2015年9月7日月曜日

「お疲れ様です、フウです」





御殿下ジムの出口受付でこの一言。

「お、お疲れ様です、フウです」

御殿下ジムでは入館時に当日券あるいは年パスなるカードを提出し、退館時にそのカードをスタッフから受け取るシステムとなっている。その間、カードは年パスと当日券で大別され、さらに年パスは名前がア行、カ行、・・・と分類されている。たぶん。

顔なじみ(たぶん)のスタッフの方でなかった場合
「え、はい?」
「あ、フウです」
「い、いーっと」
「う、うーん」

困惑するフウ童貞のスタッフの方の隣にはフウ経験豊富なスタッフの方が大抵いらっしゃる。フウ童貞の方はなぜか必ず当日券のほうから隈なく探して見つからないと年パスのほうをちらっと探す。本当にちらっとである。必ずである。しかも、ハ行ではなくタ行あたりを探している。たぶん。そもそも名前聞き取れていないか信じていないのなら見つからないぞと思わず心の中で「ふう」と息を吐く。そして

「お名前もう一度いいですか?」と聞く。

「そしてお前は『お名前もう一度いいですか?』という」
「お名前もう一度いいですか?ハッ!」
「フン」
「なぜ分かった!?」
さながらジョセフ・ジョースターである。

「あ、フウです」

するとまた当日券を隈なく探し年パスを探すというくだりを繰り返す。さっきまでなんていう名前を探していたのか気になるところである。「お疲れ様です、フウです」からこの間、実に20秒である。たまらずベテランスタッフの方が動きだす。申し訳なさそうに新米スタッフに年パスのハ行を指差す。新米スタッフを急いでハ行からフウのカードを探し当てる。本当にフウなんだという驚き(たぶん)と軽い達成感(たぶん)に満ちた顔でカードが僕に渡される。
「すいません、お待たせしました。お疲れ様です」
「いえ、いえ。どうも、どうも。お疲れ様です」

と僕も少しも気にしてないよと言わんばかりに唇を丸め肩をすくめてみせる。フウの得意技である。この間、実に33秒である。

「『フウあるある』ですか?」
「いえ、違います。」


とまあなんか気に食わない、不快なルーティンのように描いたが、そんなふうにはまったく思ってない。むしろ気持ちいいのだ。

フウはフウであることを確認し安心するのである。

『東大の真ん中でフィットネス!』のついでに
『東大の真ん中でアイデンティティー!』というわけである。

個人差はあれど多かれ少なかれ人はみんな他者あるいは社会の存在に左右されて、あるいは依存していると思う。絶対的ななにかにだけ生きがいや道を定めて生きるのは現代の社会ではほぼありえないはずである。龐煖(ほうけん)でさえ武の道を一人極めんとしていたが結局国同士の戦争に身を投じていく(漫画『キングダム』参照)。

ぼくは絶対的なものが自分のなかに占める割合がたぶん大きくない。他者との関係性のなかにどっぷり浸かってきたし今後もたぶんそうなる。人を馬鹿にし、嫉妬し、好きになる。人にけなされ、ほめられ、助けられ、愛される。

そんなわけでルーティン含め何気ない会話がフウにはかけがえがない。じつに楽しい日々である。そんな日々に大きな危機が迫ってきている。しんごさんのfeelingsを読んで「そうかもうか」
気づいてしまった。
別に会えなくなるわけじゃないが(たぶん)。
4年生には多大に寄りかかってきた。実に73kg分預けてきた。残るのは5kg弱か。さながら乳飲み子である。

となるとやはり絶え間なく
『東大の真ん中でフィットネス!』
『東大の真ん中でアイデンティティー!』
いろいろpump upしとかなければ。

一般に別れが辛いとされるのは、他者との関係性とは関係性という枠を飛び越えてもう自分の一部になっていることが往々にしてあり、別れとは自己喪失の一種だからではなかろうか。

スペシャルなことをするのはあまり好きではない。日々一緒にサッカーを楽しむ。それだけである。乳飲み子は辛くてもいつか必ず旅立たなければならない。母からの愛、母への愛・感謝を胸に秘めて。

3年 フウ タカナオ


P.S.  しんごさん 前、堀北真希は処女だと聞きましたよ

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