝突がなくてはいけません。そのためには、一人一人がもっとア式における自分のあり方を自覚し、考え、行動しなければなりません。より様々な意見が出し合えるという、人数が多いことのメリットは、一人一人が自分の意見を持っているという前提が必要です。
一人一人がはじめからひとの力を頼ったりしないで、自分の力でしっかりと立ち、それでも誰かが困って倒れそうになった時、支えて、助けてくれる人が近くにいる。そんなチームが良いと思います。


高い意識を持つということは、目標を持ってそれの達成のために行動するということだと思います。
もちろん関東昇格というチームが掲げる目標がありますが、試合にでておらず、しかも一年ともなれば、上級生ほど切実にその目標を自分の中に置くことはやはり難しいです。
だから自分にとってより切実な自分のことで目標をたてるべきだし、その達成にむけて行動することは、結果的に関東昇格という目標にプラスに働くはずです。

目標を持って、それに向けて努力する。これがベーシックなあり方だと思うんですが、ここで重要なのが、前置きで触れたように「考える」ことだと思います。
自主練するのにも、自分には何が足りないのか考えて、どういう練習がいいか考えて、練習しながらどうやったらうまくいくか考えて、と考えることが大事だと思っています。
ただ、うまくなりたいという気持ちだけじゃだめなんです。ひとえに努力といっても、努力の仕方はひとそれぞれであって、考えて、実行して、継続して、再考して、自分に合ったものを作り上げていくのだと思います。だから、考えることは、努力すること、ひいては意識を高くもつことの第一歩だと思います。
「結果の出ない努力は努力じゃない」という論理から導き出される俺の持論は、
「努力はすべて実る」です。

中二病的に、情熱的に、目標を掲げ努力しつつ、
現実的に、冷静に、考え行動する。

情熱的にかつ冷静に。
なんだか長尾さんのプレースタイルみたいですね。

一年 花嶋 陽














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