2014年12月6日土曜日

コンコルド/予定通り予定外/アンビヴァレント

コンコルド

「コンコルド効果」という言葉をご存知だろうか?

例えば、ある企業がある事業に10年間で100億円を投資しようとして、いまのところ5年間で50億円を投じたとする。企業は、この事業によって莫大な収益を上げることを期待していた。しかし、状況は変化し、この事業で上げることのできる収益が30億円に満たないことがわかった。このとき、この企業が取るべき対応はどのようなものであろうか?

正解は、「今すぐこの事業から撤退する」ことである。
撤退した場合、損失は50億円である。(撤退にかかる費用は小さいので無視する)
撤退しなかった場合の損失は、全体で最低でも70億円となる。
このように、経済的合理性に基づいて考えれば、この企業が事業から撤退すべきなのは明白である。

しかし、超音速旅客機コンコルドを開発したイギリスとフランスは、同じような状況で投資を続けてしまった。その結果、多大な損失を残した。現在、コンコルドは空を飛んでいない。

このように、今までに投資した費用(埋没費用、サンクコスト)を惜しんで、投資を続けてしまう心理をコンコルド効果という。

人間には、今までやってきたことを無駄にしたくないという心があるのだろう。
だからといってそれを続けることは、合理的であるとは言えない。
しかし、コンコルドを空に飛ばすことを可能にするのは、こうした人間の心であるとも言えるかもしれない。



予定通り予定外

僕は「面白さ」というものは、思った通りであることと、思いもしなかったこと2種類あると思う。
例えば、ある芸人コンビの片方がボケる。そうすると、もう片方がツッコむ。僕は笑う。これは前者だ。
例えば、ある芸人コンビTろサーモンのK保田がボケる。しかし、M田はツッコまない。僕は笑うこともある。これは後者だ。(Tろサーモンわからない人はすみません)

サッカーもそうだ。
「そこだ」というところに人が動き、「そこだ」というパスが出る。
「そこだ」というところにボールが来て、「そこだ」というところでボールを奪う。
いかに「そこだ」という部分をチームで合わせるかが、勝利のカギである。
しかし、それだけでは面白くない。
「そんなところに」というところにパスを出して、「そんなとこから」というところからシュートを打つ。
相手が、ときには味方が、そして観客が、あっと驚くようなプレーがサッカーの醍醐味だ。

人生もそうだ。
思っていた通りに上手くいったり、思っていた通りに上手くいかなかったりする。
また、ルーティン化した生活は、なんとなく安心感を与えてくれる。
しかし、それだけでは平凡な毎日である。
たまに思いがけないことが起こる。それは良いことだったり悪いことだったりする。
日常生活の中にたまにある特別な日、その昂揚感は格別である。
このどちらもが、人生を面白くする。
 
 


アンビヴァレント

小学校の頃、臨海学校の帰りに友達から「お前って、○○のこと好きなの?」と聞かれた。
「いや、そんなこともないよ」と答えると、「じゃあ、○○に嫌いですって言ってこいよ」と言われた。
「いや、嫌いって訳でも」と言うと、「じゃあ、○○に好きって言ってこいよ」と言われた。
世の中のものごとは「好き」か「嫌い」かの2種類にはっきり分かれるものではない。
好感度の数直線のようなものがあって、その座標がすべてのものごとに与えられるような感じなのだろうか。

「好きな子いじめ」というものがある。
男性、特に小さい子は、好きな女性(女の子)を、好きなのにも関わらずいじめてしまう。
しかし、それは本当に「好き」と言えるのだろうか。
相手に対し「嫌い」であるかのように振る舞い、口でも相手のことは「嫌い」だと言い、それでもそれは相手のことが気になる、つまり「好き」であるが故の行為、言動だと決めつけることはできるのだろうか。
そう考えると、「好き」と「嫌い」は同じ数直線上にのるものではないように思える。

「あのときの判断は間違っていなかった」かつ「あのとき、こうしていれば良かった」
「自信はある、きっと成功する」かつ「大丈夫かな、上手くいくか不安だな」
「苦手なことにも挑戦してみよう」かつ「俺ってこういうタイプだし、やめとこ」
「自分のやりたいようにやればいい」かつ「人のことも考えて行動すべき」
「変わらなければならない」かつ「このままが一番」
「頑張ろう」かつ「無理はしたくない」
 
 
 
いつも回りくどいfeelingsで申し訳ないとは思ってます 
3年 ベンチ 荒井周午


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