2014年4月25日金曜日

暇つぶし

4月からアニメ「ピンポン」の放送が始まりました。
やっぱり卓球は躍動感あってなんぼだと思うので、個人的にはアニメ化大賛成です。
そんなピンポン、言い回しや世界観がかっちぶー(かっこいい)。
作中で卓球の才能を持て余すスマイルはこう言いました。「卓球なんて死ぬまでの暇つぶしだよ。」うーん、キザですなー。
ちなみに僕の学科の大先輩である日テレの桝アナウンサーはこう言いました。「ウナギなんて切り刻んだらひつまぶしさ。」
うーん、キザんでますなー。
 
さて、自分にとって、サッカーとは何なのだろうか?
スマイルの言うように死ぬまでの暇つぶしなのだろうか?
 
暇つぶしって電車でスマホいじったり、授業中スマホいじったりすることだよね。
電車でサッカーやったこともなければ、教室でやったこともない。
やっぱり暇つぶしではないのかな?

僕の人格形成にサッカーは大きな影響を与えてきた。人間関係もほとんどサッカー関連の人たち。喜びも悲しみも最大値を記録したのはサッカーにおいてのことだ。
最近、長い怪我から復帰して、ミスにイライラしたり、良いプレーして内心ニヤニヤしたりと感情の振れ幅が大きくなっているのを感じる。やはり、サッカーから得るものは大きい。
得るものが大きいからこそ、サッカーは暇つぶしなんかよりももっと上等なものなの?

でも、これって実はバリエーション豊かなだけで、結局暇つぶしなのではなかろうか。
別にサッカーするために生まれてきたわけでもないし、他にすることなんていくらでもあるよね。
必要性もないのにわざわざするなんてバカじゃないの?所詮暇つぶしでしょ?

暇つぶしなのかどうかは不明確だけど、こんなこと言われたら否定したくなるし、ムカつくし、怒る。
何故怒るのだろう。
それは僕たちがサッカー選手だから。
自分という存在にサッカーが付随しているので、自分がけなされた気分になる。

雨の日もどんなに憂鬱な気分の日も僕たちはグラウンドに向かう。
何故だろう。
それは僕たちがサッカー選手だから。
誰に命令されるわけでもなく、自身が自身をサッカーへと駆り立てる。

そうだ。自分はサッカー選手じゃないか。
サッカー選手にとってサッカーが暇つぶしなわけないだろう。
でも、果たしてサッカー選手として完成しているか?成立しているか?
いいや。
半人前だ。
自分の至らなさをfeelingsで嘆くのは常套手段だが、メッシだってロナウドだってサッカー選手としては未完成だ。
努力が足りないとかそういう話がしたいのではなくて、限界までサッカーにのめりこもうということ。
肉体も精神も全てサッカーに浸かれるはず。
筋肉を、骨格を、全身の細胞の一つ一つをサッカー仕様にしようじゃないか。
「地球って太平洋のあたりをインステップでしっかりミートすれば無回転になりそうだよねー。」
↑こんな会話ができるくらいサッカーのことを考えようじゃないか。
ちょっと違うかな…。
僕はリフティングが好きだった。綺麗なキックフォームを目指していた。
これは大事な思い出だ。でも、今やるべきサッカーはそんなレベルじゃない。複雑だ。
もっと深いサッカーを知ってるし、もっともっともっと深いサッカーについて知らないことも知っている。うまくなりたい。
でも、どうすればいいの?
自主練を増やす。体幹、筋トレに精を出す。
いっぱい方法はあるのだけど、何だか違和感。そんなこともちろんやってきたし…

そんな時に良い言葉を見つけた。
「サッカー選手として挑戦し続けたい。」
新歓ムービーでの榊さんの言葉だ。
今まで自分は挑戦はしていたかもしれないが、挑戦している自分はサッカー選手ではなかったようだ…。
自分がサッカー選手であることの自覚、誇り。
これだこれ。まずはここからだ。
 
今日から僕はサッカー選手。
 
3年 DF  松木啓

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