2015年2月22日日曜日

目の前

自分は計画性のない人間だ。木曜日に投稿しなくてはいけないこのfeelings、結局日曜日に投稿してしまう。


そんな私は元旦に、ア式での最終目標とそこに至るための大雑把な成長計画を立てた。自分の強みと弱みを整理して理想像をつくった。これは本田圭佑のマネでもあるし、そして、たくさん練習したが成長の少なかった去年の反省によるものである

オフが終わり、練習が始まった。練習を長期的な視点から行おうとした。理想の自分を追いかけるために、失敗に対しても将来の自分に対する投資だと思ってプレーした。一週間の練習でたくさん失敗したけど、それは自分のたてた成長計画通りであって、これから改善すればいいことだから焦るな、と自分に言い聞かせた。
そして少し時間がたって、久しぶりの練習試合、計画していた課題を達成できず成長を感じなかった。

ひっかかることがあった。
果たして、自分は練習に熱中していたのか。目の前のプレーにどれだけ本気で取り組めていたのか。

未来の理想像を見すぎて、目の前のことを軽視してしまっていたのかもしれない。無意識のうちに、一つ一つのプレーに対するこだわりが薄れ、多々ある失敗の解決を先送りしていたのかもしれない。敗北を軽視していたのかもしれない。それでは目標に達成するどころか、成長は全くない。

現在のチーム状況をみると同じ事が言えるかもしれない。降格を受けて、再昇格そして関東昇格への計画を立て、様々な改革をした。しかし、今季の練習試合の結果はAB含めて1勝9敗。確かに格上の相手と試合しているからかもしれない。やりたいことは出来てきているかもしれない。でも1度この結果を振り返ってほしい。目の前の勝負に熱中しているのか、目の前の一点にこだわれているのか。

自分は今現在「サッカー」の機会が少なくて、たくさんの試合がある立場がうらやましいから、こんな偉そうなことを言ってしまうのかもしれない。けど目の前の機会がどれだけ大切な事なのかを知った。現実に向き合って日々修行あるのみ。


新2年 山本健


2015年2月20日金曜日

苦しみを見つめて

僕はラントレーニングがとても嫌いだ。それは昔から変わらない。

2月に入り乳酸系トレーニングを週2で行うようになり、苦しんでる人も多いだろう。僕は新4年だから、新3年や新2年の後輩たちより今まで多くのラントレーニングを経験している。
そこで今日は、僕が3年間に及ぶア式生活で身につけた、苦しいトレーニングを乗り切るための有用な理論や考え方の一部をランキング形式で紹介したいと思う。
ちなみに、僕はこのような理論を3兆個持っているので、ランキングにするのはとても大変であった。これらの中から自分にフィットするものを選んで実践し、日々のトレーニングを素晴らしいものとしてほしい。

以下、有用度6位から順番に発表する

有用度ランキング
第6位 : 1/4理論

これはグラウンドの4辺を用いてトレーニングを行うことの多いア式では実践している人も多いであろう。
この理論に基づくならば、ラントレーニングは実は思っているよりも苦しくない。実際の苦しさは人が思い込んでるそれより1/4である。
何故ならば、グラウンドを一周するトレーニングにおいては、最初の一辺は最初だから頑張れる=きつくない。二つ目の辺は、徐々に苦しみが増えていくが最初の勢いのまま乗り切れる=そんなにきつくない。三つ目の辺は、ただただきつい。四つ目の辺は、ゴールが見えるから頑張れる=きつくない。
このように矛盾なく論理的に考えると、本当にきついのは全体の1/4のみ(3辺目)であるのだ。この真理を見つめずにグラウンド1周×10という数字を前にきつさを過剰に想像して打ちのめされるのは非常に愚かである。



第5位 : 記憶消去法

苦しみは記憶によって形成される。あなたがトレーニングによって肉体を追い込んでいるときに感じている苦しみは実はすべて過去のものである。あなたがそのトレーニングを苦しいと感じた瞬間には既にその苦しみは昔のものと化している。なぜならば時間は常に動いているからだ。
だから、あなたがそのトレーニングを苦しいと感じているのは、過去の遺産を溜め込んでしまっているからに他ならない。もう過ぎ去ったことであるのにそれを思 い出して辛さを感じる。これがどれだけ愚かなことなのかは明白だ。過去を後悔して立ち止まるよりも、前を見つめて歩を前に進めることの方が大切だろう。
だからあなたがすべきこと、それは過去を捨て去り苦しみを捨て去ること。目の前に広がる空間に喜びをもって身を投じることなのだ。
自分は大きな苦しみを経験したんだというなんの価値も持たない自己満足を一瞬一瞬の内に捨て去ることが出来ればトレーニングの苦しみはたちまち雲散霧消するだろう。



第4位 : 大きなリンゴ論

人はなにかと比較することによってあらゆる情報を獲得する。
目の前にあるリンゴが大きい、という情報は頭のなかに普通のリンゴの大きさが認識されているからこそ手にはいる情報であり、合コンで出会ったA子ちゃんが可愛い、という情報は、あなたがもっと不細工なB子ちゃんやC子ちゃんのことを知っているからである。
このことから冷静に判断すると、トレーニングの辛さを解消する方法が導かれる。
ずはり、より大きな苦しみをピッチ外で経験することである。
たとえば、失恋である。本当に人を愛し、何に変えてでもこの人を手にいれたいと感じ、しかし手に入らなかったとき、その喪失感は筆舌に尽くし難いだろう。その悲しみ苦しみはもはや言葉では表現できない。そのときあなたは、トレーニングの苦しみなど取るに足らないと感じるはずである。
人を愛せないものに、トレーニングは愛せない、ということだ。



第3位 : 主体的選択性

この手法を導入するなら、まずトレーニングの全体をいくつかに分割する必要がある。
例えば、全部で10本のトレーニングなら、5本、3本、2本に分けてみる。
その上であなたは、各セクションごとにやるかやらないかを選択することが出来る。まずは第一セクション、5本をやるかやらないか選択する。やることを選択したあなたはその5本だけに集中する。もちろん、やらないという選択も可能である
第一セクションを乗り越えたあなたは第二セクションの3本をやるかやらないか選択する。もちろん、やらなくてもいい。
そしてそれを乗り越えたら、最後の2本をやるかやらないか選択する。もちろん、やらなくてもいい。
こうすることで目の前の一本一本に集中できる。やらなくてもいいという選択肢を残すことで義務としてのトレーニングから決別する。
こうすることでより効果的で主体的なトレーニングとなるのだ。トレーニングは主体性を持って取り組まなければ意味をなさない。



第2位 : トレーニングを前に与えられた自由

ヴィクトル・E・フランクルによると、
人間に残された最後の自由は、どんな状況におかれても、その中で自分の態度を決めることだ。

彼はユダヤ人としてナチスの迫害にあいながらも、どれだけナチスが暴力的で理不尽であったとしても、それらに対して我々がどういった態度を取るのかは全くの自由であり、大切なのはその自由を行使して辛く過酷な状況であっても立ち向かっていくことだというのだ。

トレーニングは確かに苦しいかもしれない。途中で投げ出したくなるだろう。しかし、ア式に在籍する以上投げ出すことは許されない。そんな風に不動なるものとして立ちはだかるトレーニングに対し、弱味を見せてはいけない。そんな辛いトレーニングに対し、強固な意思と情熱によって立ち向かっていくのだ。人間に与えられた大いなる自由を行使し、自らにのし掛かる壁を打破するのだ。その壁の先に未来は見える。
肉体的な辛さを精神的な強さで乗り越えることが出来るということが、人間に与えられた偉大な能力であるのだ。



第1位 : 苦しみは世界で共有される説

あなたがトレーニングを苦しいと感じるとき、なんで自分だけがこんな苦しい思いをしなければならないのか、他の人(例えば普通の大学生)はほとんど苦しみもない生活を送っているというのに、と不満を持ってしまうだろう。
もちろんこの不満は妥当なものではないし、大学で部活をするという選択は自分でしたのだからトレーニングに励むのも当然なのだが、やはり普通の大学生の生活と比較して羨ましいと感じることも多いのである。
もしかするとあなたは、トレーニングをしているとき、本来なら感じる必要のない苦しみを感じていると思ってはいないだろうか。トレーニングをしなければ、部活をするという選択をしなければ、この苦しみは感じる必要がないんだと。
しかし、それが大きな間違いである。
この世の中は苦しみで満ちている。戦争、侮辱、争い、劣等、絶望、死、恐怖・・・。人生とはいわば落ちている苦しみを拾い上げながら目の前に広がる道を歩いていくようなものだ。だから、もしあなたが目の前に落ちている苦しみを拾わなければ、後ろに続く誰かがそれを拾う羽目になる。
もしあなたに愛情があるのなら、他の誰かの分まで苦しみを拾ってあげよう。そうすれば、その他の誰かは、さらに他の誰かの分の苦しみを拾ってあげることが出来るのだ。そうした愛情の連鎖の上で人々の幸せは成り立っている。トレーニングを克服するということも、そうした愛情の連鎖のために必要なことなのだ。
世界は苦しみと愛情で出来ている。





ここまで、トレーニングの苦しみを乗り越えるために有用な理論を紹介してきた。
これらの内から自分にフィットするものを見つけ実践してほしいと冒頭で書いたが、実は有用なようで、これらの理論や考え方はすべて必要のないものである。何故ならば、これらの理論や考え方はすべて”トレーニングは苦しい”という前提に立って考えられたものではあるからだ。この前提が実は間違っている。

そもそもトレーニングは苦しいものではない。
自分の体という自分にしか扱うことの出来ない資本をもとに、それらの力を最大化するための努力を重ねること、それがトレーニングである。
他の何人たりともあなたの体を動かすことはできないのだから、あなたが行うトレーニングというのは、あなただけに与えられた特権である。トレーニングが出来るというのはこれ以上ない喜びであるのだ。

もしあなたがトレーニングを苦しいと感じているならば、それはトレーニングの本質を理解していないからである。トレーニングの本質を理解していないとすれば、サッカープレーヤーとして失格である。


高みを目指すなら自覚するべきだ。トレーニングの苦しみを産み出しているのは、他でもないあなたのトレーニングに対する未熟なメンタリティであるということを。

Hayato GYOTEN

2015年2月16日月曜日

この1年

最近同期の選手やスタッフの先輩がア式を去ってしまったり、高校の後輩や浪人中の友人が大学に合格した報告を受けたりして、新しい季節がまもなくやってくることを実感させられます。もう1年がたとうとしているんですね。
昨年の今頃は、正直春から東京で大学生しているなんて想像していませんでした。実家から通える大学はたくさんありましたが、自分の学びたいことを追究するためにやっと夢をかなえたのに、実際にはそこに厚い壁があって、消化しきれないことが多く存在して、時には演奏や技術を否定されて涙目になって家に帰ったり・・・、果たして自分はここにきてよかったのだろうかと考えることがあります。高望みであったことを現実のものとしてしまったのかもしれないと感じます。それゆえひどい現実をつきつけられることは多いですが、一方でその恩恵も多いことは事実です。だからこそ、がんばることができます。
贅沢な悩みをもてるのも、好きなことを追究できるのも、意識の高い方々に刺激をもらえるのも今のうちかもしれません。そして同様に、文武両道、ア式で仕事ができる人になることも、美しい女性になることも、高望みではなくて現実にします。がんばります。




新2年スタッフ    谷口    紗彩

春休み

とうとう先週で学部最後の試験が終わって(残るは院試)、配属先の研究室も決まり、先日挨拶に行った際には、「この休みがゆっくりと過ごせる最後の長期休暇だからね」としっかり脅されてきました。

最近1年生から、「何学部ですか?」って聞かれることも増えてきたんですが、野中さんに始まり、5代連続で続いていた化生の伝統が途切れてしまったこともあり、化生の知名度が下がってきているので少しだけ紹介を。

化生の正式名称は工学部化学生命工学科で、名前からも見て取れるように化学も生物も両方やれるよってところをアピール材料にしています。大学に入ってから1年半でやりたいことを絞りきれなかった人に、さらに1年半の考える猶予を与えてくれる優しさ・・・?と、両方やれよっていう厳しさも兼ね備えています。

僕が入る研究室は、身近なものとしては今このfeelingsを見ているであろうスマホやパソコンのディスプレイに使われている液晶についての研究などをやっています。

そもそも液晶は、物質の第4状態と言われていて、固体と液体の中間に位置するもので、構成する分子の位置はランダムでありながら、分子の向いている方向が揃っているという特徴があります。この分子を配向膜という膜で並べて、それを釣り用のサングラスなどに使われる偏光板で挟み込んだものがディスプレイに使用されています。

偏光板にはある方向の光しか通さないという性質があり、二枚の偏光板を90°の向きで重ねると光を通さなくなるのですが、配向膜で90°にねじれたように配置された液晶分子によって、その隙間を誘導されるように光が通る結果、光の向きが90°回転し、偏光板を光が通過するようになります。

また二枚の配向膜の間に電圧をかけると、今度は液晶分子がその電界の向きに並ぶために、光が液晶分子の影響を受けずに直進してしまうので、偏光板を通過できずに、光がこちら側に届かなくなります。

この光を通す、通さないというやり取りが何百万、何千万画素というようなディスプレイを構成する各点で行われ、これにフィルターで色を付けたりすると、今見ているディスプレイが完成します。



・・・とまあそれっぽく書いてみましたが、まだ研究は一切やっていない自分なので、化生の先輩方に聞いてもらえるともっと参考になると思います、、、

とりあえず化生、覚えておいてね(笑






話はガラッと変わって、昨日の慶應戦。やるべきことをやるっていうのはああいうことなのかなと感じました。とんでもなく久しぶりに試合でサイドバックをやったのですが、サイドで個人が強引に仕掛けてくるような場面はほとんどありませんでした。この相手なら抜けるから仕掛けてくるというのではなく、敵がどのような相手であろうと通用するであろう、複数人の関わりからの突破を連続してくるあたりに強さを感じました。


個で抜ける相手なら、突破してチャンスをつくれるというサッカーが通用しないのは今までに散々痛感してきたことで、1足す1が2より大きくなって、個では劣ってしまっている相手に勝つ、そのためのサッカーの1つの正解例として、昨日の慶應のサッカーが脳裏に焼き付きました。



そしてもう1つ、ここ最近やった慶應も学芸もLBRBも、フィニッシュの精度が高いことを痛感しました。枠の4隅にボールを蹴り込む技術に長けていて、ポストに当たって入ったり、サイドネットに決めたり。ゴールを奪うためには、ここまでこだわらなければいけないんだなということをひしひしと感じました。

結局最後は個人っていうのはまさしくこういうところが含まれてくるんじゃないかと思います。個人で1人はがしてシュートを打つということではなく、複数人の連携から崩して得られたシュートチャンスを確実に決めきるための個人の技術。途中の崩しの過程でもパスをずらさないとか個人が関わるところはあるけれど、最終的にはシュートを打つという本当に最後の最後のところで個人が関わってくる、「結局最後は個人」の「最後」をできる限り遅らせられればいいのかなと、、、

最近はフィニッシュの練習も増えていて楽しいけれど、それ以上にもっともっとこだわらなければいけないと思ってます。もしファーストタッチをミスってしまって、その練習の中での流れは切れてしまっても、そこでシュートまで適当になったら結果として何の意味もない。もちろん、裏へのロンボを完璧なファーストタッチでいいところにおいてスムーズにシュートまでいって決めるのが1番だけど、それをミスしても最終的にボールがゴールの中に入ることが大事で、そこにこだわっていきたいです。とりあえず今シーズン最初のゴールを早く決めたい。。。




この間の投稿からあんまり間隔が開いていないことに気が付く人がいるかもしれませんが、そこらへんは察してください。(主にこの前の投稿と、その前の投稿の間隔が開きすぎているのが原因)

新4年 片瀬 郁也

2015年2月14日土曜日

人間らしさ

同期の人たちが社会という新たな世界に飛び出そうとして業種を選び、企業を選び、そしてその企業に選ばれようと自分を分析し今までと違った扉を開けようと戦っているのを見ると、なんだか少しうらやましくなるとともに大きな流れから取り残されたような感覚を覚えます。
そんな中でまあ一応自分は研究という、新しい世界と言えないこともない環境にそろそろ身を置くことになります。
研究室選びには、雰囲気、教授の人柄、成果、お金、研究内容、部屋の広さなどいろいろな要素が含まれています。企業選びと似ているのではないでしょうか。
大きく違うのは定員を超えたらくじ引きで決定することでしょう。ここまできてくじ引きかーいっていう感情もなくはないのですが、突然人間力を測られてよく理由もわからずに、まるで人格を否定されたかのように落とされることもあろう就活と比べたら文句も言えません。
いやほんとにみんな頑張ってください!みんな一緒に働きたいと思える人ばかりなので大丈夫だとは思いますが。
僕はくじ引き頑張ります。

体制変更をしたア式において、自分の存在価値を考えます。
残念ながら今のところとくにないと言わざるをえません。
今までサッカーをしてきて、ん、というか振り返ってみてもサッカーしかしたことないですね。
塾もピアノもそろばんも水泳も何一つ。学校とサッカーだけ。
そのサッカーですらへぼいのであればもうそりゃ大変だ。どうする。何ができる。
受動的な態度で生きてきたことが自分の中でも明るみに出てしまいました。何にも習ったことがないのもやりたいと言わなかったからです。やりたいと頼めばやらせてくれる家族なのはわかっているので、自分がやらなかっただけです。
こんなことでは価値を生み出せるはずがありません。
イノベーションのためには20年以上培ってきた態度を乗り越えなくてはなりません。
やめてしまえばア式の誰にも迷惑をかけることもなく、自分の存在価値のなさという苦しみから逃れられるかもしれません。
できるかできないかじゃない、やるかやらないかだ。と聞いて、そりゃそうだよと思う自分がいるのですが、いざ今までやったことがなくて自信がない物事を前にするとよくわからずにしり込みしている自分がいて嫌になります。これが世にいう中途半端にいままでやれてきたばっかりに失敗を恐れてなにもできない使えない人間なのでしょう。こんなところにいたとは。
遅すぎた、何一つ言い訳できない申し訳ない。行動と結果を。ア式のために。自分のために。
そして一つ自分を棚に上げて言います。
もしサッカーがうまいがために受動的な態度でも今のところうまくいっている人がいるのならば、そういう自分がいるのならば、もったいない。能動的になればもっとうまくなれる。立場に安住しないで頑張ってみてほしい。

就活をしないからにはとりあえず大学に残って研究を行おうと思っているのですが、最近ついこの間までは一切考えてもみなかった研究者という選択肢もなくはないなと思うようになりました。
勉強が進むにつれて視点が研究にたいして近くなったということもありますが、なによりも、人生に掲げている「豊かに生きる」という観点から考えたときに、研究者という生きるにあたってあまりにも無駄な行為がとても豊かなのではないかと思うようになりました。
新種を発見して図鑑に載る爬虫類が増えたところで、地球が太陽の周りをまわっていると分かったところで、なにか劇的に生きるために有利になったでしょうか。
遺伝子は生存競争の中で自然の淘汰のなか受け継がれてきたので、生物を見ればあらゆる適応を見ることができます。早く成長してすぐに世代を交代する種、ゆっくりと時間をかけて強く長く生きる種。体を大きくしたり小さくしたり毛をはやしたり硬くなったり。
そんな中で人間は生きることにまったく必要のないことに時間をかけることができます。
それが芸術でありスポーツであるのだと思います。パスがどんなにうまくても狩りはできないし、どれだけヴァイオリンがうまくても音ですぐ見つかって食べられてしまいます。
でも、人類を豊かにしています。
お笑い芸人さんは他人を笑わせて生活しています。こんな生物見たことありません。笑
アスリートもピアニストも画家も料理人もアイドルもお笑い芸人も本当に豊かだと思います。
そう考えると、研究者も人間の知識欲を満たすべく無駄ともいえることを全力でやっているわけです。すごく豊かな気がしてきてしまいました。
まあまた考えなんて変わるだろうけども。

妹は勉学で劣等感を抱いているみたいだが兄はサッカーではかなわない。
新4年  伊藤正人

2015年2月8日日曜日

意気込み

 最近の出来事といえば、私の大切な同期が新たな道を進むことを決めたり、共に頑張る道を選んでくれたり。それらふまえて自分がこれから2年間ア式で何ができるのか改めて考え直したり...。最終的にア式の部員として私が頑張らなくてはならないこと、当然のことだけれども1部リーグに復帰するために選手をサポートしていくことです。復帰をかけた熱い熱い闘いがもうすぐ開幕されますが、ピッチ内外問わず自分の出来る限りのことを去っていった仲間の分まで精一杯頑張っていきたいと思っています。

半年もすれば自分たちが中心にア式を引っ張っていかなくてはなりません。
それなのに先輩方から学ぶべきことはまだまだたくさんあります。
もっと積極的に貪欲に!!受け継いでいきたい!!


常に責任持って行動を。
新3年 スタッフ 鈴木 咲絵子

2015年2月6日金曜日

思索の日々



1年という月日はあっという間である。
私がア式に入部してから、春・夏・秋・冬と四季を過ごし、環境は変われど「月日が流れていく」という無常の条件はいつになっても実感することができる。

新歓の仕事が始まったことで、次世代に目を向ける時期に自分がいることを思い知らされた。
物事には必ず意味がある。
私は4月から留学をする。留学は、何らかの目的がなくては、無意味なものになるおそれがある。前向きな意欲は、自分自身の「充実」に繋がってくる。
しかし、たとえはっきりとした目的がなくても、やるべきことをやる姿勢は何らかの成長に繋がってくると私は信じたい。そうすれば、自然と新しい指針が与えられ、「新たな目標」ができてくるものだ。
私は、自分の中に潜む「新たな目標」を掘り起こすためにも、状況に抗うことなく日々前進していきたい。
その後には、思いがけない道が用意されているかもしれない。

最後に、自分を信じるとは何物にもかえがたい一番の人生の味方である。
そのことを心に留め、まずは目の前の課題をこなしていこうという思いだ。
そして、忘れかけていた「目標」さえも取り戻していこうと自負している。


新2年スタッフ 金内美苗