2015年3月20日金曜日

今週は卒部式

 去年も卒部式の週に、僕はfeelingsを投稿したのを覚えている。去年初めて出た卒部式では、憧れの眼差しでいつも見ていた、リーグ戦で活躍した四年生から、あまりピッチで関わりはなかったけどサッカーに全力だったBチームの四年生、僕と同じCチームで、チームを引っ張りプレーや背中で最高学年たる姿勢や熱さを教えてくれた四年生が、四年間ア式でサッカーしたことを振り返って、様々な想いを語ってくれた。一番多く語られたのは、やはり四年間ただただ追い続けた関東昇格を果たせなかったことへの無念だ。どれだけ頑張っても叶えられない夢は現実的にあるのかもしれない。そして、最も強く感じたもう一つの無念は、リーグ戦に出ていた主力選手以外の四年生の無念だ。小さい頃からサッカーを続けてきて、大学で本気でやるサッカーは最後になるというのに、その最後がピッチの外なのだ。その無念は想像を絶するだろう。将来社会人になっても苦々しく心に残るだろうし、墓場まで後を引くかもしれない。でも、ほとんどのアスリートも同じく無念を抱いて現役引退する。夢を抱いてアスリートの道に入り、その夢のために努力を惜しまず続け、結果華々しく活躍する人もいれば、思った結果も出ずに辛酸をなめ続ける人もいて、でもみんな最後は、もう少し上で長く続けたかったとか、一度でも栄光を手にしたかったとか、大小別れるが無念を抱いて引退するのだ。ア式で、チームの目標を達成出来ずに無念を抱くAチームの人も、最後にピッチの外で応援で終わる人もみんな同じだ。みんなそれぞれの険しい夢を抱いて進み出すが、将来それが失敗に終わり、夢のために努力した時間を他に自分に見合ったものに費やした方がよかった、馬鹿な選択をした、と他人から卑下され愚弄されるかもしれない。自分自身も、一か八かの夢を追いかけてただ失敗しただけだったと嘆き後悔するかもしれない。しかしその可能性があることを認めた上でなお理屈以上の抑えがたい欲求を持って、夢を叶えようとしている。(もちろん自分は必ず夢を叶えられる、絶対結果を残せるという何の疑いもしない強い自信を持っている人もいるだろうが。)
 

 僕は、先月LB2チームになり、実質戦力外通告され、ア式にいることの意味を考えた。Bチームに入れず辞めていった人や、選手としてではなくスタッフとしてチームに貢献すると決断した人もいる。しかし、僕は一週間のオフでどう考えても、どうしてもサッカーしていたいし、試合に出て活躍したいという気持ちは変わらなかった。変わったことといえば、これまではただただ上手くなって試合に出ようと思って努力していただけだったのが、上で述べたように、失敗に終わり、なんの意味もない四年間だったなと他人に評価される可能性があること、それを知りそれでもなお俺はサッカーを続けたいと思っていることを知れたことだ。たった四年間しかないかけがえのない大学生活を部活に費やすことは、取り返しのつかない一か八かの賭けだったことに最近ようやく気づけた馬鹿な自分だが、そんな馬鹿だからそれでもア式でサッカーをやろうとまだ思うのだろう。でもアスリートは、僕のようなたかだか大学四年間どころではなく、人生80年を賭けた大勝負に打って出ていると思うと、頭が上がらない。何かを犠牲にしなければ何も手に入らないのだから、プロのアスリートから見ればほんのわずかな四年間を賭けて、プロのアスリートから見ればほんの些細な、リーグ戦に出て活躍し、チームの関東昇格に貢献するという夢を叶えよう。ほとんどの人が最後に抱く無念を自分だけは絶対に抱かないで終わってやるっと思える馬鹿な自分に感謝して。


 あと一つ最近気づけたのは、サッカーと日々の生活は繋がっているということだ。これは最近時々練習に参加している某サークルで学べたことだ。これまでの自分は、一日不毛に過ごしてしてしまっても部活で昨日よりも良いプレーを出来ればそれでいいと思っていた。でも、どんなスポーツでも同じことが言えるが、サッカーにはゴールや勝利という目的があり、ボールを持てば、誰にどんなパスを出すか、ドリブルして相手を抜くか、シュートを放つかなどの選択に迫られ、ボールを持っていなくとも、ボールホルダーのパスをもらいに行くか、裏を狙うか、ボールを失った後すぐ危ないところを守れるよう準備しておくかなどの選択に迫られる。つまり、大きな目的のために、より良い選択を常に判断して目的に近づいて行く。これは日々の生活や人生と同じだ。将来の夢を叶えるために、日々何をいつどのように努力していくか人は考えて行動していく。その判断が正しければ夢は叶えられるだろうし、判断が正しくなかったり、行動出来なかったりすると夢は叶えられないだろう。こう考えると、正しい選択の判断の仕方は、サッカーを通して、日々の生活や人生で活かせるし、日々の生活を通してサッカーに活かせるはずだ。前者は、これまで僕は全然考えたことがなかったが、僕たちのやっているサッカーは、お金を貰ってやってるわけでもないし、生活がかかっているわけでもないのだから、所詮は趣味の範囲を出ない。そんな趣味を趣味で終わらせてしまうのは、子供の頃だけでいいのではないか。大学まで来て趣味をやらせて貰ってるのだから、趣味を趣味として完結させてしまうのではなく、趣味から学べることはとことん学ばねばならないと思う。後者は、日々の生活でより夢のために、様々なことに神経を使って、より正しくより充実させている人は、サッカーでも常人が考えもつかない最良の手を選択できるだろうし、パスやドリブルなど一つ一つが丁寧で雑にこなすということは絶対しないだろう。だから、毎日雑で何も考えずに過ごしていてはダメだし、サッカーやってるときにただガムシャラにやっていてもダメなんだと肝に命じて、サッカーも日々の生活もやっていこう。そして、サッカーにゴールや勝利という目的があるのだから、人生においても、まだまだはっきりとしない夢をしっかり定めたい。目的や目標から逆算して今の行動を選択するべきだから。サッカーにおいても生活や人生においても。最近はそう思っている。みんなわかっていることかもしれないが、最近ようやく気づけたのだから、まるで世紀の大発明かのような熱を持って書いちゃいました。


新幹線開通万歳!

新3年DF・出戸秀典

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