2013年5月4日土曜日

我々はプルーストではない

たまたま縁があって、アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズのU-14の試合を生観戦した。

うまい。

東大ア式に入って、自分の経験したことのないレベルの選手と関わった。先輩達だ。そしてその先輩達をぼこぼこに叩きのめす対戦相手を見た。自分の手の届かない存在の、さらに離れた存在だ。そしてボカ・ジュニアーズ。地球の裏側からやってきた15歳にも満たない少年たちは、物質的な意味でも観念的な意味でも、まさしく僕の知っている世界とは遠くかけ離れた存在だった。

スキル、フィジカル、インテリジェンス……僕より5、6歳年下の彼らは、少なくともピッチの上では僕よりもはるかに大人に見えた。対戦相手のジャカルタ選抜チームの選手を、時に弾き飛ばし、時にいなし、かわし、当たり前のようにゴールを奪った。彼らのうまさは、ドリブルがうまいとか、パスがうまいとか、そういうことだけではない。サッカーがうまい。月並みだがこれ以外に表現が見当たらない。ボールの動かし方、相手との駆け引き、ゴール前での落ち着きなど、見ていて「ボカが勝つ」という試合をしていた。勝つべくして勝った。

彼らは僕が日頃「ああしたい」「こうしたい」と思っていることをピッチ上で確実に実行していた。それは僕にとって一番難しいことでもある。いくらノートにやりたいプレーをメモしても、ピッチに持ち込むことはできないのだ。そして彼らは14歳以下のチームだ。

単純に僕は、悔しかった。
なんでこいつらはこんなにうまいのだろう。そしてなんで俺はこんなに下手くそなのだ?

「今までにボールを蹴ってきた時間が違う。圧倒的に」

それは紛れもない事実で、すでに取り返しのつかないことなのかもしれない。しかしそんなことを言っても、なんの慰めにもならない。ヒットラーは死に、ソ連は崩壊したという事実を述べたところで、ユダヤ人とスターリンに抑圧された人々が救われるだろうか?

いや、そもそも求めているものは慰めではない。すでに過ぎ去った事実は単なる「前提」である。水が山を削った谷だ。地下に積み重なった地層だ。僕たち(下手くそ、あるいはこれからを見すえる者)がすることは、谷を埋めることではない。下流の平野に都市を築くことだ。失われた時を求めることではなく、まだ見ぬ時間を獲得していくことだ。そして、これはおそらく死ぬまで続く。むしろそうありたい。きっと何処かで、たぶん何かで、持たざる者の得たものが、持てる者の見落としたものに追いつき、追い越す日が来ると信じて、歩みを止めないことだ。やる気、元気、根気。そして楽観。あわよくばそれが緑の芝生の上であると願って。


せっかく書いたのに消すのもったいないので。あと遅れてすみません。
2年 FW 藤岡

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