2014年4月8日火曜日

肩書き


自分は恵まれているなとよく思う。物心ついたときから好きなことは何でもできる環境にあった。小学校のときはサッカーがしたければ地域のクラブチームに入れたし、勉強がしたければ塾にも通えた。成績が伸び悩んでいたときは家庭教師も雇ってもらった。日能研では最後まで下から二番目のクラスにいたが、穴場だった難関校の帰国子女枠を家庭教師に教えてもらい、実力以上の中学に進めた。

中学高校は、学費の高い私立の中高一貫校に通ったが、六年間不自由なく過ごせた。馬鹿な自分でも、優秀な同級生に囲まれれば、引っ張られて自然と学力がついた。高校の部活でも同期が引退した後半年以上も居残り続けたのに、嫌な顔を見せず後輩たちは支えてくれた。そのおかげで、東大の進学校リーグに参加でき、ア式を知ることが出来た。そのとき得た自信と新たな目標が東大合格を可能にしてくれた。

東大に入っても恵まれた状況は変わらない。ア式のサッカー環境の良さは言うまでもないが、同じような志を持ったチームメートや面倒見の良い指導者に囲まれて人生のどの段階よりも成長している実感がある。学科でも、世界の最先端を駆け抜ける教授たちの講義を毎日受けられるし、一台数千万円もする実験器具がいくつもおいてある研究室で実験の指導を受けられる。


多くの人に支えられて、引っ張られて今この場にいることをつくづく思うが、自分ではまだ何も成し遂げていない。

「君って東大生なんだ、すごいね」

たまにそんなことを言われることがあるが、そんな評価は自分に値しない。東大生になるまでに多くのものを享受しすぎたから。これまでの人生を振り返ると、東大生という肩書きを自分一人のものだと考えられない。

東大生という肩書きは強力だと思う。海外の大学からもそこそこ認知されているし、国内の就職では有利と聞く。その肩書きの恩恵を一生受け続けて人生を終えることも出来るかもしれないけど、東大という肩書きが効力を持ち続ける分、肩書きに価値を与え続ける人間が存在する。「○○がいるから、東大はすごい。」そう言われるような東大生や卒業生は必ずどこかにいる。

価値を与える者は与えられる者より尊い。東大生という肩書きを与えられるだけの人間は、最後まで東大生の枠組みを超えることができないが、東大に価値を与える人間は東大生であろうとなかろうと、東大をより高みへ引っ張る。

そんな存在に憧れを抱くもののやはり一人で出来ることは限られている。研究で成果を挙げるには、何十年もかかるだろうし、社会で影響力を持つようになるにも時間がかかる。果たして実現可能かどうかも疑わしい。ましてや学生時代に一人で東大に価値を与える程の大仕事を成し遂げ発信するのは、到底困難だ。

しかし、何人もの人が同じ方向を向いて取り組めば、全体としては大きなことを成し遂げられる可能性もある。例えばア式蹴球部の活動とかもその一つ。何十人もの部員やスタッフが切磋琢磨して上を目指し、チーム力を向上させる。東大を代表して戦いに臨むため、勝てば東大が評価され、東大の価値に直結する。イヤーブックや新歓活動など、発信力も十分にある。どのタイミングで果たせるか分からないが、関東昇格が実現したら多くの人がア式を通して東大を評価するかもしれない。

「君がいるから東大はすごい。」

今すぐにそのような評価を受けることは不可能だが、

「ア式蹴球部があるから東大はすごい。」

そう思われることは意外と可能かもしれない。
ア式を知る誰もがそう口にする日がくればいいなと思う。


ドラえもんを発明したのはのび太らしいよ
新四年 SH  角田貴大

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