2013年11月23日土曜日

最近眠過ぎ

「人生は選択の連続である」

とは、かの有名な劇作家、ウィリアム・シェークスピアの言葉である。

思えば、自分の人生も大小さまざまな選択の連続であった。

小さな選択
「8時か。今日こそは起きて、早めに課題を終わらせよう。でも部屋寒いな。もうちょっと寝るか。今日は授業4限しかないから昼ごろまで寝れるしな。よし、寝よう。」

「10時か。そろそろ起きるか。課題は面倒だからゲームでもするか。でも布団あったかいな。まだ寝とくか。」

「12時か。さすがに起きないとダメだな。ゆっくり出かける準備して授業に行くか。」

大きな選択
「東京大学に入ってア式蹴球部に入りたい。だから合格した某大学には行かないで、もう一年勉強してまた東京大学を受けよう。」

「東京大学に合格した。ア式蹴球部に入ろう。」

最近した選択
「経済学部に入ろうと思っていたが、経済学はつまらない。文学部行動文化学科社会心理学専修課程とかいう面白そうなところがあるから、進学振り分け制度を利用してそこに進学しよう。」
僕は選択をする際、できるだけ最適な選択をするために、選択肢を検討する。
特に大きな選択をする際は、選択の結果が自分の未来に大きく影響するので、非常に注意深く選択肢を検討する。
そして、その後に、どの選択肢を選ぶか決断する。
僕にとって、選択というプロセスは9割が選択肢の検討、1割が決断である。



しかし、僕は後悔する。
「あの日、8時に起きていれば、こんなに切羽詰まってレポートをやる必要もなかったのではないか?」
「ア式蹴球部に入っていなければ、学業・サークル・バイト・恋愛などでもっと充実して楽しい大学生活を送れたのではないか?」
そして、これから後悔するかもしれない。
「進学振り分けで経済学部に行っていれば、就活も苦労せず、卒論が大変だと思うこともなかったのではないか?」
と。


「後悔とは、かつてそこに愛があった証である」

とは、僕の好きな俳優である阿部寛主演のドラマ、『ゴーイング マイ ホーム』に出てきた言葉である。

後悔のほとんどは、選択の誤りに起因するものではなく、選択されなかった選択肢への想いである。
だから、全ての選択には、後悔が付き纏う。
人生は後悔の連続である。


僕は、現在の自分を信じて選択し続けていきたい。
たとえそれが後悔を産むとしても。



公開ボタンを押したら間違いなく後悔する
2年 荒井

0 件のコメント:

コメントを投稿