備忘録2

ふと落ち着いて自分の今について考えてみると,なんとも言えない気持ちになることが多い.

できるだけ面白くしようと頑張ってきたつもりだし,やりたいと思ってきたことはある程度達成してきた実感もある.でも,「なんだかなぁ」という感覚がどうしても残ってしまう.

 

理由はずっと考えてきたけど正直よくわからない.自分に原因があることは間違いがないのだけど原因特定はできていない.

それでもどうしたら自分の人生が面白くなっていく可能性が高いのかということが, 少しずつempiricalにわかってきた気がするまたも備忘録的に記しておきたい.

 

 

「面白くしようと頑張ってきた」と言ったが,そのきっかけを作ってくれたのはいつもその時に出会ったであるということが多かったなと感じる.

 

東大受験のきっかけを作ってくれた高校時代の友人レイソルに導いてくれたGKコーチなんか顔合わせから仲良くなった上クラの人僕をもう一度サッカーに引き戻してくれたア式の先輩方(まとめてすみません)研究室の教授や先輩など

 

どんな出会いも自分から意図して起こすことはできないわけで(ここにあげられていない人も含め)これら全ての出会いは偶然あるいは奇跡である.

できることであれば,このような出会いを意図して増やしていきたい.しかし,コントロールできることではないということは直前に確認したばかりである.

 

 

ではどうするか.

 

まずは違う環境やコミュニティーにいた状態では,そもそも出会える可能性がないわけなので適切な環境に身を置くことは大事だと考える.ただ,たとえ同じ環境で一緒に時間を過ごしたって,コミュニケーションをとって関係が生まれないと出会いとはならないわけで.そういった意味で,関係が生まれていくための工夫も必要である.

 

他者自分の方向性を持つことは基本的にコントロールできることではないので,新しい環境へ飛び込んでいくなど,自分からアクションを起こしていく自分他者の方向での工夫が必要である.この文脈では“comfortable zone” という言葉がよく使われるけれども,この場合のcomfortableの意味はさらに二つの観点から捉えられると思う.

 

一つ目の観点は,その環境で接する人々との関係.

“comfortable zoneを飛び出すという言い方がされることが多いけどこの場合は逆であって,やはり一緒にいてcomfortableであると感じる人が多い環境に身を置くことは非常に大切であると思う.どういう関係にcomfortを感じるかは人それぞれなのでこれ以上書かないが,とにかく自分の直感として合うなと思う人々に囲まれることが何よりも大事だと考えている.

 

二つ目の観点は,その環境のレベルである.

レベルは定義が難しいけれども,多分今我々がレベルと言われて頭に浮かぶようなことは大体同じだと思うのでいちいち定義については気にしなくて良いだろう.この場合では,やはり”comfortable zone を飛び出すのが良いのだと思う.不当に高いレベルに身を置いたって,お互い不幸になるだけなのでしっかりと自分の現状に鑑みた選択をしないといけないけれども,常にレベルという観点で言うとchallengingな選択をしたほうが良い出会いにつながることは多そうである.

 

以上確認した観点で二重に“comfortable”であるような環境を常に選び続けていくことが,自分からのアクションとしては大事でありそうである.学部生活もあと1年となってしまったけれども,まだまだ色んな人との対話や出会いが生まれていくことを期待して過ごしたい.

 

 

 

あまり長く書いても筆者も読者も大変でお互い得をしないので,最後にここまでのことを踏まえて,一つだけ決意じみたことを言って終わりにします.

 

 

結局自分の人生を面白くしてくれるのは,人との出会いというきっかけと,それを本当に面白くするための自分の不断の努力だということが現状わかってきた訳だけれども,ここで感じたのはじゃあ僕がきっかけを作り出すことはできているのかということだった.

 

僕自身は多くの人の出会いに支えられてきて,これからも支えられるだろうけれども,僕は他の人にとってそんな存在に一度でもなれただろうか.節目となるようなきっかけは作り出せなくても,少なくとも出会えてよかったと思えるような魅力ある人になれているだろうか.(人の感じ方はわからないので,そもそも自信の持ちようもないのだけれど)正直自信がない.

 

だからといって,人間はあくまで自分の幸福を追求するものだと思うし,他の人の幸福のためばかり考えるというのもなんとなく違うと思う.今まで通り目の前のやりたいこと・やるべきことをやり続けて自分を豊かにしていくことを続ける中で,その過程で作り上げられた僕という人間が少しでも他の人にとってプラスだと思ってもらえるようなことが少しでも増えるようになっていけば,冒頭の「なんだかなぁ」という言葉も出てこなくなるのだと思う.

 

 

まずはこのア式蹴球部というクラブに関わる人々のできるだけ多くの人が,「あいつがこのクラブに来てくれてよかった」と思ってくれるようプレイヤー,というより人間になれるようなプレーを,そして行動をできる一年にしたい.

 

願わくば,一部残留という形になるものを残して去りたいと思っています.

 

 

4年 染谷大河

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