2014年6月30日月曜日

Tell me why?

「愛とは人間が進化の過程で身につけた能力、種の保存のための最適なプログラムにすぎない。」


これは俺が浪人時代、やたらと厳しい現代文の授業を受ける中で友人と真面目に議論を交わすということに若干の楽しさを覚えはじめていたころにその友人の一人がネットか何かで拾ってきたテーマである。

この論は愛への盲目的な信仰を否定する。たとえば、一般的に素晴らしいものだとされる自己犠牲的な愛についても

「判断ミス」
すなわち、自分の命が犠牲になることを認識せず、他者を救おうとした結果自分が犠牲になってしまったに過ぎないというもの。

「遺伝子保存」
すなわち、自己が犠牲になることを認識したうえで、自己に類似する遺伝子の保存率を最大にすること目的とする行動をとったに過ぎないというもの。

という二つの観点から切り捨てる。

まだこの論は長々と続いていたが割愛する。



物理選択だった俺は生物学を本格的に学んだことはないため、この論が生物学的に正しいかどうかなんてことはわからなかったが、こういう理論にたいしてなんやかんやと議論することは楽しかったし、この理論に結構衝撃を受けた。
内容もさることながら、愛という人間の感情の理由を追及する姿勢がすごいと思った。当時も今もだが、俺は、「○○は●●だ」とか「△△なのは▲▲だからだ」というようにできるだけ物事を単純化して考えるのが好きだ。単純化するためにいろいろ考えるのが好きだ。でも人間の感情に理由を求めるのは無理なことだと思っていた。

たとえば、俺らが「なぜサッカーが好きなのか?」と問われた場合に答える理由には、

「勝った時に至上の喜びが得られるから」
とか
「点取ったときに気持ちいいから」
とか
「単純に楽しいから」
とかいろいろとあるだろうが、果たしてこれらは本当に理由を答えられているだろうか。

「なぜ至上の喜びをサッカーに求めるのか?」
「なぜ野球でホームランを打ったときの気持ちよさではだめなのか?」
「そもそも楽しいという言葉は好きという言葉を違う表現に言い換えただけではないのか?」

これらの問に対する答えを俺は持ち合わせていなかった。
結局「好きなものは好きだ、それで良いじゃないか。所詮人間の感情に理由を求めるのは不可能だ。」という結論に至っていた。



最近この問題に改めて挑んでいる。

「俺がサッカーを好きなのは○○だからだ。」

とできるだけシンプルに表現したい。
答えはまだ見つからない。
見つけてからfeelingsを書きたかったが投稿がこれ以上遅くなるのも良くないから、未解決のまま投稿する。
花嶋とか何かカッコいい考えもってねーかな。


ピルロのあんな形での代表引退が悲しくてならない
3年 FW 池田濯

0 件のコメント:

コメントを投稿