2012年12月16日日曜日

根拠のない自信を持て

 今年ももうすぐ終わりですね。東大に入り、1人暮らしを始め、ア式に入るなどいろいろと変化が多い1年でした。
 最近の僕はというと、1学期の堕落からきた成績の振るわなさの反省を受け、1限から出席するようにしています。朝の通勤ラッシュと昼の学食の混み具合には、日本の首都のスケールの大きさをただただ実感するばかりです。昼すぎに快適に座りながら学校へ行き、ガラガラの食堂でゆったり遅めの昼食をとっていたあの頃が懐かしい今日この頃です。
 まあ当然そんな車中では寝ることもできないので、最近は携帯でいろいろなニュースを見たり、SNSをいじくったりしています。とくに、ツイッターは楽しみの1つです。もちろん自分がツイートするわけではありません。いまだ0ツイートなので。脳科学者、茂木健一郎さんのツイートを特に見ています。毎朝茂木さんがその時感じたことや、話題のニュースなどについての意見などが書かれています。
 その中でもっとも共感したものの1つが、第763回と第764回の話です。
 その回では根拠のない自信をもつことの重要性が書かれています。すこし引用すると
 

 
 
 
" 子どもの頃には、誰にでも根拠のない自信がある。だから、人生で初めてに挑戦することができる。その頃は、誰の脳も「挑戦する脳」である。ところが、大人になるにつれて、次第に自信を失ってくる。今の自分でできる範囲で人生を回そうとする。そうなるとつまらない。発展がない。"

"「根拠のない自信」の「根拠のない」とは、すなわち、結果がどうなるか「根拠」がないということに言及している。とにかく、行動してしまうのである。何が起こるかわからないけど、やるのである。
行動する前から、「これだけのことをすれば見返りに必ずこういうことがある」とわかっているといった、「保証」や「確実性」とは全く異なる原理によって、「根拠のない自信」は支えられている。どんなに努力をしても、必ず結果が伴うとは限らない。だがしかし、やるのである。"

全部を載せると長くなるので大事そうなとこだけにしましたが、これだけだとよくわからないと思います。実際全部読んでいる僕も完全には理解できていません。
  とにかくその行動における結果はわからないけれども、なにかが得られるだろうという自信、まったくもって根拠のない自信を持つべきだということなのだと思います。そして茂木さんはそのあと、努力の必要性についても述べています。根拠のない自信を持ったから、努力を怠っていいわけはなく、むしろその努力の根底にあるものこそが、根拠のない自信なのだと。 
  いままで自分は努力の先に自信というものがあるとばかり思っていました。努力という行動さえもある種の自信によって生み出されたものなのだということは思いもしませんでした。だとすればすなわちその根拠のない自信すら持つことのない行動は、無意識に自分の外へと追いやられてしまっているのではないでしょうか。そうして自分の可能性をみずから狭めてしまっているのではないでしょうか。
 少しでも考えが頭によぎったら、その瞬間行動してみる。どうなるかわからないけど、根拠のない自信を胸にまずは動いてみる。そういうことの積み重ねが自分を変化させていくのだと思います。 
 まあとりあえず今のままでは全然ダメなので、リーグ戦が始まるまでには自分を良い方向へと変化させられるように小さいことでも行動を起こしたいと思います。


極度の面倒くさがり 1年 外山 皓己
 

 




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