2014年7月27日日曜日

69!

「時は金なり」
とはよく言いますが、時間は無限じゃないんだからお金のように大事に使いなさいって意味で使われてることが多い気がする。

 大学生活の終わりが見えてくるにつれて思うようになってきたことがある。それは、今俺らは人生においてかけがえのない時間を過ごしているんじゃないかということ。キャンパスライフとか青春は今しかないとかそう意味ではなく。
 この18歳から22歳(23?,24!?)の4年間は人生の他の4年間と比べても圧倒的に何かが違う!!

 1968年、全共闘は安田講堂を封鎖し、卒業式は中止となった。

 もちろん俺は当時の様子は全くわからないし、事件のことを詳しく調べたこともない。学生が何を考えてどこで誰と、どんな衝突があったのか知らないけど、火炎瓶と投石と放水の映像のインパクトだけは見たことがある。
 ひとつ言っておきたいことは、おれがこの事件をどうこう言おうというわけでないし、その行動とか思想について解釈しようとかいうわけじゃないこと。
 俺がこれを取り上げたのは、当時、俺らと年の変わらない彼らが、それだけのエネルギーを持っていたことに驚いたから。ビビったから。

 世情は違えど、俺らと彼らに基本的に違いはない。それなのに今の俺らにそれだけのエネルギーがあるか、それだけ信じられる何かがあるかって言われたらそうとは言えない。中島みゆき風に言うと、俺らがシュプレヒコールの波を起こすことはないかもしれない。それでもやっぱり、これだけのエネルギーを持てるのは今この年代だけだと思う。肉体的な意味も含めて。

 俺らは今、そのエネルギーをサッカーにぶつけている。
 イメージするんだ、自分が安田講堂の上で放水を浴びている姿を、何かを強く信じることでエネルギーが体の中に満ち溢れる様子を。
 もっとやれるはずだ。自分の中で一つ絶対に信じれるものを持つこと。その信じたものに従って行動していくこと。何かをやりきるということは最後まで信じたものに従って行動し続けるということ。

 後に安田講堂に残されていた落書きに
 「連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽さずして挫けることを拒否する」
 というのがあるらしいです。

 サッカーやるなら自分の中に何か信じられる核みたいなものを持ちましょう。今回の色々はそれを確認するいい機会だと思う。誰にとっても。それが無いまま続けていくのはこの「若さ」というエネルギーを注ぐにはもったいなすぎると思います。

「時は金なり」
とはよく言いますが、この四年間の時間はお金じゃ絶対買えないものだし、捨てても働けば戻ってくる金と違って、一度きりのもの。
あれ、ふつーな結論になった。。

イメージするんだ、自分が火炎瓶を投げてまで守るべき信じられる何かがあること。その何かに従って毎日を過ごすんだ。

4年 篠原

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