2015年3月24日火曜日

Foot ball is ...

  先日新歓用の写真を撮っていたとき、「Foot ball is ○○ for me.」と書いたホワイトボードを持って撮影しよう!ということになった。私はその時見栄えを考えて○○の部分に「宝物」と書いたが、きれいごと過ぎて全くしっくりきていなかった。するとある先輩が、

「まあ正直に書くとすれば、“サッカーは麻薬”かな。」

と言った。この言葉が、びっくりするするくらい心にすとんと落ちた。
あぁ、そうか、三日坊主で、日記もダイエットも継続できたことはなく、連ドラは一話だけ見てやめてしまうような私が13年間もサッカーを続けているのは、“サッカー中毒”だからか、と。

 13年間のサッカー人生、思い返せば、いくらでもやめるタイミングはあった。

 小1で、男子チームでサッカーを始めたばかりのころ。ボールは自分の思い通りに動かないし、ゲームをやっても全然ボールに触れないし、ペアを組んでやる練習ではいつも余ってコーチにやってもらっていたし、話し相手もいなかった。私が女子で、その上、下手くそだったから。挙句の果てに父には
「うまくなる気がないなら、今すぐ監督に電話してやめるっていいんさい。」
と携帯電話を渡された。

 小4から、女子のトレセンに参加し始めて、やっとサッカーが楽しいと思えるようになった。小5・小6の時には、全国大会メンバーに選ばれて、大舞台を経験することもできた。でも、やっぱり私は下手くそで、メンバーの中では最底辺で、全国大会でもずっとベンチに座っていた。遠くの会場までわざわざ見に来てくれた父に、ひたすら申し訳なかった。それまでは「将来の夢はなでしこジャパン」と言っていたが、それが恥ずかしくて言えなくなった。自分より上手な人はいくらでもいるんだと気づかされたから。

 小6の時、男子チームを止めて女子のクラブチームに入った。中学生になると、小学生の時に一緒に全国を戦った仲間のほとんどが同じチームに入ってきた。
「このチームでは私の方が経験長いから、私がひっぱらないと。」
そう思ったが、無駄だった。だって私はみんなよりサッカーが下手くそだったから。同期はみんな本当に上手で、今ではなでしこリーグのチームに所属する人もいる。サッカーが上手い方が監督や先輩からかわいがられ、後輩から慕われ、チームでの発言権が増し、主導権を握っていく。サッカーは実力社会だと身に染みて感じた。私は練習でも試合でも蚊帳の外だった。特に、同期の中で私だけ試合に出られなかった時、後輩が入ってきてどんどん追い越されていく時が辛かった。毎日のように送り迎えをしてくれた父。帰りの車の中はいつも空気が重かった。私が下手くそで、試合に出られないから。
 差を埋めようと努力はした。人より2倍練習しないと追いつけないと思ったから、中学校でもサッカー部に入って、男子と一緒にプレーした。実際、練習時間はチームメイトの2倍に近かった。それでも、私は補欠だった。
 中3の時に再び全国大会に出場し、準優勝を果たした。それまでの努力が実り、決勝戦ではフル出場することができた。でも広島に帰る途中で行われた練習試合で、私は監督に会場の外に追い出されるほどひどいプレーをしてしまった。その時監督に言われた。
「お前のその銀メダルは、お前の力で取ったんじゃない。上手な同級生や後輩達に“取らせてもらった”メダルだ。」
さらに後日、後輩がこう言っているのを聞いた。
「全国の決勝の前、監督が“最後の試合は3年生主体でいく”って言っとったよ。」
努力の結果だと思っていた決勝戦フル出場さえ、監督の温情だったと知った。

 高校生になり、同級生たちが様々な進路を選ぶ中、私はそのチームに残った。チームは中学生主体で、高校生は私を入れて2人しかいなかったが、このままで終わりたくないし、監督に認められたいと思っていた。
 でも高校生になっても監督に怒られてばかりで、中学の時と相も変わらず後輩たちの前で泣かされていた。試合ではスタメンに入れるようになったけど、いつも途中交代させられていた。周りの中学生たちは年代別代表やナショナルトレセンに選ばれるようなスーパー中学生ばかりで、私の代わりはいくらでもいた。父は私の活躍を期待して、毎回試合を見に来て、ゴール裏で写真を撮ってくれていた。交代して、その父の後ろを通ってベンチに戻るときは、いつも申し訳なくて泣きそうだった。
 ある時プレーがあまりにひどくて父に言われた。
「お前がおっても、中学生たちの足を引っ張っとるだけじゃないんか。お前がおらん方がきっと中学生たちもやりやすいよ。このままじゃおる意味ないし、そろそろ引き際なんじゃない?」
 それでも高3の7月までそのチームでサッカーを続けた。結局、中高時代のほとんどの時間をサッカーに捧げていた。引退後、受験勉強をしながら、「もう辛い練習にいかなくてもいいんだ、監督に怒られることもないんだ。」と解放された気分だった。

 そして、大学に入学して私はまた、サッカーを選んだ。
 楽しい思い出より辛い思い出が多いのに、休日に遊びに行く約束をしている友人たちを、うらやましいと何度も思ったのに、13年間もやり続けるなんてきっと他人から見たらばからしい。
 それでもまた、この道を選んだのは、

スタメンで名前が呼ばれた時の
パスがきれいに通った時の
相手を置き去りにした時の
試合に勝った時の
そして何より、ゴールを決めた時の

あの“快楽”を味わいたいからだと思う。

 正直、入部前には予想もしていなかった仕事を任されても、サッカーをするため、試合に出るためだと思えばがんばれる。
 
 大学に入ってまだサッカーをすると言った私に、母は正直あきれていたようだが、
私がサッカーという“麻薬”を捨てられる日は、まだまだ遠そうだ。



三日坊主は相変わらず。最近またダイエットに挫折しました。
女子部 新2年 大坪佳夏子
(女子部は以後、毎月第4月曜日に投稿させていただきます。
今回は投稿が遅れてしまいました、申し訳ありません。)
 
 
 

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