It ―それの名は。―

4年 平岡弥久


最後の試合が終わってからというもの、平日の夜はなんだか手持ち無沙汰で落ち着かなかった。

 

暇な夜はNetflixでピエロがでてくるホラーを見たり、Amazon2人の意識が入れ替わっちゃうアニメを見たり。この予告映像前回も見たなとか思いながら映画館のレイトショーを見てイギリスのスパイになった気分で一日を締めくくったりしている。夜にバイトをいれればいいものの、気付けば17時までのシフトしか出さずに、ぼんやりと育成シフトなら出られるな、なんて頭の片隅で考えてしまう。というのは嘘で、単に夜は家でゆっくりしたいだけである。

 

そうこうしているうちに12月。さすがに師走というだけあって、引っ越しや諸々の手続きで追われている間に締め切りが明日になってしまった。

 

 

 

4年間で染みついた平日の17時以降に予定をいれない習慣は、もうしばらく抜けそうにない。

 

 

4年間身を置く環境が大学生の私たちに与える影響は想像以上に大きいと思う。中高までの習慣なんて大学生活でいとも簡単に失われてしまうことは、誰もが頷く事実だろう。

 

 

この4年間で失ったもの。変わらずに持ち続けているもの。新しく身に付けたもの。

 

 

それぞれが自分というパーソナリティに織り込まれて行って、それを人は時がたつにつれて「成長したね」「大人になったね」という。過去の自分のFeelingsを読んでも終始ツッコミ続けられるほどにはものの見方は変わっていて、成長しているかはさておき少なくとも自分の変化は認識できる。これを読んでいる皆さんは、4年間を振り返った時に、成長したなと胸を張って言えるような大学生生活にしてほしい。

 

 

 

 

 

その存在を認識し始めたのは、3年の時だ。

 

 

2020年。コロナのせいでア式生活は半分なかったようなものだった。

 

4月から7月は部活も無く、コロナから逃げるように実家に帰省していたのだが、ふと2年の間に溜めまくっていた公認会計士のカリキュラムの消費をしようと重い腰を上げていなければ、テキストは塵に埋もれたまま4年時の試験に間に合わなかっただろう。

 

当時ア式の広報ユニット長と学連の広報委員長を掛け持ちしていた自分には、仕事だけはパソコンと一緒に大阪までついてきた。ここまで部活がないと、気持ちとしても冷めてくるのは仕方がない。しかも○○長になった途端、ただPhotoshopで楽しくデザインや画像編集をするだけでは事足りず、私の苦手なチェック作業や人と人との連絡の仲介というものが格段に増えた。

 

 

そういった小さな業務を餌に、それがだんだん頭角を現してくる。

 

 

 

そうこうしているうちに夏になり、ア式の活動も再開した。それが居る生活は、2年までの生活とのギャップと相まって、少し居心地が悪かった。特に学連は色々あってかそれの温床で、本音を言えば泣いてしまうほど逃げ出したかった。けど、そんなことはそいつが許さなかったし、もっと逃げ出したかっただろう人もいるなかで自分だけ逃げだすことは、忍耐力を欠いた自分を認めるようでやりたくなかった。

 

 

12月に学連を引退すると、それの存在感は一気に薄まった。

 

 

そして、4年の4月から試験のために休部させてもらって、広報ユニット長を後輩に引き継いだ。復帰してからも、単に画像を作る人で良くなって、死ぬほど気楽になった。その時、それの名前がようやくわかった。

 

 

 

 

 

「義務感」というらしい。

 

 

 

 

 

やりがいと義務感の境界というものは一重の紙のように薄い。

 

どちらも人に存在意義を与えるけれど、その副産物には天と地の差がある。やりがいは人に活力を与え、義務感はストレスをもたらす。

 

 

両者の違いは単純で、そこに楽しさがあるか否かだ。

 

 

 

おそらく多くの選手やスタッフにも当てはまると思う。サッカーをするのが楽しいから、一緒にプレーするチームメイトと時を共にすごすのが楽しいからこそ、ア式でサッカーをすることはやりがいであり熱量を注ぐことを厭わない。

 

だが、そこから楽しさが消えてしまえば週6でグラウンドに行く義務しか残らない。ピッチ外のマネジメントや試合で勝った瞬間の歓喜、チームの一体感を味わうのが楽しいからこそア式のスタッフにやりがいがあるのであり、楽しくなければ単に週3でグラウンドに足を運ぶ義務、ないしは誰もやらないタスクを処理する義務と化す。

 

 

選手やスタッフが部活を辞める理由も、結局は同じなんじゃないかと思う。楽しくなくなったらやめるのだ。ア式より、他に楽しいと思うことができたらやめるのだ。ただ違う点は、大半の選手が楽しさを見出す対象はサッカーである反面、スタッフはそれが人それぞれであること。ピッチ外の仕事のみにやりがいを見つけられる人は恐らく少数で、その少なからずを人との繋がりやコミュニケーションが占めるということ。

 

 

義務感が一過性であればそれほど問題ではないのだ。ぶっちゃけ新歓パンフの作成なんかは、作り始めは楽しくやっていても冬オフが終わる頃には大いなる義務に豹変していて部活を辞めたくなるというのが、私の中では毎年の恒例行事だった。

 

一過性のそれは毎年入部見学に来る新入生の足音にかき消され、リーグ戦が始まる頃にはすっかり忘れていた。当時は、この感情が義務感によるものなんて気づいてもいなかった。

 

「頑張る姿は美しい」とはよく言ったもので、皆がサッカーと向き合っている姿や楽しそうに練習している姿を見たら、そんなことどうでも良くなった。

 

 

 

けれど、3年時はそうはいかなかった。約1年もの間、ユニット長や委員長の名がある限り、最終的な意思決定権や責任というものが伴う。加えて対面での練習も無ければ、試合や応援というやりがいも得られず、はたまた勉強せねばと自分を追い立てるうちに益々義務感が増す。

 

 

 

そういう意味では、休部という期間をとってけじめをつけた最後の年は純粋に楽しめた気がする。けれど、ア式に何の付加価値も与えることができなかった。やりがいを活力に駆け抜けた2年目と義務感に押しつぶされそうになった3年目を経て、何かを変える気力はもう湧かなかった。

 

ピッチ外のマネジメントに無くてはならない存在としてその職務を完遂した2人のマネージャーには頭が上がらないし尊敬しかできない。特に後輩マネには、負担を軽くする努力が結局できず仕舞いでごめんなさい。2つや3つも上のOBの応援や喝入れに最後まで頼りっぱなしだったのも、その未熟さ所以だったと思う。

 

 

 

 

 

振り返れば、勝利の勢いで駆け抜けるように去った1年目。勝つ喜びを体の芯から実感できた半面、スタッフとしては未熟すぎて先輩達には迷惑をかけた。

 

1部で全然勝てなかったけど、國學院戦のハヤブサのようなゴールは涙がでるほど嬉しくて脳裏に焼き付いている2年目。Player! を学連に導入したり、ア式のブランディングを手掛けたり、一番スタッフとしては役に立っていたのかな。

 

コロナ禍で負けられない2部での戦いが続き、独特の緊張感のあった3年目。自分はリーダーに向いてないなと実感するほどに、ミスや抜けが多かった広報委員長とユニット長の年。

 

監督が代わって、2か月休部して。コロナ対策でリーグ戦に立ち会える機会が減って悲しかったけど、めちゃくちゃいいカメラで写真が取れて楽しかった年。一歩離れた視点に立つことで出来ることもあっただろうに、結局何もできなかった。

 

 

 

それぞれに味のある4年間。変化はしたけど、成長は出来たんだろうか。

 

 

 

義務感ばかりの社会に出る準備は出来たんだろうか。

 

 

 

結局逃げ出しただけの、情けない自分なんだろうか。

 

 

 

そう自省できるようになっただけでも少しは成長したんじゃない、と思うのは甘えだろうか。

 

 

 

きっと甘えなんだろう。なんだかんだ、3年時の学連より100倍居心地がいいと思えるような環境で4年間過ごしてきたのだ。

 

 

 

 

結局成長していないのかもしれないけれど、きっといろんな経験を通して学びはあったし、視野は広がった。

 

 

休部して受験勉強モードに入ったとき、「目の前に積まれている教材をこなすだけでいいなんて、なんて楽なんだろう」としみじみ思ったのを覚えている。と同時に、死ぬほどつまらなかった。自分で組織の目的のために何をするべきか考えることは、正解がなくてキリがなくて、それでいてとても楽しいことだって分かった。

 

サッカーという競技が奥深くて、得点を決めるまでのプロセスが、単純なようで本当に大変だということも知った。今ならプロの試合で、得点時にテンションがぶちあがる人の気持ちが手に取るように分かる。

 

ブランディングを通して、色やフォントの持つ魅力やデザインの楽しさを知ることができた。

 

組織を運営することが、皆が気持ちいい環境を作ることが、どれほど難しいかも身をもって実感した。

 

 

 

 

 

私がア式で学んだ大切なことがもう一つある。

 

恥ずかしながらこの4年間は、私が生きているうちで最も他人の気持ちを考えようと精一杯努力した4年間だった。

 

中高一貫の6年間は慣れればなんにも考えずにも楽しく時は過ぎて、書道部も勉強も個人プレーだ。習い事も仲良く楽しくやってきたし、人間関係やコミュニケーションで悩むことなんてほとんどなかった。よっぽど周りに恵まれていたか、重度に鈍感だったかのどっちかだろう。どっちもかもしれない。とにかく、居心地のいい環境でぬくぬくと楽しく過ごしてきたのだ。

 

 

 

大学の人間関係は面白いもので、ある集団は希薄という一言で済んでしまったり、ある人は社会人になっても会うだろうなと思う。ア式はチームメイトであり、仕事仲間であり、プライベートでめちゃくちゃ遊ぶひともいれば、HPの部員紹介のページに載っている情報しか知らない人もいる。

 

 

だからこそ、阿吽の呼吸、以心伝心と一筋縄ではいかず、その人が自分の言葉をどう受け止めるか、どう感じるかを考えなくちゃならない。もちろんこれを考えるより先に無意識にできる人もいるだろう。何を当たり前のことをと思うひとには、そういう人もいるんですよと。

 

 

練習のマネジメントも監督や選手の意図を読み取らないといけないし、試合の雰囲気もそうだ。自分がスタッフである以上、試合に勝った時や負けたときの選手の感情なんて比じゃないだろうから一生分からないんだろうけど、汲み取らないとお話にならない。

 

 

我ながら考えられるようになったなと思うのは、一言に同期のスタッフのお陰で、ア式について話すたびに自分が考える以上に選手のことを考える彼女たちがいて、何度も感銘を受けた。こういう考え方があるんだと学べた。AIという噂のある彼女は心理学のディープラーニングでもしているかと疑うレベルだったし、入試の国語の点数が私の1.6倍くらいある彼女はさすがの読解力という感じだった。単なる友達の関係だったら実現しえなかっただろう学びであるし、ア式にとっていいことは何かと腹を割って話せる関係だったからできたことだと思う。本当に、たくさん学ばせていただいてありがとうございます。

 

 

その逆も然り。誰かの言葉で傷ついてしまう人も全く傷つかない人もいる。こんなにも受け取り方が違うのかと驚くほどに、人によって解釈が違ったりする。だから、ちゃんと誤解を解ける状況、面と向かったコミュニケーションをやっぱり大事にしないといけない。

 

 

同じチームにいても、スタッフと選手のものの見方にはやはり違いがあることは否めない。

 

決して全員に当てはまるわけじゃないけれど、例えばミーティングがつまらないとかダルいとか、そういったぼんやりとした愚痴が、どうやったら参加しがいのあるミーティングが開けるか考えなくちゃいけない義務感を無意識のうちに誰かに押し付けている可能性もあるということ。もちろん選手の舞台はピッチ内がメインだろうし、スタッフもダルく思われているのは百も承知で、ア式に良かれと思ってやっている人がほとんどだから。説教めいたことを言うつもりはないけれど、グラウンドに行くのがダルいと言わない彼女たちに敬意を払って、文句をいうなら、家の片隅にある壺に向かって夜中に叫ぶか、建設的な意見を添えて本人に言ってあげて欲しい。

 

 

何が言いたいかというと、選手の言葉は、恐らく自分が思っている以上に重いということ。スタッフに存在意義を与えうる一方で、簡単にそれを奪ってしまえるものだということ。本当に言い方次第なのに、そこで貴重な人材を失うのはあまりにも勿体ない。

 

 

 

 

気力が湧かないときも、もう何もしたくなくなった時も、1年の終わりからずっと頭に残っている言葉がある。

 

 

「来季から1部で大変だろうけど、チームの雰囲気は、スタッフの子にかかってるからね」

 

 

1年時の後期リーグ打ち上げの後に、引退する元主将から言われた言葉だ。

 

チームの主体はあくまで選手という固定観念にとらわれていた当時、この言葉は響いた。特に、選手しかも主将に言われると、真偽はともかく説得力があった。おそらく本人は覚えていないだろうけど、スタッフとしての意識が劇的に変わった瞬間を挙げるとすれば、間違いなくこの瞬間だったと思う。少なくとも、4年間根拠もなく私に存在意義を与えてくれた言葉だったと思う。

 

 

実現できていたかは分からない。周りに恵まれていたから、別に私が発揮できていなくても大丈夫だったのかもしれない。最後の日にお花をくれた先輩スタッフは間違いなく行動で示せていたし、ピッチ内ではいつもバンプ好きの副将とかイケメンの後輩の副将とかが前向きな声かけをしていて、みんなが下を向かないように引っ張っていた。

 

 

 

最後のマッチデーに「周囲を自然と笑顔にさせる雰囲気の持ち主でもあった」と書いてもらえたけど、一人でも多くのチームメイトがそう思ってくれていたら嬉しい。

 

 

 

 

 

 

1部で圧勝するスコアシートを見るまで、これからもア式の活躍をTwitter上で楽しみにしています。

 

 

 

 

最後に、日ごろの活動を陰で支えて下さっている大人の方々に感謝します。

ここまで学生主体が尊重されていて、やりたいことのある学生が自由に羽を伸ばせる環境というのは、周りをみてもなかなか無いように思います。

4年間、様々なことに挑戦する場を設けて下さりありがとうございました。

 

 

 

4年 スタッフ

平岡弥久

コメント