2013年9月4日水曜日

夏の終わりに

夏が終わろうとしている。

まあ暑さは相変わらずですがグラウンドにセミが転がってたり、台風のニュースを頻繁に見たりするなど意外とその終わりを感じる機会も多いのではないでしょうか。

ちなみにこの時期のゴミ拾いの時はセミやカナブンの死骸を見つけると触るの嫌だから見て見ぬふりをして誰かが拾ってくれるのを待ったりする(うそうそちゃんと拾ってます、ホ、ホントダヨ)。



終わりといえばこのfeelingsを書くのも今回が最後。

最後というと数々の人に感謝を述べたり、今までの思い出を振り返ったり、後輩へのメッセージを残したりするのだろうけどまだそんな時期ではないと思うのでfeelingsの定番、「大学でサッカーをすることの意味」について考えてみましょうか。


結論「意味なんてない」


「考えてみましょうか」とか言いつつ、いきなり結論だなんてこいつの頭はどれだけ短絡的なんだと思う方もいらっしゃるでしょうがお許しください。


正確には「大学でサッカーをすることに大学でサッカーをすること以上の意味はない」という感じだろうか。
というか考えるまでもないねこれ。だってサッカーをすることの動機が「サッカーをしたいから」なのだからそれ以上の意味があるわけがない。


というのは現役でやっている今の時点での結論。
将来、ア式での経験が何かしら役に立った時初めて「こういう意味があったのか」と感じられるかもしれない。本当に意味のある、価値のあることというのは前もってわかるものではないと個人的には思っている。



「己にとって真に価値のある行為とは価値が予測できない行為である」



自分にとって価値があると判断した行為を行っても、それは結局自分の価値判断の枠の中に収まっている行為なので自分の殻を破るまでには至らない、自分にとって何の価値があるのか分からない行為にこそ大きな成長の機会が詰まっているということらしい。
僕の言葉です、今作りました。
僕の言葉ですとか言いつつ、既に誰かが言ったことのある言葉のような気がするけど気にしない気にしない。


まあ、サッカーをやることの意味を考えるよりもサッカーをやることの方がよっぽど意味があるかもよってことかな。


とにもかくにも目先のサッカー。目先の試合に、目先の相手に。



目先のものから「勝ち」を拾うことで「価値」を見出せるかもよ、なんてね。



4年DF大薗隆太

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