2016年10月29日土曜日

回想

昔サッカーをしてたチームには、凄い上手い人たちがたくさんいて、迷惑かけないようにプレーするので精一杯で何も自分からアクション起こせなかった。言い訳になるかもしれないが、いろんなことがあってサッカーに集中できていなかった。あんなにすごい人たちと恵まれた環境とコーチのもとサッカーしていたのに、全く自分の全てを出すことができず、出そうとする努力ができず、悔しく情けない思いで終わっていった。たかが小学生のサッカーの思い出だけど、強く残ってる。

そして、時は経ちこのア式というチームで上手い人たちの中で自分を出しながらやれるのか、試してみたいと思った。サッカーに向き合う時間は充分にあるし、上手い人にどんなに怒られながらでもやってみたかった。ア式は自分を昔と限りなく似た状況におくことができるのではないかと思っていた。10年間いろんなことを経て多少なりとも人間的に成長できたはず。そこで変われているか、確認したかったし、変われてなかったらなんとかして変えてみたい。

約2年のブランクを経てやっと多少体が動くようになってきたところで骨折してしまった。3ヶ月の離脱、やっとできるようになったと思ったら今度は肉離れ、それが長引く。自分の目的から全く逸れた方向に行ってしまい、だんだんと目的を忘れていたし、たまに何しに来てんだがよくわかんなくなってくることもある。
つまり、、早くサッカーやって自分を評価できるところまで到達したい。
新チームのミーティング、今まで仲良くなった沢山の人たちが辞めていってしまったこと、残念だけど、いいタイミングにちゃんと考え直すことができてよかった。

1年 大池

2016年10月28日金曜日

変化と連鎖


スポーツは限られた人数の選手が試合に出て行われる。サッカーの場合はピッチに立てるのは11人で、それ以外の選手はベンチに入るか、応援団として応援をする。



ではサッカーで試合に負けたとき、負けたのは誰の責任なのだろうか?



ピッチに立っていた11人の選手の責任なのか?



PKを献上したり、決定機を外したりすることができるのはピッチ上の11人なので、ここでは仮にそうだとする。





さて、サッカーの試合で発揮できるパフォーマンスは、その準備によるところが大きい。良い準備をすれば良い結果が得られ、悪い準備をすれば悪い結果が得られる。



では、先程負けの責任があると仮定した11人は準備の段階で、その11人だけで行動しているのだろうか?



そんなことはもちろんない。



ア式の場合、

練習ではAチームの中でサブ組と一緒に練習している。

スタッフが汲んでくれた水を飲んでいる。

自分の練習の前後で育成チームの練習を見て、誰がどんなプレーをするのか見ている。

部室ではいろんな部員と会って、誰がどんなことをしているのかを見る。

ジムでは誰がどんなトレーニングをしているのかを見る。



試合に出ている選手はあらゆる面で、他の部員と関わりを持っている。ということは試合に出ている選手は試合に出ていない部員から影響を受け、試合に出ていない部員によって形成されているといっても過言ではない。



すなわち、サッカーで試合に負けるのは、試合に出ていた11人の責任というより、その11人に影響を与えている、試合に出ていない部員の責任なのだ!





というのは言い過ぎかもしれないけど、毎日のように顔をあわせる部員は、お互いに影響し合っているというのは間違っていないと思う。





東大ア式を構成しているのは試合に出ている出ていないに関わらず部員ひとりひとりで、その部員同士が影響し合って活動している。



そんな集団が強くなるにはどうすれば良いのか。



単純なことだけど、自分ががんばることで、誰かがそれを見て、「あいつがあれだけやってるんだから、おれももっとがんばらないとな」と思うことが連鎖していって、高め合うことでしか、強くなることはないと思う。



「あいつ今日もグラウンドに一番早く来てボール蹴ってるな」とか、

「あいつ今日もジムにいるな」とか、

「あいつまた誰もいない部室でスカウティングの仕事やってるな」とか。



すごくシンプルなことで、今までの人生の中で何度も言われてきたことだと思うけど、結局選手、スタッフ関わらず、チームの中の誰かが変わるんじゃなくて、自分の中の意識が変わらないと、勝てるようにはならない。



でも逆に、一人が変わろうともがいて苦しんでることは、自分の成長につながってるだけじゃなくて、周りに影響することで必ずチームの成長につながっている。



今年、トップチームが勝てなかったのは自分には関係ないと思っている部員がいるとしたらそれは違うと思う。



カテゴリーだとか、役職だとかに関わらず、部員ひとりひとりの行動が、それが小さなことだったとしても、チームにプラスにもマイナスにも影響を及ぼすことがある。



だから、ア式という組織の中にいる以上、自分の立場に関係なく、ひとりひとりが自分のためだけじゃなくて、ア式というチームに良い影響を与えられるよう変わろうと努力する責任があると思う。





結局、伝えたいのは、小さなことでいいから、ひとりひとりが変わってほしいということです。なんでもいい。自主練でも、筋トレでも、ストレッチでも、生活リズムを改めるでも、挨拶でも、ゴミ拾いでも。



すぐには結果は出ないかもしれない。でも、努力を継続して、習慣と呼べるまでにしたときに初めて大きな結果が出るんじゃないかと思います。そしてそれが連鎖するともっと大きな結果が出るんじゃないかと思います。



そうすれば、来年のリーグ戦の良い結果につながると思うし、いつかア式がもっと魅力的なチームになることにつながるはずです。



また次の練習から、気持ちを新たに、がんばってほしいと思います。





3年生は、相当なプレッシャーの中で最後の1年を過ごすはずだから、1年生と2年生はやれることをやって、サポートしてあげて。



がんばれ!


4年 富山潤一

2016年10月27日木曜日

M (プリプリじゃないよ)


今年の春、昔からの友人Mと大きな勝負をした。



どちらが先に大きなステップアップをできるか。



僕らには明確な基準が確かにあった。兎に角それはプレイヤーとして、いや1人の人間として大きな成長をできるもの。



夏までにお互いが成長しようと意気込んだ。



こうして始まった戦いだが、二人ともなかなか目に見えた行動を起こさない。



確かに自分を変える、周りを変えるというのは面倒くさいし、実際に大変な労力を要する。

その労力を想像しただけで逃げ出してしまう人も多いだろう。



頑張ってる自分をどこかで客観的に見てしまう。痛々しい、恥ずかしいと思ってしまう。

その恥ずかしさで辞めてしまう人もいるだろう。



いつも口だけの二人は現実をなめていた。そんな簡単に人間的成長など出来るわけがなかった。



進歩のない日々が続いた。



そんなある日、僕に絶好の機会が訪れた。リミットとしていた夏を目前とした日の事だった。



これを逃せばおそらく二度とチャンスはないだろう。自分を奮い立たせた。



結果は惨敗…最後の最後で恐れてしまった。素の自分を全く出せずにあっという間に終わってしまった。

自分を変えることがこわかった。他人からどう思われるかを気にしてしまった。



僕はその場から逃げ出してもう二度と試みることもなかった。



「まだ来年がある」自分にそう言い聞かせて戦いの場から立ち去った。



そのまま僕の部活は夏のオフ期間に入った。僕は部活の友達と旅行に出かけた。完全に現実を忘れ去ってしまいたかった。



Mもどうせ目の前の練習だけをこなし、なんの生産性のない日々を過ごしているのだろう。あいつはいつも口だけは偉そうなことを言い現実では行動を起こさない、そんなやつだ。

そう高を括っていた。



そんなときMから着信があった。



勝利宣言だった。



Mはとうとうやったのだ。僕が現実逃避をしている一方で彼は自分に真摯に向かい合い、自身の成長を常に考えていた。そしてやり遂げたのだ。



急に自分が恥ずかしくなった。何度も失敗を繰り返し、恥ずかしい姿を晒し、泥臭くも成功を掴み取った彼に比べてたった一度の失敗で逃げ出した自分がたまらなく恥ずかしかった。僕はこの石垣の地で何をやってるんだ。一刻も早く帰りたかった。



夏のオフが明けた。

Mと久しぶりに飯を食う約束をした。



正直Mに会いたくなかった。変わってしまった彼に会うのがこわかった。それは自分の惨めさを突きつけられるからなのか、敗北を認めることになるからなのか。



Mは冷ややかな目で僕を見るようになった。その目は「お前は一体何をしていたんだ?」と僕に問いかけているようだった。

昔よく2人で語った夢物語も彼とはもうできない。彼はもう上の舞台に立ってしまったのだ。



僕はMに追いつけないのだろうか。そんな不安が心をよぎった。



4ヶ月後



今も僕は彼に追いつけていない。だけど彼も一つ上のステージでまだ僕を待ってくれている。彼にもまだ上がある。二人の最終的なゴールはまだまだ先だ。



いつかMに並びたい。2人で同じピッチで戦えたらどんなに嬉しいか。



そして彼をいつの日か必ず追い抜く。そんな日を夢見てる。







ガッキーのドラマが始まりましたね。2話目から早速見逃しました。



3 MF 田中豪



P.S. 靭帯って意外と簡単に切れる。。。










2016年10月26日水曜日

「データ」で何が出来るか?


2214敗、最下位降格という厳しい現実を突きつけられた今シーズン。945敗、3位ながらも棚ぼたで昇格を手にした昨シーズン。対称的な2つのシーズンをテクニカルスタッフとして過ごしてきたが、今振り返ってみると手応えや収穫は多くある一方で、「データ」が持つ可能性に期待しつつも、現実の壁に阻まれて結局そこの部分では大きな成果は上げられなかったという反省が残る。



データの可能性に魅せられてテクニカルスタッフに転向したのはちょうど2年前のこの時期だった。当時テクニカルスタッフという役職はなく、選手のうち有志数名で構成される「データ班」が存在し、自分もその一員として活動していた。しかし、前年までデータ班を率いていた広川さん(2014OB)の引退以後は組織運営に綻びが生じ、DataStrikerのような高度な分析ソフトを持ちながらも、それを使いこなせない状態が半年程度続いた。そんな現状を見て、ア式が強くなるための可能性の一つであるデータ分析・スカウティングといった分野を疎かにせず、今後さらに発展させて行く必要があると感じ、「テクニカルスタッフ」という専門職を作った。



ア式が勝つために、強くなるために、そう考えた結果行き着いた場所が、テクニカルスタッフだったという訳であるが、一方で自らの持つ能力を最大限発揮し、そしてそれをさらに伸ばす事が出来る場所がどこかを考えた結果であったとも言える。ア式で4年間を過ごす事には多くの「機会損失」を伴うが、それだけ膨大な時間とエネルギーを費やすからこそ得られる「成長のチャンス」が多く散らばっている。そのチャンスをどれだけ多く見つけ、そして自分のものに出来るかで、得られる経験値は大きく変わってくるはずだ。当時はそこまで意識していなかったが、今思えばそう強く感じる。



成長のチャンスという意味では、自分自身やり残した事は多い。中でも一番大きなものは、データの活用でわかりやすくチームを勝たせる事、言うなれば大学サッカー版『マネー・ボール』の再現である。『マネー・ボール』は、データの活用により球団再生を果たしたメジャーリーグのあるチームとそのGMの物語である。流石にここまで実現するのは簡単ではないが、もっと「データ(※具体的には数字をベースとした統計データ)」を吟味・解釈して、そこから得られる示唆を最大限活用する事でチームに優位性を生み出したかった。今シーズンは特にスカウティングに力を入れ、映像や文書などの資料は今までになく充実したものとなったし、選手やコーチが試合に向かう上で必要な情報と戦略を整理して提示・共有することが出来たと思う。これは一つの大きな成果であったが、他の都リーグのチームも方法は違えどスカウティングを行っているわけで、大きな優位性を生み出すには至らなかった。



そもそも自分がテクニカルスタッフになったきっかけはサッカーをデータで語る事へ純粋な興味・好奇心であった。そしてそれが徐々に問題意識へと昇華され、「もっとデータを使ってチームを強く出来るのではないか?」という考えに至るようになった。けれども今シーズン行ったスカウティングは、膨大な数の試合映像を見て、そこから定性的に相手チームの特徴を分類し、我々が取るべき策は何かを考え、提示するというものであり、そのプロセスの中で活用できた定量的なデータはごく僅かに過ぎなかった。データ収集・蓄積にかける労力の問題もあり、前述の分析ソフトであるDataStrikerも活用できたとは言い難いのが現状である。



当然、チームの勝利へのコミットが大前提である以上、分析ソフトを使う使わないは問題の本質では無いのだが、データの可能性に期待を抱いてテクニカルスタッフになりながらも、結局データの活用という部分ではあまり大きな進歩なく終わってしまったという点は力不足を感じる。集められるデータの量・種類に物理的な限界があること、データを解釈する能力が足りていなかったこと等、理由は様々だ。実際、Jリーグのクラブでも本当にデータを活用できているクラブはまだまだ少ないという現状からしてみても決して簡単な事では無いのだが、データの持つ可能性を少しでも証明してみたかった。



自分は卒業後、某大手IT企業に就職するが、将来的にはスポーツとITに関わる分野で仕事をし、テクノロジーの力でサッカー界の発展に寄与したいと思っている。このように宣言するくらいなので当然、データが持つ可能性を証明する事は自分にとって今後の「宿題」となる訳である。ビッグデータの活用や人工知能の発達など近年の技術進歩は極めて目覚ましく、どんな商売もテクノロジー無しに成り立たなくなりつつある。それはスポーツのような興行も例外ではなく、サッカーという競技の存続・発展においても、データやテクノロジーの重要性は今後も増していくだろう。そこに対して自分に何が出来るのかを今後は考えて行きたい。



自分が本来こだわりを持つべきであったデータというテーマに関しては課題だらけであり、そこは今後の宿題となってしまった訳だが、サッカーという競技への理解を深め分析する力を養う事、分析した内容を簡潔にまとめ選手・コーチに対して伝達する事、テクニカルチームという一つの組織を束ね動かす事、テクニカルスタッフという立場からチームの強化・勝利に対してコミットする事、勝利に直結する以外の部分でもチームをより良い方向に導いていく事、これら全てが自分にとって代え難い経験であった。分析に耳を傾け時には助言を与えてくれた選手・OBコーチの皆さん、役割は違えど同じ目標に向かって努力したスタッフの皆さん、テクニカルの活動を評価し支えて下さった監督・コーチの皆様、そして何より部下として自分を支えてくれたテクニカルチームのみんなに心より感謝の意を表したい。











さて、「宿題」といえばもう一つ、イヤーブックの問題もどうにかせねば



4年テクニカルスタッフ 中間

2016年10月25日火曜日

理想の大道を行き尽くす!


お世話になった4年生が引退してしまい、自分の出身校がなんだか話題になってしまって、色々と思い返した。







5時に起きて朝練へ行き、授業は寝て、午後練は走って走って怒鳴らて、帰宅。そして朝練へ、、、。

週末は試合して、走って、走ってても怒られ、また走って笑 1週間その繰り返し。大会のない時期なんてホントにその繰り返し。







全ては技術のない自分達が、強豪校に勝ち、全国大会に行くためだった。それでも、全国へはあと一歩及ばず。負けた瞬間、悔しさとか6年間の生活への思いが浮かび、泣きじゃくってグランドからなかなか起き上がれなかった。







「理想の大道を行き尽くして、途上に倒るる刹那に、我が過去を一瞥のうちに縮み得て、初めて合点がいくのである。」







監督がよく言っていた言葉。負けた時、「あー、こういうことなのかなー」と初めて思えた。終わって初めて気づくことって多い。多すぎる。つらい笑









そして今、東大ア式蹴球部で2回、シーズンを終えた。あの頃と比べてどうだろうか。あの頃の経験を活かせているだろうか。東大ア式の掲げる「関東昇格」に向かって全力でやれているだろうか。当然、関東へは行きたい。そりゃそう。だけど、行動は?東大ア式のことだけを考えた東大ア式に最善のチーム体制は? 反省すべきことは多々ある。まだ、反省できる。





だが、4年生で引退が決まった時はそうはいかない。今程度の努力で後悔はしないだろうか。高校時代と同じ失敗を繰り返さないだろうか。いや、後悔すら浮かばない可能性もある。









何が言いたいのか分からなくなるのでまとめます。

つまり大事なのは、何かを成し遂げること。結果が伴わずとも、自分の理想の道を全力で突き進むこと。そしてぼんやりと進まず、終わる時のことを考えて後悔のないよう行き尽くすこと。まあ、当たり前といえばそう。でもこれができなかったのがかつての自分で、変えないとかつての経験の意味は、ない。と、勝手に考えている。







具体的に言えば、来年、必ず1部に復帰して関東へ挑戦し大学サッカーを終えたい。後輩たちのために組織を変えたい。今年のリーグ戦の終わりを、次への始まりと捉えられる有り難みを噛み締めながら。













残る公式戦は、天皇杯予選と新人戦です。1つでも多く勝ち進めるよう頑張りますので是非とも応援よろしくお願いします!そして、下手くそな文章読んでくださり有難うございました。















#暁星魂



2  中沖隼






2016年10月17日月曜日

サッカーに貢献するということ



昨日の試合をもって、現役を引退した。

最後に自分がずっと考えていたことを、改めて書き綴っていきたいと思う。



みんなが東大ア式でサッカーをする理由はなんだろうか。

サッカーが好きだから?勝ちたいから?

様々な理由をそれぞれが持っていると思う。

ぼくにとってそれは、「サッカーへの貢献」という言葉に要約される。

そして、東大ア式こそが自分にとって、プレーを通してそれを果たすことのできる唯一の場だと考えている。



ア式の活動は常に「東大」という枠を通して見られている。それはときに重荷になるかもしれないが、それ以上の可能性をはらんでいる。



プレーを通してサッカーに貢献できるチームはいったいどれくらいあるのか?

代表やプロのチームは試合自体に商品価値を持たせることで、サッカーの経済的価値を高めているし、トップレベルのプレーを広く見せることで、ファンを増やし、サッカーを根付かせる意味も持つだろう。



では、いち学生チームとしては?

僕はほんの一握りのチームだけがそれを許されていると思う。プロに多くの選手を輩出するようなチームは日本のサッカーレベルの向上という点で貢献している。でもその他ほとんどのチームはそうはいかない。勝っても負けても、サッカー界に何か影響があるわけでもない。

関東昇格という結果も結局は毎年チーム名が入れ替わるだけで、世間からすればなんの変化もない。



しかし、東大は違う、と僕は考えている。

東大が勝利し、関東昇格(その前に東都一部昇格)という結果を残すことで、世間のサッカーに対する見方を少しでも変えられる。僕たちが勝てることを示すことで、サッカーをより開かれたものにすることができる。



いわゆるサッカーエリートだけでなく東大のようなチームが勝てることを示せば、それはすなわち、サッカーの奥深さ、面白さを示すことにもなるし、これまでサッカーか、勉強か、どちらかを選んでいた人に新たな選択肢を示せる。

ア式の昇格のニュースを見た人が、自分の子供にもサッカーをやらせたいと思うかもしれない。(少なくとも自分なら、エリートしか勝てないスポーツより、様々な努力の仕方で勝利にアプローチできる競技をやらせたい)



そして、僕らのことを何も知らない人でも、「東大」の勝利には意識を向ける。(六大学野球を見ればわかるだろう)



すなわち、東大ア式蹴球部はトップレベルのチームとはいえない現在でも、常にその勝利によってサッカーに貢献できる可能性を秘めた限られたクラブの1つだ。



これら全て、ただの驕りだという見方もあるだろうけれど、少なくとも考え方1つで自分の活動に大きな意義を見いだし、モチベーションに出来る。



そして、この考えを日々に落とし込むことで、昇格という結果だけでなく、リーグ戦、練習試合、毎日の練習、ピッチ外でのサポートも、めぐりめぐって大義に繋がると考えて、キツイ時の原動力になると思う。僕はそうしてきた。



ぐだぐだ書いたけれど、同じように考える必要もないし、別にサッカーに貢献できないと意味がないわけでももちろんない。

ただ、自分の活動になんらかの意味を見出すってことはしてほしい。その方が絶対頑張れる。



僕は社会人になって、また別のアプローチでサッカーに貢献できるように頑張っていくつもりだ。



本当に充実した4年間でした。ありがとうございました。



みんな、あとは頼んだ。





バスクダービーはビルバオが3-2で勝ちました。

4 GK 石川悠吾

2016年10月15日土曜日

人知れずスべる男



 去年の秋、feelingsを眺めているとひどく悲しくなったことを覚えている。それは長々しく赤裸々に綴られたある子との馴れ初めから別れまでの物語だった。なんて場違いなことを書くのだろうと思ったが、文字を追うごとに悲しい気持ちが溢れてきた。僕も少年時代に始まって大学卒業に至るまでの少年の物語を一つ知っている。そこまで悲しい話ではない。
   
 昔から何事にも飽きぽかったのだろうか。小学生の頃からちょっと仲良くなった子でも、それ以上仲良くなろうとは思わなかった。誰か特定の子を好きになることに熱心にはなれなかった。 ただ「いいなー、あんな子に好かれるなんて」や「すごいね、モテるね」と言われるのは大好きだった。本当にその子に好かれているかなんて気にもならなかった。好かれていると思われるのが大好きだった。もちろん周りにいたみんなに好かれたわけではない。ただ最初から「あんたとは合わないわね」と面と向かって言ってくる子を見返してやろうという気は起きなかった。そのなか僕は2人の女の子と仲良くなった。もちろんどちらも周りからの評判は抜群に良かった。
 
 一人目はS(仮名)といった。Sは気付いたら僕のそばにいた。かなりの容姿の持ち主であり、 かつ優しく心から信頼できた。Sは誠実であった。ただ誰に対しても優しいわけではないようであった。SはSに対して向きあおうとしない人に対しては厳しく当たった。Sはそんな子であったから、 周りの誰もが「お前ってSにすごい好かれてるよね、どうやったらそうなるの」なんて言ってくれた。ただその実、Sに対して真摯に向き合っていたわけではない。Sの事が好きだったわけではないから。それでも僕は周りの人よりSに気に入られるのがうまかった。Sは誠実であったから僕がSを喜ばせば喜ばせるほど僕を気に入ってくれるようだった。Sに気に入られるほど、周りから褒 められた。その得意な気分が好きだったから、Sが喜ぶようなことをするのは苦ではなかった。Sは気分のムラなんかもなく、常に僕と等身大の気持ちで向き合ってくれる気がした。他の子よりは断然信頼していたし仲も良かった。でもSが好きなわけではなかった。なんとなくそれは違う気がした。僕の気持ちはS以外の子にも向いていたのだ。
   
 それがF(仮名)だった。Fとはクラスが一緒だった。Fは美人であったが、無口であまり人を寄せ付けなかった。みんなもなんとなくFの事が気になるようだったが、Fの友人と言える奴は多く なかった。僕はたまたまFと帰り道が一緒だった。Fは口数こそ多くないものの、周りの友人と比べると僕は比較的好かれているようだった。例のごとく僕は得意げな気持ちになった。Fと付き合えたらどれだけかっこよく見えるだろうか。クラスメイトは「お前Fとデキてるんじゃないか」と 言ってくれた。でも実際にはFはSほど優しくはない。僕の冗談に対してほとんど笑わないし、ツッ コミも入れてくれなかった。僕がスベり続けてるみたいだった。このことはFと僕の秘密だった。 Fに対してそういう鬱憤がたまると、優しいSに慰めてもらうかのようにかまってもらった。Fが好きではなかった。ただ自分でもよくわからなかったが、Fの事は心のどこかでいつも気になっていた。Fのごくたまに見せる笑顔がたまらなく魅力的だった。もっと笑顔が見たいとも思ったけど、 Fは見せてくれなかった。Fはそういう子なんだなと思っていた。
 
 中学・高校ではSとクラスがずっと一緒だった。Fとは中学の2年間はクラスが同じだったが、 高校では一度も同じクラスにならなかった。Sは中高でも相変わらず大人気であったが、僕のことがその中でも好きなようであった。僕はその事実が嬉しかったから、Sがより喜びそうなことをして好感度を着実に上げていった。好きなのかわからないけど、Sと付き合ってみるかとも思ったが、 決まってFの事が気になった。  


 Fは中学生・高校生になると余計笑わなくなった。それでも学校の中ではFは僕のことを気に入っ てくれていたようだった。僕はそのことに少なからず満足していた。そんな折、Fは学校外からも 人気らしいという噂を耳にするようになった。最初はそんな噂信じていなかった。ある日、Fと一緒に学校から帰っていると他校のヤツが馴れ馴れしくFに話しかけてきた。Fの事だから例のごとくシカトするかと思って、僕は黙って様子を見ていた。でもFはそいつと話し始めた。気のせいだろうか、結構親密なようだ。僕といる時より笑っているのか。スベるのがダサく思えたのか、Fに対して真摯に向き合ったわけでもなかったのに酷く嫉妬した。Fの前ではかっこつけてばっかいた。目の前の光景を信じたくなかった。でもFに確かめる勇気なんてなかった。僕はSのもとに逃げ込んだ。 「Sは俺のことが好きなはずだ、大丈夫。Fに俺より好きな人がいたってどうってことない」 でも結局、Fのことが気になった。Fと過ごす時間は欠かしたくなかった。Fは僕といる時たまに笑ってくれたが、それが好意なのかどれほどのものなのか、分からなかった。Fと付き合うのは無理かもしれないけど、Fは僕のことどう思ってるんだろうか。僕はFが多少の好意を僕に抱いていると信じ込むことにした。

 大学生になるとSとの関係は落ち着いた。Sと過ごす時間はほどほどにしてFと過ごす時間を増やそうと思った。社会人になれば付き合わない限り、Fとは離れ離れになって会えないだろう。今のうちにFの笑顔をたくさん見ておこうと思った。時が経ってもFに忘れて欲しくなかったし、僕
にとっても大切な存在でいてほしかった。Fの気持ちは分からなかったけど、高校までに培った関 係に多少の自負があった。でも大学生になったFは僕のことを見向きもしなくなった。いやFは態度を変えたつもりはなかったのかもしれない。ただFを取り囲む奴らは僕より魅力的なやつばっかになって僕の感じ方が変わっただけなのか。もうFは僕の手の届くような存在ではなくなっていたのかもしれない。


 急に僕は気づいてしまった。Fは僕のことなんとも思ってない。Fって俺にとってどういう存在なのだろう。Fがどんな存在なのか、僕が何をしたらFはなんて言って、あれこれしたら喜んでくれた、そんなこと思い出せなかった。Fの前でかっこばかりつけていたことをひどく後悔した。僕の心からFはいなくなってしまいそうだった。なりふりかまっていられなかった。Fが遠くに行ってしまう前に自分をぶつけてみよう。

 Fはそんな思いをぶつけられるのは慣れっこだった。僕の思いは一切響かない。Fが喜ぶこと、 笑うつぼ、好きなこと、嫌いなことを知っている奴が大勢いた。それでも必ずしもFは笑ってくれないようだ。Fが僕に見せていた笑顔なんて最も控えめな笑顔だったのだろう。会釈みたいなものだったのだろう。僕はFの前でスベり続けた。Fはもう頻繁には会ってくれなかった。どうやらがむしゃらにスベっても意味がないらしい。他人とFのやり取りを参考にしたし、Fの好きなことを自分に取り入れて、嫌いなことを自分から消し去ろうとした。ありのままの自分を受けて入れてもらおうなんて思わなかった。ちょっとでもFに気に入られたかったし笑ってほしかった。

 そんな甲斐もあって以前よりもFに気に入られる術を覚えた。でもFは他のやつに対してもっとよく笑ったし、もっとFのために捧げる奴もいた。そいつらと居ると僕はまたスベることしかなかった。Fと会う機会も相変わらず少ない。Fと会えないなか、遠目に僕より魅力的なやつがスベるのを見ていた。自分が本当にFを笑わせられるのか自信がなかった。Fに気に入られていると思えるとこを伸ばそうとした。嫌われていると思えるとこを改善しようとした。あまりうまくいかない。他人よりFに好かれることができるのか。自分は魅力的になっているだろうか。
 やっとFは僕と久しぶりに会ってくれた。高校生まではあまり感じなかったのに、異様に緊張した。僕はまた急に怖くなった。何も話せなかった。自分をひどく恥じた。また一からやり直しだ。 もうFは会ってくれないかもしれない。今度Fに会えたら今度こそは話したかった。次Fに会ったらというイメージを具体的に描いた。何を思ったのか、Fはもう一度会ってくれた。僕はなんとか話し始めた。Fはまっすぐに僕の瞳を覗き込んできた。Fは本当に僕の話を聞いてるのだろうか。でも初めてFが耳を傾けてくれている気がした。と同時に今まで僕の話なんか聞いてなかったのだろうという気もした。僕が話し終えると、Fはほんの少し微笑んでそっぽを向いた。こっちを向いて満面の笑みを見せてほしかった。もう大学生活は終わってFとは離れ離れになりそうだ。あまり時間は残されていない。Fと向き合う時間が短すぎたのか。やり方が間違っていたのか。とにかくFのより素敵な笑顔を見たい。FにFへの募った気持ちをぶつけてみよう。そしたらFはどんな顔をするだろうか。わからない。でもFのその顔、Fの事はずっと自分の心から消えはしないだろう。


Sにはあとでちゃんと謝ろう。


Fをあと1回、笑かしてやろう。



P.S.  僕が読んだ去年のfeelings気になる方は「football(上)」「football(下)」をご参照ください

4年 符 毅修


あした


1016



東京都一部リーグ第18節 帝京大学戦



自分が、真剣勝負のサッカーの試合をする恐らく最後の機会だろう



何も失うものはない、持てる限りを尽くして全力で戦おう







なんてことは最後の試合に限らず当たり前のことだ。



最初っから失うものなんてなかったはずだ。



それなのに今年のリーグ戦で自分はどこか守りに入ったようなプレーに終始していた気がする。



残留争いのチームに負けられないとビビったのか。名門校やユース出身の選手にビビったのか。はたまた自分より遥かに成長する後輩たちにビビっていたのか。



いずれにせよ、小さなことに気をとられている小さなやつだったと思う。





あしたは情けない自分を変える最後のチャンスだ。



言われたことだけやり、ミスを避ける、そんなプレーで終わりたくない。小さくまとまるチームで終わりたくない。



それぞれが自分の得意なことで積極的に勝負してミスしたらカバーし合う。ごちゃごちゃしているけれど観てる人たちも、やってる自分たちも心の底から楽しいと思えるサッカーをしよう。



失うもののないやつらの底力を見せつけてやろう。





これが今の素直な気持ち。













不思議と落ち着いてる。あした良いプレーができる。そんなきがする。


4年 FW 長久保

2016年10月13日木曜日

体感時間


後期リーグも今週がいよいよ最終節となり、現役引退の時がすぐそこまで迫ってきました。



振り返ってみると、入部してから現在まで僕の中で本当に長い時間が経ちました。とうとうここまで来たんだなあという感じがします。入部式が遠い昔の出来事のようです。

しかしよくよく考えれば、スタッフになってからのア式での日々、特に最高学年になってからの一年間は意外とあっという間だった気もします。



選手だった1~2年生の頃は違いました。あの頃は一回一回のア式での練習が、一日一日のア式での日々が、長く、しんどく、険しい道のりに感じられたものです。その感覚は今だってよく覚えています。

ふと当時の自分が何をして過ごしていたかと考えてみた時も、当然色んなことは思い出すのですが、真っ先に思い浮かぶのはやはり農グラや御殿下での風景です。

改めて、それだけ自身の大学生活の大半をア式が占めていたんだなあとわかります。同時に、あの頃は自分なりによく頑張っていたなあとか、正直すごくしんどかったなあとか、そんな感想も必ず伴います。

そしてそんな選手時代も、今では遠い昔のことのように感じられるのだから不思議です。

でも、スタッフになってからの日々は確かにあっという間でした。



人によって感じ方は違うかもしれませんが、基本的に心に余裕のある充実した日々を過ごすほど時間がたつのが早く、心に余裕のない忙しい日々を過ごすほど時間がたつのが遅く感じられるものだと僕は思っています。振り返った時にその日々がつい最近のことのように感じるか、はたまた遠い昔のことのように感じるかは、当時の己の精神的負担の大きさで大体決まると思うのです。



 僕の場合、最高学年にもなるとスタッフとしての自分の仕事に慣れ、ある程度要領よく仕事をこなせるようになりました。つまり、以前に比べれば心に余裕のある充実した日々を送りつつあったわけです。だから、1~2年生のころの選手時代が今では遠い過去のように思えるのに対し、最後の一年間は意外にもあっという間だったように感じられるのだと思います。



では、僕にとって今の日々は、昔の日々に比べて果たしてどうなんだろう?

良くなっているんだろうか?それとも悪くなっているんだろうか?

そう自分に問うてみた時、一概に良し悪しは測れないにしても、反省すべき点はあると気づかされます。



確かにスタッフになってから圧倒的に心の余裕ができました。楽しいと感じることの方が多くなりました。その上で確実にア式への貢献度も上がりました。

でも、選手だったころの方がもっと苦労はしていたし、正直もっと真剣というか、精一杯だったと思います。

選手時代の努力なんて、今に比べれば不毛だったのかもわかりません。それでも、選手として苦しみながら頑張っていた日々は僕にとってはやはり価値のあるものだったし、今でもとても誇りに感じています。

だからこそ、たとえ立場が変わっても、時に逃げ出したくなるような苦しい努力を、スタッフとして続けるべきだった、とも思うのです。



 選手とスタッフでどちらかが楽だなんてことは絶対にありませんし、ほかの選手やスタッフが頑張っていないだなんて決して思いません。ただ僕の場合は、就活や卒論を言い訳に現状につい妥協してしまい、それ以上の苦しい努力を怠ってしまった面が正直あります。

筋トレを促進することも、食事調査を定着させることも、もっと苦労して全力で取り組めば達成できたかもしれない目標なのに、結局望んだ通りにはできませんでした。今さら反省したところで遅いですが、それが正直なところです。



努力というのは、それが真剣であればあるほど苦しみを伴います。そして苦しみを伴うほど、その努力にはより大きな価値が生じるものです。もはや「苦しみ」そのものにこそ価値があり、「前進」に繋がるのだとさえ僕は思います。

もちろん、心に余裕のある充実した日々を送ることも大切だし、できることなら常に余裕をもって楽しく過ごしたいと思うのは当然です。しかし、ア式で活動する以上はどうしても辛いこと、しんどいことの方が多いし、余裕なんて中々持てないのも当然です。仮に余裕があったとしても、その現状に満足することすら許されません。勝ちにこだわる以上、ほんの少しの妥協もできないはずなのですから。

では、余裕をもって楽しめないのなら意味がないのかというと、決してそんなことはありません。苦しい経験を積み重ねれば、その分自身の成長に繋がります。逃げ出したくなるような痛みを乗り越えれば、その分得られる喜びが大きくなります。

たとえ辛いだけの日々でも、僕から言わせれば非常に価値のあるものなのです。



苦しみを感じなければ絶対に結果は出ません。しかしたとえ結果が出せなくても、苦しい経験は必ず次に繋がります。

だから僕は、その意味でもア式を選択して本当に良かったと思っています。後輩たちにも是非似たような感慨を抱いてほしいです。



最後に、現役の皆は、二部降格という辛い現実を受け止めつつ、それでもなお関東昇格を掲げて戦わなければなりません。僕としても努力が足りなかったことが申し訳ないですし、これは僕も含めて、皆の努力が足りなかった結果でもあります。

だからこれからは一人一人が限界まで努力し続けましょう、と言うのは簡単ですが、しかし結果に結びつくに足るほどの努力をするというのは実は非常に難しいことです。宣言して明日からいきなりできるようなことではありません。



その難しいことを継続的に実行するには、やはりポジティブ思考が一番大切だと僕は思います。

限界を超えた努力をしない限り勝てないというならば、とにもかくにも限界を感じるまで頑張るしかないでしょう。その際、苦しみを憎むのではなく、苦しいからこそ、良い経験だと思って前向きにもがき続ければいいのです。その時味わった苦しみは、必ずや人生の糧になると強く信じて。そもそも人生ってそんなもんだと思います。



とにかく、無意味な苦しみなんて絶対にありません。

また皆で、頑張っていきましょう。








4年スタッフ 加藤裕樹

2016年10月11日火曜日

何人でやるのか、何のためにやるのか


2004822

フィーゴってすごい、あんな渋い顔してダブルシザーズ

スピードでも抜けるしフェイントでも抜ける

ドリブルって楽しい



2005104

サッカーが楽しくない

関トレにいくやつって、なんでこんなにうまいの



20061215

ピルロはやばい、一本のパスから点が生まれる

自分が抜かなくても、ゴールに結びつく

アシストって気持ちいい



2007730

本部との試合、歯が立たなかった

悔しいし、おもしろくない



200828

バルセロナをみて笑うしかない

出し手でも受け手でもない選手が絡んでくるとか、DFお手上げでしょ

これがさんざん言われてきた3人目の動きの見本か

やっとわかった、やってみよう



2010127

強豪の高校にボロボロにされた

中学のクラブチームのオールスターじゃん

どうにかして勝ちたい



201158

プリンスのチーム抜きだけど、県制覇

とんでもなくうれしい

適材適所、11人の特徴を生かして戦った結果だ



201453

Iリーグ、東海大学にボロ負け

大学生になってもこんなに悔しい

力が圧倒的に違う、100%の力を発揮しても多分勝てない

もっと上手くならないといけない

もっとうまくやらなきゃ勝てない



2016515

リーグ戦初勝利、東大だって勝てる

安堵の気持ちが強い

ピッチのメンバーだけじゃない

応援メンバーもやっと笑えた



201673

前期リーグ終了

正直なところ、負け続けて全然うまくいってないが

後期に向けて今からまたやるしかない



201697

復帰後、体がうまく動かない

何のためにサッカーをしているのかわからなくなってきた

しかし、後期開幕は間近だ、自分の何かを変えないといけない



2016915

トップの試合からは遠ざかっている

だが過去のことはしょうがない

今の環境の中、全力でサッカーをするしかない



2016925

チームの降格はほぼ決定

ここから先は、後輩に有益なことを伝えきろう

アドバイスをいかしてくれているのを見るとうれしいし







聞こえが悪いかもしれないが、サッカーは「自分の快」を得るための手段だった

結局のところ、その快の質が変わってきただけだ

もちろん、一緒に喜びたいメンバーもいるけれど

突き詰めると、僕にとっては「誰かのため」ではなかった





パスも技術

寄せ方も技術

コーチングも技術

コミュニケーションも技術

メンタルのコントロールも技術

それらの技術すべてを連続的なピッチ上で披露する



やっぱりサッカーって絶対に楽しくておもしろい

サッカーを選ぶことができた、幼いころの自分の感性と環境に感謝



4年 輕部琢真

2016年10月8日土曜日

最後の一年


Feelingsをご覧の皆様、お久しぶりです。

4年スタッフの渥美です。



Feelingsに投稿するのはおそらく一年以上ぶりです。

この一年、ひいては東大での四年間を振り返ったときに、ア式と同様に総務も私にとって欠かせない場所となっていました。少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。



昨年の9月から一年間、私は運動会総務部の委員長を務めていました。(運動会総務部…ア式、アメフト、ラクロスなどいろいろな部活が東大にはありますが、その事務方のまとめ役です。ほか、運動部員ではない東大生向けのスポーツ普及等も行っています。)

年明けの主将主務合宿に始まり、今年は七大戦・双青戦という二つの大きな大会の運営を東大が担当する年だったため、例年よりも慌ただしい一年となりました。

また、「関東昇格」を目標に掲げて日々練習に励むア式蹴球部(男子)と、部員数の少なさに悩みながらも同じく練習に打ち込むア式蹴球部(女子)を身近で見ていた私は、「各部の強化にもっと直接的に貢献したい」という想いから、運動部向けの講習会などのイベントを運営するチームを総務部内に立ち上げました。実際にそこで運営したイベントについては、自分の至らなさを痛感する点ばかりでしたが、継続的に運動部の強化に携わっていくための第一歩を踏み出せたことは自分を褒めてもいいのかなと思っています。(きっと今年は、頼りがいのある応援部の後輩二人主導で、今まで以上に各部にとって有益なイベントを開催してくれることと期待しています。)

運動会総務部自体は8月末で代替わりしたのですが、七大戦が9月末まであったので、それまでは何かと仕事が残っていました。924日の七大戦閉会式、25日の運営会議で、本当に総務部の仕事は終わりでした。25日はその意味で、私の大学生活で一つの区切りとなる日でした。

しかし、それだけでその日は終わってくれませんでした。



25日午前、検見川での七大戦運営会議を終えた私は、急ぎ御殿下に向かいました。対戦相手は亜細亜大学。東大が1部リーグに残留するためには、絶対に勝たなければならない相手でした。

先制点を東大が獲得し、このままきっと勝てる、勝ってくれ、そう思いました。

しかし、約15分後に亜細亜大学に追い付かれ、結果は同点。東大が1部リーグに残留できる確率は、ほとんどなくなったも同然でした。

25日は、ア式での四年間にも、残酷な形で「一区切り」となってしまいました。



スタッフとして、ア式蹴球部にもっとできたことはあるはずだと思います。広報、強化をはじめとして、ア式にはチーム全体に貢献するための様々な班があります。それらに所属しなくても、自分の工夫次第で部とのかかわり方は無限大です。リーグ戦後の集合で、OBコーチの元さんは「チームの全員に責任がある」と言いました。その通りだと思いました。私にはもっとア式のためにできたことがあるはずで、私はそれをしなかった…。

ただ、その一方で、私にこれ以上何ができたのか、という思いもないといえば嘘になります。総務部のトップに立って、そちらの仕事でいっぱいいっぱいになって、同期や後輩の助けがあって、やっとのことで一年の任期を終えられた私に、それ以上ア式で何かすることができたのか、と。

もっと頑張ればよかった、という単純な言葉では片づけられませんでした。優先順位をつけて取り組むこととか、下級生に仕事を振るのが上級生の仕事であるという意識とか、組織運営に必要なことが私からはすっぽり抜けていたように思います。まずは自分が頑張れる環境を作るため、そして後輩たちが頑張れる環境を作るために、そうしたことを考えなければいけなかった。なのに私は後先考えずに走り出して、今ある仕事でいっぱいいっぱいになって、最大の力を出せなかった、それがア式でも総務でも私の一番の反省です。



一年前の今頃、ほんとはア式を続けるか、ちょっと悩んでいました。総務部の一つ上の代の委員長は躰道部の方でしたが、委員長の任期中は躰道部の活動を休止していたそうです。それだけの決意をもって総務部での活動に取り組んでくださって、最後の打ち上げでの「やりきった」という表情が印象的でした。私は、ア式と総務を両立できるのか、不安でたまりませんでした。

でも、それでも残り一年ア式を続けることに決めたのは、やっぱりア式のみんなが好きだったから。この一年間も、意見が対立したり、勝てない試合が続いたり、数え上げれば辛いことのほうが多かったけれど、でも、ア式の同期が、後輩が、今までお世話になった先輩も、やっぱり好きだった。だから私は今、ここにいる。



残り二試合。

今のチームで、勝って、喜びたい。

全力で勝ちに行きましょう。



4STAFF渥美

2016年10月6日木曜日


いつも延滞していた自分がfeelings再開後2番目に投稿できるのは不思議で、最後にこのような機会を得られて嬉しい。





大学でも当然本気のサッカーをやりたいと何の迷いもなく考え迎えた入部式から、はや3年半。それまでア式に幾多の迷惑をかけ、それでも辞めたくないとしがみついてきたが、同時に、地元の友達が生活のため必死に働いているのを聞き、趣味の範囲を出ないサッカーを続けていていいのかと迷い、大好きなサッカーを無心でできることは実はすごく幸せなことなんだと知った。



そんな3年半も京大戦でピリオドを打った。本当にお世話になったア式にはとても恩を感じているが、スタッフとして恩を返すという選択はしなかった。それは、そもそも残り数ヶ月スタッフとして自分にできることがあるのかわからない、選手としてサッカーできない自分が、選手として戦う同期や後輩と同じ熱を持って仕事ができるか自信がない、という理由の他に、もう一つある。2年の冬オフ明けにお前はLB2だと通告され、戦力外なんて知ったことかと、めげずに頑張り、Bチームとして練習できるようになったが、3年の夏合宿後に再びのLB2通告。その時はかなり落ち込んだ。ただ、半ば開き直って考えたのは、中学から大学までサッカーを続けてきたのは、ただただ好きなサッカーを楽しめるくらいまで上手くなるためであって、ア式というたった一つのチームで評価されて公式戦に出て活躍するためじゃない、ア式で試合に出て活躍するというのは最終目標ではなく、大きな通過点なんだ、ということだ。だから、その時その時で他人に評価されなくても、上手くなる上へのベクトルの大小で自分を評価して、サッカーを続けてきた。これが甘い考えだったのか、Aチームで試合に出ることなく特にア式に貢献することなく京大戦まで来てしまった。そんな自分でもサッカーを上手くなるという決意は固く、サッカーをできる環境や時間が少ないスタッフという立場になることはできないと思った。



実際、引退後は院試や、卒論のためのフィールドワークで、言い訳だが、サッカーすることができず、また言い換えれば、ア式に残っていてはできなかったこと、自分が今後どう生きていくかを考える時間も得た。



ただ、サッカーを上手くなるという点において、大学4年間という縛りから解かれ、最近は気長に考えられるようになった反面、ア式を離れて2ヶ月強く抱く想いは喪失感であり、孤独だ。石川県の梨木町といういわゆる田舎から出てきた自分にとって、ア式や部室は大学3年と半年、確かな居場所だったということを強く理解した。ア式にとって自分は小さな存在だが、自分にとってはア式はとてつもなく大きい存在だったということだ。ア式という部に入り、サッカーを通して先輩後輩同期と繋がれて、大好きなサッカーに打ち込めたことは本当に幸せな時間だったんだなと思う。



別に引退してもア式の大局に全く関係のない自分だが、残留に向け必死に戦う、同期を含むア式の選手たちを見ると、本当に引退なんかして良かったのか?スタッフとして少しは役に立てたんじゃないか?と今も揺らぐ。実際今日の試合で2部降格が決まった。関東昇格という悲願に向けて一歩後退し、現役部員にとって自分たちがア式にいる間に関東昇格を叶える可能性はぐっと減ったということになる。1年間幹部代、半年間最高学年だった自分もすごく辛いし責任を感じる。実際にピッチで戦ってきた同期はその比じゃないだろう。



一方で、ア式の末端中の末端のOBとなった自分が思うのは、長くて短い楽しくて辛い4年間や、昇格、残留を目指して戦う1年間や、降格や他力昇格が決まる1試合は、ア式が経験した100年に達しそうな長い時間の中で、貴重な一瞬一瞬であり、小さな振れ幅のちょっとした一瞬一瞬なんだなということだ。その1世紀に届かんとする歴史の中には、試合に出れず悔しい思いをした方々が沢山いらっしゃって、ピッチで戦い夢破れた方々も沢山いらっしゃって、こんな部やってられるか、もっとやるべきことが他にあると部を離れた方々も沢山いる。そんな長い長い時間と大勢の想いが今のア式を作っていて、今日の試合で落胆した選手たちやその想い、それでもア式の悲願、自分の夢を叶えようと立ち上がる選手たちやその想いが今後のア式を作っていく。



現役部員が4年という限られた時間で、大学生活を賭してどうにか悲願を達成しようと死力を尽くすことは、ア式という大きな流れの中で上へのベクトルをプラスする大きな力であり、降格は大きな時間の中での小さな出来事なんだ!!いや、そうかもしれない、そんな気がする





というのが今想うこと。なんでもかんでも長い目で物を見るおじいちゃん的文章に仕上がりました。最後は誰になんと言われるかわかんないので、言葉を濁させていただきました。







面白いこと書けなくてもいいんだ。ありのままを書けばいいんだ!それがfeelingsなんだっ!!

自己肯定と今後もfeelingsが続きますようにという願いをこめて

4年DF 出戸秀典

2016年10月4日火曜日

悲観的な、あまりに悲観的な(仮)


「この試合は勝てる」幾度となくそう試算し、その甘さに気付かされたか。

「今日こそは絶対勝つ」幾度となくそう妄信し、その現実に跳ね返されたか。







約4シーズンを最前線で戦う中で見てきた様々な試行錯誤は、そのほとんどが結果を出せずシーズン半ばで同じ轍を踏むように決まった戦術に辿り着いた。しかし、その到達点も自分たちが望むほどの優位性を与えてくれない。そして、またシーズン始めには希望的観測のもと新たな戦術に向い







試合に負けるたびに自分たちの実力のなさを感じる。が、大学入学の時点で今戦っている相手とはすでに相当な差があり、それが埋まっていないだけという意味ではあまりに当然の結果。自分たちも上手く、強くなるためのトレーニングをしているが相手も同じように向上している。







まだまだ自分たちに甘さがある。もっとやらなければいけない。もちろんそれは当然なのだけれど、それだけでどうこうなるレベルではなくなってきている気がする。実力の差こそあれ自分たちのせめてもの特徴だった勤勉さや分析能力も、他チームがそこを疎かにしなくなった分、優位性が薄れてきた。







いまいち自分たちの甘さというものには気づきにくい。ワンプレーごとの局面ではそれがあるにしても大局的には「もっとやれる」という文言が宗教的なそれを含んでいるように感じてしまう。ただ、謙虚な向上心には欠けているだろう。自分たちが慶應と練習試合をするときの相手の真摯さと同じだけのそれで東都3部の相手と試合出来るかといったら自信はもてない。







長らく関東から遠ざかっている中で"関東昇格"を目標にした先輩は偉大だと思う。大学サッカー創世記とは大学サッカーの構図が大きく変わり、多分に困難な状況のなかでそれを目指そうとしたのだから。ただ、数年で100周年という歴史的な節目を迎えるチームとして再度指針を考え直すことも必要なのかもしれない。その節目の時にこのチームはどこにどのように向かっていくのか。







歴史にifはないけれど、もしそれを今シーズンで考えるとしたら、前期の初めにもう少し踏ん張れていたら何かが変わっていたかもしれない。ここまで悲観的にならずに済んだかもしれない。今季は比較的得点力が見込めると踏んでいたが、前期の初め6試合の間にその自信が失われてしまった。それも含めて実力のなさだとは思うけれど。







本気で勝利にこだわるのならば、今のようなシンプルなサッカーを続けていくしかないと思うが、やはりそこにも壁があるわけで

技術も上達させないといけない。ただ、ボール回しよりもシュート(ゴール前)や守備のポジショニングの方が優先順位が高いはず。







勉強ができるという意味では頭の良い集団だけど、それ以外ではスカウティングくらいでしか頭使って無いんじゃないかと錯覚することも。ピッチ上での"常識"の欠如は高校までの経験も関与するから足りないのはやむを得ぬとしても、もう少し伸ばせるはず。こだわりを持ち、自分自身で考え判断してプレーすれば。LBBRBの選手からも相当学べるはず。










後期になり自分たちの実力を再認識し、過信を捨てて闘ってきた。ただそれでも結果を残すには至らなかった。今後の展望も自分にはまだ見えていない。でも、"何か"をつかんで来季に繋いでいけるように。今後のア式の糧になるように。




やるからには本気でやるし、本気だからこそ本物の、得も言われぬ"楽しさ"がある。

今週はこっちから言わせてもらうよ。「さあ、楽しめるかな?」




酒井加里武

2016年10月1日土曜日

feelings再開のお知らせ


東大ア式関係者・サポーターの皆様
いつも応援頂き誠にありがとうございます。
手厚いご支援・熱いご声援を頂いているにも関わらず、東京都一部リーグでの弊部の成績は芳しくなく、先日25日(日)に行われた第15節(vs亜細亜大)の結果を受け、二部リーグに降格することがほぼ確実となってしまいました。部員一同、悔しさと、皆様に恩返しができず不甲斐ない思いで一杯ですが、リーグ戦が続く限り、残り三節、全力で闘っていく所存です。
 さて、このようなチーム状況にある今だからこそ、部員の試合に懸ける思い、ア式に懸ける想いを皆様と共有する場の必要性を強く感じ、この度、部員のリレーブログfeelingsを再開することを決意致しました。感謝の気持ち、やりきれなさ、サッカーをする喜び…、時に赤裸裸な程にここに記される、部員が普段考えていること・胸に抱く想いを通じて部員の素の姿をもっと知って頂ければと考えております。そして、皆様と部員とで一種の一体感をもって、今後の試合を闘って行ければ幸いです。
 feelingsを通じて弊部の部員をより身近に感じて頂き、もっと好きになって頂ければそんな嬉しいことはありません。再びご愛読の程どうぞ宜しくお願い致します。

平成28101日 
東京大学運動会ア式蹴球部

広報部長 松本彩伽