2014年10月5日日曜日

いつもそこにあるはずのもの

今週の成蹊戦の告知の画像に自分が使われている。奇しくも、前期リーグ戦初出場するも4失点で大敗した相手だ。その試合から何試合もリーグ戦に出場することが叶わなかったのは言うまでもない。随分と陰湿な嫌がらせだ。製作者の悪意を疑いたくなる。

そんなことより使われている写真を見て気づいたことがある。やけにあごが上を向いている。別にあごが出ているとかそういう訳ではなくて、顔全体が上を向いている。まっすぐ前を見ているはずなのに、顔だけ不自然に上向きだ。改めて意識してみるとそんな癖がありそうだ。歩いているときや何気ないときにふと空ばかり見る。空ばかり見るのであれば自然と顔が上向いてしまっているのも不思議ではない。


いつからだろうか。こんなにも空を眺めるようになったのは。



神戸の山の手で育った。ベランダからは明石海峡大橋が見え、遠く汽笛の音が聞こえてくる。実家近くの山のてっぺんからは明石海峡に加えて淡路島も、南東の方角にはうっすらと大阪が見える。

晴れた日に家を出て少し登れば都会の喧騒は遠くに押しやられ、視界の半分をも占める青空と太陽の光を全身に浴びて輝く海と緑の街並みが広がっていた。


小さい頃からサッカーが好きだったわけではない。小学生のときは練習に行きたくなくて何度も仮病を使った。ただ家の近くの公園で大きなそらを見上げながらボールを蹴るのは嫌いじゃなかった。

高校に入って「考える」ことが増えた。自分がもし男子校ではなくて共学の学校に進学していたらどうなっていただろうかなどといったくだらないことから哲学チックなことまでたくさんの雑想が頭の中に生えてきた。この頃にはサッカーに夢中で、朝早起きしてリーガの試合を見ては、夜家に帰ればプレミアリーグを見て、授業中もサッカーノートを書きながらどうすればもっとうまくなれるのか、どうすればもっとチームは強くなるのかと練習メニューを考えていた。


思考をめぐらせつつ見上げたそらはいつも美しかった。


いつしかそらばかり見上げていた。



空中を小さな雲の塊が行進していく。


夕焼けにいわし雲が彩られていく。


夜空には月が輝いている。


様々な表情がそらにはあった。自由だ!そう感じずにはいられなかった。何ものにも止められない自由がそこにはあるのだ!

だから思い詰まったときには山に登って空を見渡した。そうすれば心のもやが少しは晴れると思ったから。



東京に来た。六畳の狭い部屋で一人暮らしをしている。山のない平地。建物が所狭しと立ち並びジオラマのセットに入れられ生活しているように感じる。両脇に高いビルやマンションが並び立つ本郷通りを通ると、閉塞感と圧迫感で胸がつぶれそうになる。


サッカーは続けている。東大に来た理由の一番上にサッカーがあったから。というと不思議がられるが本当の話なのだからしょうがない。サッカーが好きだという気持ちも変わらない。

ア式に入ってから一年半、良いことも悪いことも楽しいことも煩わしいことも経験し一歩一歩階段を上っている。入部当初から関東昇格という目標が雲の上にあるように感じられるのは変わらないが、より近くに感じるのはたくさん階段を上ってきたからか。関東昇格したい、してやるという気持ちは日に日に強くなっている。



ただひとつ、

東京は建物が多くてそらが見にくいなあ。





2年 加藤辰弥

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