2013年8月31日土曜日

ふりむくな、ふりむくな

もう9月。残暑が厳しい中だけれど、少しずつ秋に向かっていくこの時期は毎年よく分からない寂しさや焦燥感を感じる。みんなはどうなのだろう。

へたくそな前置きは置いておいて、この一節をご存じだろうか

「ふりむくな
 ふりむくな
 後ろには夢がない」

よく聞きそうなフレーズだから聞いたことがあるように感じるかもしれない。有名だからそのくらい知ってるわってことかもしれない。寺山修司が名馬ハイセイコーが引退する際に書いた『さらばハイセイコー』という詩の一節である。

この詩の中ではすばらしいハイセイコーの走りと共に過去に思いをはせる人達が出てくる。少年工、失業者、車いすの少女、酒場の女…様々な人たちだ。別に皆が競馬に精通しているわけではないからそれぞれが抱く思い出はあのレースがどうとかではなく、ハイセイコーが勝つたびうれしくてカレーライスを三杯も食べたことだったり、ハイセイコーの馬券の配当で病気の妻に手鏡を買ってやったりしたことなのであるが。
やはり何かすばらしいこと、興奮したこと、感動したことがあると人はそれを強く覚えているし、それに関わる些細なことであっても色鮮やかに浮かび上がるのだろう。

この詩をひっぱり出してきてもの思いにふけったりした原因は苦しい戦いが続いた春季リーグだった。何とか状況を好転させたくていろいろ考えたり、人と話していたりすると何かと引き合いとして2年前のシーズンのことがでてきた。正解を追い求めて二年前に逃避した。苦しみながらも関東大会出場という成功体験が強く頭に残っていたのだろう。でも2年前にすがりたくなる自分が嫌だった。今年のチームはここ近年で一番厳しく、話し合い、やってきたはずだったのに。

「もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにハイセイコーは
もういないのだから

ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる

思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただ数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった」

あのころの俊足も点取り屋も将軍もいないけれど、今年はあの時には出来なかったプレーがチームとしてできているはず。それが結果として見えてないだけで。2年前はヒントの材料として頭にとどめておけばいい、ノスタルジーに浸っていても仕方がない。ふりむくな、ふりむくな。

秋季リーグの第一節も結果は出なかった。それでも今をみて次の相手に向かって前向いてやるしかない。今年のチームでベストを尽くして目標に食らいついて、少し時間がたった後、後輩達、コーチ・スタッフ、保護者の方々、もちろん自分たちにもこう思わせたい。


「だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ」

やれるだろ。やろうぜ。


3年 MF 榊原 和洋


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