2015年2月14日土曜日

人間らしさ

同期の人たちが社会という新たな世界に飛び出そうとして業種を選び、企業を選び、そしてその企業に選ばれようと自分を分析し今までと違った扉を開けようと戦っているのを見ると、なんだか少しうらやましくなるとともに大きな流れから取り残されたような感覚を覚えます。
そんな中でまあ一応自分は研究という、新しい世界と言えないこともない環境にそろそろ身を置くことになります。
研究室選びには、雰囲気、教授の人柄、成果、お金、研究内容、部屋の広さなどいろいろな要素が含まれています。企業選びと似ているのではないでしょうか。
大きく違うのは定員を超えたらくじ引きで決定することでしょう。ここまできてくじ引きかーいっていう感情もなくはないのですが、突然人間力を測られてよく理由もわからずに、まるで人格を否定されたかのように落とされることもあろう就活と比べたら文句も言えません。
いやほんとにみんな頑張ってください!みんな一緒に働きたいと思える人ばかりなので大丈夫だとは思いますが。
僕はくじ引き頑張ります。

体制変更をしたア式において、自分の存在価値を考えます。
残念ながら今のところとくにないと言わざるをえません。
今までサッカーをしてきて、ん、というか振り返ってみてもサッカーしかしたことないですね。
塾もピアノもそろばんも水泳も何一つ。学校とサッカーだけ。
そのサッカーですらへぼいのであればもうそりゃ大変だ。どうする。何ができる。
受動的な態度で生きてきたことが自分の中でも明るみに出てしまいました。何にも習ったことがないのもやりたいと言わなかったからです。やりたいと頼めばやらせてくれる家族なのはわかっているので、自分がやらなかっただけです。
こんなことでは価値を生み出せるはずがありません。
イノベーションのためには20年以上培ってきた態度を乗り越えなくてはなりません。
やめてしまえばア式の誰にも迷惑をかけることもなく、自分の存在価値のなさという苦しみから逃れられるかもしれません。
できるかできないかじゃない、やるかやらないかだ。と聞いて、そりゃそうだよと思う自分がいるのですが、いざ今までやったことがなくて自信がない物事を前にするとよくわからずにしり込みしている自分がいて嫌になります。これが世にいう中途半端にいままでやれてきたばっかりに失敗を恐れてなにもできない使えない人間なのでしょう。こんなところにいたとは。
遅すぎた、何一つ言い訳できない申し訳ない。行動と結果を。ア式のために。自分のために。
そして一つ自分を棚に上げて言います。
もしサッカーがうまいがために受動的な態度でも今のところうまくいっている人がいるのならば、そういう自分がいるのならば、もったいない。能動的になればもっとうまくなれる。立場に安住しないで頑張ってみてほしい。

就活をしないからにはとりあえず大学に残って研究を行おうと思っているのですが、最近ついこの間までは一切考えてもみなかった研究者という選択肢もなくはないなと思うようになりました。
勉強が進むにつれて視点が研究にたいして近くなったということもありますが、なによりも、人生に掲げている「豊かに生きる」という観点から考えたときに、研究者という生きるにあたってあまりにも無駄な行為がとても豊かなのではないかと思うようになりました。
新種を発見して図鑑に載る爬虫類が増えたところで、地球が太陽の周りをまわっていると分かったところで、なにか劇的に生きるために有利になったでしょうか。
遺伝子は生存競争の中で自然の淘汰のなか受け継がれてきたので、生物を見ればあらゆる適応を見ることができます。早く成長してすぐに世代を交代する種、ゆっくりと時間をかけて強く長く生きる種。体を大きくしたり小さくしたり毛をはやしたり硬くなったり。
そんな中で人間は生きることにまったく必要のないことに時間をかけることができます。
それが芸術でありスポーツであるのだと思います。パスがどんなにうまくても狩りはできないし、どれだけヴァイオリンがうまくても音ですぐ見つかって食べられてしまいます。
でも、人類を豊かにしています。
お笑い芸人さんは他人を笑わせて生活しています。こんな生物見たことありません。笑
アスリートもピアニストも画家も料理人もアイドルもお笑い芸人も本当に豊かだと思います。
そう考えると、研究者も人間の知識欲を満たすべく無駄ともいえることを全力でやっているわけです。すごく豊かな気がしてきてしまいました。
まあまた考えなんて変わるだろうけども。

妹は勉学で劣等感を抱いているみたいだが兄はサッカーではかなわない。
新4年  伊藤正人

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