2013年2月12日火曜日

玲瓏


10/21日記】

 

 

 秋季最終節國學院戦。寝て起きて、暫くしたら残留を決めるかもしれないし、1ヶ月間不安に過ごすことになるかもしれない。この日記を次のfeelingsにそのまま書くと面白いかもしれないし、面白いとか言ってられないことになってるかもしれない。ここんとこずっと俺のfeelingsのテーマは「不確実性」だったけど、今の時点では正に明日の結果が不確実。feelingsに掲載する頃振り返ってみたらどう思うのだろうか。

 

分析はがんばったが、何も分かってない。國學の弱点は?全く分からない。自チーム分析して良かったし、杉崎さんが来て下さってほんとに良かった。弱点ひとつ炙り出せない分析じゃ何の価値もない。

 

やることはやった。全員のプレーを1つ1つ再生して特徴を知ろうとした。けどその上で弱点が分からない。無能以外の何物でもないな。明日(てかもう今日か)勝てばこの日記も「ああこんなこと思ってたっけ」くらいのものかもしれない。降格したら何を考えるんだろ。

 

不安なら不安だと、大一番でビビってると、緊張してないような振る舞いをして見せようとしているだけだと、みんな自分に正直になって自覚してもいいと思う。リラックスしている風を装ってガチガチになるよりずっとリラックスしていられるんじゃないか(俺ならそう)。緊張してて、プレッシャー感じてて、それで正常でしょ。

 

 

【ちょっと一言】

 

 

 こんばんは。広川です。

 

 今回のテーマは『玲瓏』です。

 

というわけで小見出しは8つです(八面玲瓏より)。

 

予め断っておきます。全部読むと長いです(でも周期的にうちの代は書かな過ぎなので多分他の学年より結局短いです)。

 

取捨選択してくださればありがたいです。一つ一つは普通のfeelingsです。

 

一応目次

10/21日記

ちょっと一言

  愛

  医療

  サッカースクールでの発見

  詰将棋

  宇宙の必然性

  浮き沈み

 

 

 で、この日記なんですが「次のテーマは玲瓏 → 日記をfeelingsに掲載したらおもしろいかも」という安易な発想から掲載してみました。ノートをパソコンに落としながら思ったのですが、めちゃくちゃ恥ずかしいですね。日記なんて(これはある程度公開することを前提に書きましたが)公開するもんじゃないです。

 

 この日記で振り返って思うのは、この日記が笑い話で良かったなってことと、わりかしプレッシャー感じてたんだなってこと。データ係としてもっとスキルつけたいってひしひしと感じてましたね。もちろん今も感じてますが、やっぱり当時は緊張感が違ったのは否めません。この日記読んでポジティブにがんばろうって再認識できました。

 

 

 【愛】

 

 

 「愛されるチームになる」―

 

 聞いた話では上の代の飲み会で突然出てきた目標なんだとか。なんでもないときに良いアイデアがふっと閃くことがあります。この目標もリラックスした中で生まれたんでしょう。良い目標だと思います。

 

 地域貢献や広報活動に取り組んで、いろんなことを学びながら、地域の人と仲良くなって。同じ大学4年間でも、ただサッカーするだけよりずっと素敵です。

 

 僕の理想はまず地域の人に愛されること。「日本一愛される」なんてデカイこと言いますが、僕の理想はローカルが第一です。そのためには何ができるでしょうか。前にア式について正門前のカフェでプレゼンしたことがあります。サッカースクールのお手伝いをやらせて頂いています。カイザース・ラウテルン杯のお手伝いにも参加させて頂いています。サッカースクールの子がカイザース杯にいて「あ!御殿下の人!」って言われたときは地域に関われていることが実感できて素直にうれしかった。もっといろんな貢献ができればもっと地域と深く繋がれそうでワクワクします。他に何かできることってあるでしょうか?

 

 多分僕はまだ何かやれると思います。後楽園の方にちょっと面白そうなところを見つけたので今度行ってみようかとも思っています。でも部としては、これ以上は「ちょっと待った!」ですよね。実質的にはあまり負担はないのですが、11月から検見川トレーニングや週6、オフの撤廃などなど、みんな精神的に疲れています。

 

こんな貢献事業があるぞって紹介してくださる方もいらっしゃるかと思います。とてもありがたいお話です。部員に聞いてみても、「次はこんなのはありかもね」というアイデアもちらほらあることにはあります。ですが、現状に慣れるまで、新しいことはしばらくの間待たせて下さい。これがア式のみんなの声です。ご理解願います。

 

それと同時に、僕たちも「次は何ができるか」を考える必要があります。僕たちがやっていることが地域の人たちに感謝していただけている、期待されているということを自覚しなくてはいけません。ただし、最優先するべきは学生としての生活であり、自分たちの部活動です。感謝してもらえれば何でもするというわけではありません。何をすべきか、何をすべきでないか。それを各々がぼんやりとでも考えておかなければなりません。

 

 

【医療】

 

 

 本郷に来て、日医や医科歯科が近いってこともあるのか医学生との交流が増えました。

 

 今まで医学とか医療とかは殆ど興味のない分野だったんですが、こうして医学生の友達が増えてくるとやはり考えるきっかけになります(そろそろ医学用語覚えてよってこないだ言われたので頑張ろうと思ったり)。

 

 高校生の頃、友達が何人も医学部を受験する中で、そしてその殆どみんなが医者を目指す中でなんとなく思ってたのは、医者ってスケール小さくないか?って。一日に診れる患者の数も限界があるし、医者としてやってける年数にも限界があって、「命を救う」って言うけど全体の1%だって救えやしないだろ。ワークライフバランスも壮絶みたいだし、そんなにこぞって目指すほどの魅力があるのか。研究者の方がはるかに多くの人を救えるじゃん。そんなことをなんとなくですけど思っていました。

 

 今こうして医学生と交流する中で、今まで病院のお世話にならないから実感なかったけど、医者って一言で言ってもそれぞれ能力には差があるし、そういう中でヤブ医者が医者というレッテルのおかげで医者としてやっていることにもどかしさを感じて優秀な医者を目指す人がいるという着眼点を得ました。数ある医者の一人になりたいんじゃなくて数少ない優秀な医者になってきちんと患者のためになることをしたい。医者になるって言う裏にはそういう信念があるんだなって。そういう医者が増えるとなるほど、大きなスケールで人を救えそうだなって、友達を見ていてそんなことを思ってます。

 

 

【サッカースクールでの発見】

 

 

 サッカースクール係やらせてもらってます。係をやっていて、多くの人が「今週やりたい!」って言ってくれてうれしいし、助かります。ありがとうございます。そんなサッカースクールでの最近の発見について書こうと思います。

 

 

①見えない線が見える!

 

 サッカースクールには保育園児や幼稚園児(子供たちはこの辺の区別にうるさく、「幼稚園だっけ?」と訊くと「幼稚園じゃない!保育園!」と怒られる)など、就学前の小さな子供たちも大勢来ます。保育園や幼稚園にも行っていないような小さな子たちもやってきます。そんな子供たちを見ていて発見したことがあります。

 

 サッカースクールではミニゲームをやっています。グリッドはマーカーで区切ります。ミニゲームをやっていると当然ボールが出てしまうことがあります。そのとき「ボールが出たよ」って言っても理解してもらえないことがあります。

 

 思ってみればボールが出るなんてことはあり得ないんですよね。マーカーがポチポチ置いてあるだけで別に四角い線なんてないんですから。そこに線を見ている方が異常なのであって、囲まれてないという感覚が正直です。いつ頃からありもしない線を疑いもなく見るようになるんでしょうかね?

 

 

②カゴにボールを入れたい!

 

 みんなゴールにボールを入れようと一生懸命です。闘争本能なんでしょうね。本当に一生懸命ボールを追いかけています。

 

 不思議ですよね。まず相手より多くゴールにボールを入れたら勝ち、というのがわかっているのかよくわからない。次にこの間のミニゲームなんて全部で80点くらい入っちゃって(見ていた保護者も皆証言)どっちが何点とったのやらわからない。勝ち負けがわからないのに闘争本能なんて働くんでしょうか。闘争本能でないなら子供たちはなんであんなカゴにボールを入れるために一生懸命走りまわっているのでしょうか。誰がどう考えたってあんなカゴにボールを入れる必要ないじゃないですか。

 

 それを考えると僕らも変だし世の中も変だなって思うに至りました。なんであんなカゴにボールを入れるために4年間費やしてるんだろ。なんでただボールを入れるのが上手い人が何十億円ももらってるんだろ。なんでそんなわけわかんないことにこれだけ多くの人が夢中になってるんだろ。

 

 考えてみると不思議じゃないですか?

 

 

③コーナーキック

 

 こないだあった出来事。

 

 大人対子供でミニゲームをしていました。サッカースクールでは大人は容赦しないので「10点差をつける!」とか言って子供全員抜き去ってズドンと強烈なシュート決めたりエグイことをしていました。

 

 そんな中で子供チームがコーナーキックを得ました。ミニゲームですからね、ゴールすぐ横みたいなコーナーキックです。そのチャンスでのキックはゴールを直接狙ってみたのか、ニアポストに当たって跳ね返りました。跳ね返ったボールを蹴った子が拾いました。

 

 問題です。どうなりますか。

 

 ってまあこう書くとわかりますよね。間接フリーキックです。キッカーが自分の蹴ったボールを自分で触ってますからね。

 

 大人げない大人は即座に主張しました。で、間接フリーキックになったわけです。容赦ないですね。

 

 でも普段そういうプレーってないですから新鮮でした。もし審判してて同じことが起きたら多分気付かなかったんじゃないかなって思います。平野のロングスローがポストに当たっても同じなんだな、と思うと一度見てみたい気もします。

 

 

そんな新しい発見の話でした。

 

 

【詰将棋】

 

 

 ア式で将棋が流行っているようであります。将棋の好きな僕としてはうれしいことです。

と、いうわけで。自作の詰将棋を掲載してみようかな、なんて思います。

 

 これは中学生のときの作品です。王様をぐるっと取り囲んだ状態から何か作れないかなーというのが出発点です。難しさも何もないんですが、なかなかきれいにまとまったので気に入っています。楽しんでいただければ幸いです。

 

 

物足りないのでもう一つつけときます。これも僕のオリジナルです。

 

 

【宇宙の必然性】

 

 

 物理法則はこの世界を支配しているらしい。この間ビリヤードをしていて思った。

 

世の人はその法則が「この宇宙のどこでも、いつ、誰が繰り返しても」成り立つと、小学校ではじめて理科を習って以来そう思っている。だが、この宇宙に物理法則に従わないものはないのだろうか。

 

 サッカーは物理法則によって成り立つ。蹴ったボールは力の大きさと向きによって飛び方を変える。ポストに当たるボールは入射の時点ですでに跳ねかえり方が決定している。ビリヤードと同じである。もっと言うと、ある選手が出した声は空気中を伝播し、別の選手の耳へと届く。これも物理法則のたまものである。

 

神秘的なのはこの点である。もしヒトが、生物がただの規則的な原子の塊に過ぎず、物理法則に従って動くなら、ポストに当たるボールの軌道が当たる前から決まっていたように声を出す前から声を受け取ることは決まっていたわけだ。声を出す前から何と声を出すかも決まっていた。脳内に走る電気信号が分子に作用し、一連の物理現象の末に声を出したり声を聞き取り理解したりするからだ。この世界の全ての生物は物理法則によってそれまでの行動もこれからの行動も全て規定されていることになる。

 

それはすなわち我々は大宇宙の自然の振舞いに他ならないということだ。宇宙は放っておいても惑星にコンクリートのビルを乱立させ、アルミの塊を大空に舞い上げ、ウランを濃縮して核爆弾を投下する。これらは全て宇宙が生まれた時点で物理学的に決まっていた自然現象である。

 

検見川に向かう電車の中、隣り合って座ったおばあさんと若い会社員が会話をしている微笑ましい光景を見ながら、でも物理学はこの宇宙の全てを支配できてはいないと思った。おばあさんの口調は、電気信号が脳内の分子運動を引き起こしたことによる必然なのだろうか。ちょっと答を思案する様子も全て元々規定されたものなのだろうか。そんなわけない。それだと会話一つ成り立ちはしないだろう。生命とは何と不思議なもの。我々はきっと物理法則に抵抗できる何か特別な存在だ。なんの根拠もなくそんなことを考えながら、電車から降りるおばあさんに手を貸す会社員を眺めていた。

 

 

はい、東大生っぽいですね。こんなことを考えながら検見川フィットに行っていたのはまあ事実ですが、この先ですよ、僕の主張は。「物理法則に抵抗する」ってどうやるの?ってのを考えたんです。

 

物理法則が宇宙のどこでも成り立つなんて誰も証明してないんで実は物理法則が成り立っていないって仮説でもいいんですが(これもこれで反証不可能だと思いますけどね。あると思います)、僕は確率的な現象に着目しました。毎週核分裂だの反応断面積だのをやってるから必然そのせいだと思いますが。

 

そういった確率的な現象が確率的な現象ではなくて、そこに関与する余地があるという仮説を立てます。すると、生物は確率的事象を(備わった範囲内で)支配できるという主張が成り立ちます。そしたら生物は意思を持てることになるじゃないですか!

 

どうですか。

 

別に裏付けとかはないです。ただの哲学です。本当に根拠ゼロです。

 

普段こんなことを考えてたりするよ、というのを少しだけ公開してみただけです。

 

 

【浮き沈み】

 

 

 こないだの学年ミーティングである後輩からのメールが紹介されました。

 

「愛される集団になるって言ってるけど、どんどん企業みたいになっていく今のア式が自分は好きじゃない。自分たちが好きじゃない集団が愛されるなんて、そんなことありえない。」

 

そんな内容でした。みんなそう思ってるんじゃないかというくらいよく聞く意見だし、もっともだと思います。

 

ところが、その場のリアクションは違いました。

 

「だったら直接言えよ。」

 

「そんな次元の話聞いてらんねぇよ。」

 

そんな感じでした。

 

そのとき、この3年間で初めて、ア式辞めたいと思いました。それ以降ミーティングで一度も口を開きませんでした。ろくすっぽ聞いてもいませんでした。

 

 

次の日も鬱々として一日を過ごし、とりあえず気分を晴らしに散歩しようと思って、ある友達と上野に行きました。実際は上野に行こうと決めていたらある友達も上野にいました。

 

西片門をくぐり、安田講堂の脇を通り抜けて池の端門から上野に歩いて向かいました。ひとつ入った暗い路地は静かで落ち着けます。思えば散歩のたびに人を連れまわし、毎回ここを通っています。この通りでは本当に良い思い出ばかり浮かんでくるな、と最近気付きました。おすすめです。

 

さて、上野に着き、混んだスタ丼で肉増しを食べながら(肉飯増しにすりゃよかったと途中で後悔)昨日のミーティングのことを話し始めると、

 

「でもみんなそれ言ってるじゃん。」

 「てかそれって一番大事な問題でしょ。」

 

同じこと考えてる人もいるんだな、と。

 

そこから先はチームをどう良くしていくかがっつり話しこみました。気がつけば込み合っていた店内も閑散としていました。

 

 

 その翌日、火曜の練習で思ったのは、やっぱりサッカー楽しいってありきたりなこと。フィットもあってきつかったけど、それでも凹んだメンタルを一気に膨らませてくらました。

 

サッカー以外の面で上手くいけばこんなにいいことはありません。サッカー以外のところをしっかりがんばって、全てが順風満帆になるようがんばります。この火曜のたった一日の練習がそのモチベになりました。

 

落ち込むこともあるけど、これからもポジティブにやっていこうと思います。





 沈んだら浮く。 広川

0 件のコメント:

コメントを投稿