2015年2月20日金曜日

苦しみを見つめて

僕はラントレーニングがとても嫌いだ。それは昔から変わらない。

2月に入り乳酸系トレーニングを週2で行うようになり、苦しんでる人も多いだろう。僕は新4年だから、新3年や新2年の後輩たちより今まで多くのラントレーニングを経験している。
そこで今日は、僕が3年間に及ぶア式生活で身につけた、苦しいトレーニングを乗り切るための有用な理論や考え方の一部をランキング形式で紹介したいと思う。
ちなみに、僕はこのような理論を3兆個持っているので、ランキングにするのはとても大変であった。これらの中から自分にフィットするものを選んで実践し、日々のトレーニングを素晴らしいものとしてほしい。

以下、有用度6位から順番に発表する

有用度ランキング
第6位 : 1/4理論

これはグラウンドの4辺を用いてトレーニングを行うことの多いア式では実践している人も多いであろう。
この理論に基づくならば、ラントレーニングは実は思っているよりも苦しくない。実際の苦しさは人が思い込んでるそれより1/4である。
何故ならば、グラウンドを一周するトレーニングにおいては、最初の一辺は最初だから頑張れる=きつくない。二つ目の辺は、徐々に苦しみが増えていくが最初の勢いのまま乗り切れる=そんなにきつくない。三つ目の辺は、ただただきつい。四つ目の辺は、ゴールが見えるから頑張れる=きつくない。
このように矛盾なく論理的に考えると、本当にきついのは全体の1/4のみ(3辺目)であるのだ。この真理を見つめずにグラウンド1周×10という数字を前にきつさを過剰に想像して打ちのめされるのは非常に愚かである。



第5位 : 記憶消去法

苦しみは記憶によって形成される。あなたがトレーニングによって肉体を追い込んでいるときに感じている苦しみは実はすべて過去のものである。あなたがそのトレーニングを苦しいと感じた瞬間には既にその苦しみは昔のものと化している。なぜならば時間は常に動いているからだ。
だから、あなたがそのトレーニングを苦しいと感じているのは、過去の遺産を溜め込んでしまっているからに他ならない。もう過ぎ去ったことであるのにそれを思 い出して辛さを感じる。これがどれだけ愚かなことなのかは明白だ。過去を後悔して立ち止まるよりも、前を見つめて歩を前に進めることの方が大切だろう。
だからあなたがすべきこと、それは過去を捨て去り苦しみを捨て去ること。目の前に広がる空間に喜びをもって身を投じることなのだ。
自分は大きな苦しみを経験したんだというなんの価値も持たない自己満足を一瞬一瞬の内に捨て去ることが出来ればトレーニングの苦しみはたちまち雲散霧消するだろう。



第4位 : 大きなリンゴ論

人はなにかと比較することによってあらゆる情報を獲得する。
目の前にあるリンゴが大きい、という情報は頭のなかに普通のリンゴの大きさが認識されているからこそ手にはいる情報であり、合コンで出会ったA子ちゃんが可愛い、という情報は、あなたがもっと不細工なB子ちゃんやC子ちゃんのことを知っているからである。
このことから冷静に判断すると、トレーニングの辛さを解消する方法が導かれる。
ずはり、より大きな苦しみをピッチ外で経験することである。
たとえば、失恋である。本当に人を愛し、何に変えてでもこの人を手にいれたいと感じ、しかし手に入らなかったとき、その喪失感は筆舌に尽くし難いだろう。その悲しみ苦しみはもはや言葉では表現できない。そのときあなたは、トレーニングの苦しみなど取るに足らないと感じるはずである。
人を愛せないものに、トレーニングは愛せない、ということだ。



第3位 : 主体的選択性

この手法を導入するなら、まずトレーニングの全体をいくつかに分割する必要がある。
例えば、全部で10本のトレーニングなら、5本、3本、2本に分けてみる。
その上であなたは、各セクションごとにやるかやらないかを選択することが出来る。まずは第一セクション、5本をやるかやらないか選択する。やることを選択したあなたはその5本だけに集中する。もちろん、やらないという選択も可能である
第一セクションを乗り越えたあなたは第二セクションの3本をやるかやらないか選択する。もちろん、やらなくてもいい。
そしてそれを乗り越えたら、最後の2本をやるかやらないか選択する。もちろん、やらなくてもいい。
こうすることで目の前の一本一本に集中できる。やらなくてもいいという選択肢を残すことで義務としてのトレーニングから決別する。
こうすることでより効果的で主体的なトレーニングとなるのだ。トレーニングは主体性を持って取り組まなければ意味をなさない。



第2位 : トレーニングを前に与えられた自由

ヴィクトル・E・フランクルによると、
人間に残された最後の自由は、どんな状況におかれても、その中で自分の態度を決めることだ。

彼はユダヤ人としてナチスの迫害にあいながらも、どれだけナチスが暴力的で理不尽であったとしても、それらに対して我々がどういった態度を取るのかは全くの自由であり、大切なのはその自由を行使して辛く過酷な状況であっても立ち向かっていくことだというのだ。

トレーニングは確かに苦しいかもしれない。途中で投げ出したくなるだろう。しかし、ア式に在籍する以上投げ出すことは許されない。そんな風に不動なるものとして立ちはだかるトレーニングに対し、弱味を見せてはいけない。そんな辛いトレーニングに対し、強固な意思と情熱によって立ち向かっていくのだ。人間に与えられた大いなる自由を行使し、自らにのし掛かる壁を打破するのだ。その壁の先に未来は見える。
肉体的な辛さを精神的な強さで乗り越えることが出来るということが、人間に与えられた偉大な能力であるのだ。



第1位 : 苦しみは世界で共有される説

あなたがトレーニングを苦しいと感じるとき、なんで自分だけがこんな苦しい思いをしなければならないのか、他の人(例えば普通の大学生)はほとんど苦しみもない生活を送っているというのに、と不満を持ってしまうだろう。
もちろんこの不満は妥当なものではないし、大学で部活をするという選択は自分でしたのだからトレーニングに励むのも当然なのだが、やはり普通の大学生の生活と比較して羨ましいと感じることも多いのである。
もしかするとあなたは、トレーニングをしているとき、本来なら感じる必要のない苦しみを感じていると思ってはいないだろうか。トレーニングをしなければ、部活をするという選択をしなければ、この苦しみは感じる必要がないんだと。
しかし、それが大きな間違いである。
この世の中は苦しみで満ちている。戦争、侮辱、争い、劣等、絶望、死、恐怖・・・。人生とはいわば落ちている苦しみを拾い上げながら目の前に広がる道を歩いていくようなものだ。だから、もしあなたが目の前に落ちている苦しみを拾わなければ、後ろに続く誰かがそれを拾う羽目になる。
もしあなたに愛情があるのなら、他の誰かの分まで苦しみを拾ってあげよう。そうすれば、その他の誰かは、さらに他の誰かの分の苦しみを拾ってあげることが出来るのだ。そうした愛情の連鎖の上で人々の幸せは成り立っている。トレーニングを克服するということも、そうした愛情の連鎖のために必要なことなのだ。
世界は苦しみと愛情で出来ている。





ここまで、トレーニングの苦しみを乗り越えるために有用な理論を紹介してきた。
これらの内から自分にフィットするものを見つけ実践してほしいと冒頭で書いたが、実は有用なようで、これらの理論や考え方はすべて必要のないものである。何故ならば、これらの理論や考え方はすべて”トレーニングは苦しい”という前提に立って考えられたものではあるからだ。この前提が実は間違っている。

そもそもトレーニングは苦しいものではない。
自分の体という自分にしか扱うことの出来ない資本をもとに、それらの力を最大化するための努力を重ねること、それがトレーニングである。
他の何人たりともあなたの体を動かすことはできないのだから、あなたが行うトレーニングというのは、あなただけに与えられた特権である。トレーニングが出来るというのはこれ以上ない喜びであるのだ。

もしあなたがトレーニングを苦しいと感じているならば、それはトレーニングの本質を理解していないからである。トレーニングの本質を理解していないとすれば、サッカープレーヤーとして失格である。


高みを目指すなら自覚するべきだ。トレーニングの苦しみを産み出しているのは、他でもないあなたのトレーニングに対する未熟なメンタリティであるということを。

Hayato GYOTEN

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