2016年1月1日金曜日

雪門と三陽、人心走れ



一季の長いトンネルを抜けると次のトンネルだった。
今度も出口は見えない、…本当に?

近頃の出来事を考える。出口への向かい方はいくらでもあると身近なところで見せてもらえたと気づく。出口が一見見えないのは自分が出口に体を向けてない、進んでないからだった。
精神的に向上心のないものはばかだ、というフレーズは理由はわからないが強く印象に残っている。苗字の頭文字がKだから重ねたのかもしれない、私はそれだけ自分が単純だと自負する。
話は逸れたが、私の中に向上心がある限りは何事も可能性は残る、もちろんトンネルを抜けることにも。と私は思う。

すでに一度目の明らかなチャンスは逃した。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。が、時間は有限だ、学生である以上なおさら時間的な制約は加わる、矛盾しているがそういう意味では手段は適切に選ばねばならない。もちろんできる限りは手段を尽くすという前提の上で。
そのためにできるのはより多く、質の高い情報をもとに考え続けること。
今の私はまだ、迷える子(ストレイ・シープ)——わかってる、そして、ただ、一切は過ぎて行きます——喜び悲しむ、そんな間もなく。
だからこそ今オフ期、冬春休みはとても重要で。私にとっては早くも今季の正念場かもしれない。

不良とは、優しさの事では、という考えもある。真の優しさとして非情に切り捨てることがいつ起こるともわからない。次のチャンスが来るともわからない。でも、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは一番の問題ではない。


今回は結構凝りましたー(書いてたら2016になってました笑)


良いお年を。ではなく明けましておめでとうございます。
1年 小松

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