2015年6月19日金曜日

マスタープログラム


彼らは各自それぞれがユニットを構成するためのマスタープログラムを持っている.それは,ユニットの設計図であり,行動規範である.各自がそれらのルールに則り,ユニット全容を把握した上でそれぞれの役割をこなすように機能分化している.それぞれがそのような莫大な量の情報を持つことは無駄なような気もするが,どうやらそのほうが効率がいいらしい.そのマスタープログラムは時たまミスコピーされながら次世代へ受け継がれる.彼らが構成するユニットには,マスタープログラムを反故にするかのように振舞う変異体もあるらしいが...

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僕らア式部員は組織全体のマスタープログラムを持っているのだろうか?ア式全体の現状を把握しつつ,目標に向けて自分がどのような役割をすべきか考え行動するためのヴィジョンを持っているのだろうか.

自分の答えはNoである(少なくとも自分が持っていないので,自分でさえ持ってないのだから,という類推であるが...).これだけ大きな組織の中で全体を常に考えられている人は少ないのではないだろうか.
各個人が全体を事細かに把握し,その上で個々の役割を果たしていくほうが組織としてはいいのかもしれない.しかし,やはりそのための労力が多すぎると思うし,もちろん自分がその肯定派だと言いたいわけではない.

それでも,組織がひとつの方向に向かって進んでいくためには規範や目標達成までのヴィジョンが必要である.各自がバラバラに,好き勝手に行動していては組織の進みたい方向にスムーズには進めない.
しかし,そのために一々の行動についての規範を持たなくても,共通の"意志"があれば十分であろう.それは唯一の,かつシンプルなマスタープログラムとも言える.僕らにとっては

「ア式が関東で戦えるチームになるために最も善いと思うことをなんでもやれ」

というものだ.
ア式のメンバーは「関東」を目標に活動しているはすだ.そのプログラムを自分で組んだのか,他人に組み込まれたのかは知らないが,少なくとも全員が持っているものだと思っている.基本的にこのマスタープログラムを持たないものは排除すべきだと思うし,このシンプルな命令の下各自が活動すべきだろう.
個人的には,このマスタープログラムを持たずに,もしくはより強い他のプログラムの下にア式を目標に近づけてくれる変異体のほうが興味あるが...)

このプログラムは厳しい"縛り"に見えるかもしれないが,はるかに自由なものである.確かに個人が「関東」を目指して鍛錬する義務は要求するが,過程に関する義務は何もない.各自のやりたい手段がこの規範に対して正当化できれば積極的に実行していくべきである.
厳しければ良く,ラクしてるのがダメということでは決してない.むしろできるだけ楽しくやることも良いだろう.少し遠回りに見えることも,各個人には不利益に思えることも,僕ら"東大ア式"が関東で戦える強いチームになるために"善い"と思うことはなんでもやっていこう.


清水が生んだサッカーの申し子
7番 酒井加里武

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