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4月, 2017の投稿を表示しています

目標(仮)

ホームページに今シーズンの目標を書く欄がある。深く考えずにフィーリングで チームの『軸』と言われるプレーヤーに成長すること とした。 よくもまぁこんな大きな目標を … 二年生らしく『レギュラーとして一年間試合に出続ける』とか、保険をかけて『 ( 途中出場でも ) チームに貢献する』とかいくらでも他に目標の立て方はあった。正直、自分の実力だとそれくらいが妥当といえば妥当だ。 でも、それでは その程度でいいのか? と『リトル中村』に言われる。 3 、 4 年生になってチームの中心としてプレーするのは今の所、僕にとっては最低限の目標だ。でも、 2 年生の段階でチームの軸になれれば自分はかなりレベルアップできるんじゃないかと胸が高まる。 このミッション正直相当難しい。そもそも俺が軸になる必要なんてないもん、四年生上手い人いっぱいいるし。 まぁいいや、やるだけやってみよう。挑む価値あり。 2 年 中村紳太郎

広島東洋カープから学べること

今週末、東京都大学サッカーリーグ2部の 2017 年シーズンが開幕します。 ア式にとっては 99 年目の、 私にとっては、ア式で過ごす3年目の春、折り返し地点がやってきました。 2年間過ごしてきて感じるのは、大学スポーツの難しさです。 入部した瞬間から、4年後の引退が決まっている、というこの世界において、クラブを持続的に発展させるのは、とても難しいことだと痛感します。 4年間。 これが、私たちに等しく与えられた時間です。 1部と2部を行き来したこの2年間は、それぞれの年の個性はあれど、チームとして同じような道筋を辿っていたように感じます。 ひとりひとりに目を向ければ、もちろん成長しているでしょう。しかし、技術的にも精神的にも最も成長したであろう4年生が引退し、新たに1年生が入ってくる、という毎年の流れの中で、チームとして成長できているのでしょうか・・・。 ここまで考えて、ふと思い立ったのは、「全盛期の選手がチームから抜けてしまうジレンマ」は、資金力のないプロチームでも見られる、ということです。 せっかくチームのエースが生まれても、資金力に劣るチームは引き留めることができず、全盛期の選手を失ってしまう。 大竹を、マエケンを、遡れば、金本、新井、黒田を FA で失った広島東洋カープは、その代表例かもしれません。 12 球団で唯一親会社を持たない広島は、資金力では他チームに劣ります。 しかし、昨年はセ・リーグで巨人や阪神を破って優勝、今年もその勢いそのままに首位をキープしています。 カープつえー。 ということで、ア式がチームとして成長するヒントを得るべく、カープの強さの理由について考えたいと思います。 私が思う、カープの強さの理由は3つです。 ① 育成がしっかりしていること ② チームとその周囲が同じ方向を向いていること ③ 機動力野球 では、ここから、ア式に当てはめて考えてみます。 ① の育成。これは、絶対に必要ですが、足りていないことのように思います。4年生が抜けた穴を埋める選手が、その選手と同じくらいの活躍、将...

裏側

高校時代、正直サッカーの練習は辛かった。火曜日から土曜日は毎日朝練。どんなに寒い日も、どんなに疲れている日も、どんなに雨が降っている日も、 7:00 からの練習に向かわなければならなかった。長期休みのときは、練習の 1 時間前くらいに学校に到着し、壁に向かって少しボールを蹴り、練習中は顧問の先生に怒鳴られ、走らされ、練習が終わると少し自主練をし、帰っていた。オフは 1 週間に 1 回。 2 日連続のオフがあるのは年末年始だけだった。 大学に入ってからも、中学・高校時代と同じように、練習の時間になったらボールを片手にグランドに出て、与えられたメニューを必死にやり、練習が終わるとみんなで片付けをしたあと着替えて帰っていた。 今年最上級生となり、部のことが少しずつ見えてきたような気がする。主務という仕事柄、部の OB や他の役職のことを知り、理解するようになってきた。そこであることに改めて気が付いた。 普段当たり前だと思っていることは、実は当たり前ではない。 これは様々なところで頻繁に言われていることである。当たり前だと思っていることに感謝の気持ちを持ちましょう、的な流れが多い。もちろん自分も頭の中では理解しているつもりだった。しかし、いざ現場の裏側を見る機会が増えると、自分が想像していたよりもはるかに多くのことが自分の知らないところで行われていた。 1 年生のころの自分は、当たり前のように、ただグランドに来て、練習をして、帰っていた。週末には当たり前のように練習試合が組まれていて、プレーしていた。 実際には、毎日練習メニューを考えてくれるコーチがおり、練習を仕切ってくれる OB コーチがおり、 OB が用意してくれたゴールがあり、スタッフが用意してくれた水があり、練習試合を組んでくれていた先輩がおり、ビデオを撮ってくれるテクニカルチームがおり、 1 回の練習、練習試合の度にたくさんの人がチームのために働いてくれていた。僕の知らないところでも、これよりももっと多くの人が働いてくれているはずだ。 OB の方々が大枚をはたいて現役の活動をサポートしてくれていること、学連のスタッフが身を粉にしてリーグ戦を円滑に運営してくれていること、忙しい中コーチがチームの状況を考えて戦略を練ってくれていること。例を挙げ...

要塞

2016 年 12 月 31 日 16 時 00 分 ( イギリス時刻 ) イギリスを訪れた僕はある要塞に足を運んでいた。ライムストリート駅を出発し、歩くこと 30 分。日が暮れて灯がともり出す街の中心部が遠く下の方に眺められた。同時に、要塞が近づいてきたこと非常に胸が高鳴っていた。 2016 年 12 月 31 日 16 時 15 分 人数が増えてきた。誰もが要塞に向かう同士である。赤い帽子をかぶっている 8 歳くらいの男の子とその父親。テンションが高い青年 3 人組。赤いマフラーをつけた早足のおじさん。ゆっくりお喋りしながら歩いてる老夫婦。皆が志を同じくして要塞へと足を運んでいた。 2016 年 12 月 31 日 16 時 25 分 到着した。空はすっかり暗くなったが、要塞は真っ赤に輝いていた。要塞に刻まれた名は『 Anfield 』。そう、リヴァプール FC のホームスタジアムである。ここでリヴァプール FC は数々のドラマを生み出してきた。ファンであれば、一生に一度は訪れたいと思う場所であろう。この日はプレミアリーグ第 19 節マンチェスター・シティ戦が行われることになっていた。 要塞の外は非常に賑わっていた。多くの店が並び、食べ物やグッズ、パンフレットが売られていた。大型ビジョンには前回のシティ戦のハイライトが流れ、沢山の人で盛り上がっていた。皆が皆、 30 分後を待ち望んでいて、僕もとても興奮していた。 2016 年 12 月 31 日 16 時 35 分 入場口での厳重な検査を超えた先には、とても言葉にはできないような世界が広がっていた。画面の中でしか見たことがなかった大好きな選手たちが目の前でアップしていた。席はもう大分埋まっていて、両チームのアップに対する野次や声援が飛び交っていた。沢山の光によって照らされた要塞の内側は、1つの大きな生き物のように奮い立っていた。 2016 年 12 月 31 日 16 時 58 分 試合開始直前、要塞の中をある歌が響き渡る。 『 You'll never walk alone 』 大声で歌う者。早口で歌う者。明らかにメロディがおかしい者。もはや叫んでるだけの者。統率され...

プロテイン5000mg配合

この大学に入ると一年生が最初にぶつかる壁として ALESS/ALESA 、そして初年次ゼミナールの二つの授業がある。それぞれ英語と日本語で論文を書く授業であるが、そこで繰り返し言われるのが、論文で述べることの根拠をしっかりと挙げて論を立てろということである。専門家の意見、実験、統計の数値などしっかりとした根拠を挙げなければ論文内の主張は一切認められないのである。 そういう授業を受けていると何事にも疑り深くなってしまう。 先日生協で飲み物を買おうと商品棚を見てみると、 CM で有名な某大手ジムの新商品の 500ml ペットボトル飲料がおいてあった。それには大きくプロテイン 5000mg 配合と書いてあった。筋トレに効果がありそうな包装に、あたかもプロテインがたくさん入っているような書き方がされているが、要するにたんぱく質が 5g 入ってるということだ。牛乳コップ一杯で約 7g たんぱく質が入っているのでそっちを飲んだ方がはやい。 最近こんなことについ目がいってしまう。そんなことを見つけて人生楽しいのか、と言われてしまいそうだが、別に好きでこうなった訳ではない。全部 ALESA と初ゼミのせいである。といいつつも全部人の言うことを鵜呑みにして自分では考えもせず、周りに流される人間でありたいとも思わない。 高校時代、選手権までサッカーを続けたら東大には合格できないということが既成事実のように自分の周りでは語られていた。そんな中、総体でチームの主力は全員引退した。残ったのは控えだった自分を含めたった三人。そんな状況でサッカーを続けることに意味なぞないと言う人もいた。ただそれでも自分は意地でもサッカーがしたかった。だから続けた。結局サッカーで結果は残せなかったが、それでもあの半年間は自分にとってサッカーと勉強の二つに本気で取り組めた大事な時間だった。 世の中既成事実のように語られていることが、実はいい加減なことだったりもする。結局のところ大切なことは何事も自分でしっかりと考え、見極めることである。だから自分は誰がなんと言おうとしっかり自分を持って、サッカーも勉強も頑張って行きたい。 2 年新屋輝長

雨曝し

「次の 1 歩で 滑落して そこで死んでもいいと思える 1 歩こそ ただただ 命にふさわしい」 先日いったライブで僕が 1 番感銘を受けた言葉だ。いつも何となく聞いてた歌詞だったけど、いざ生で聞くとずしっと重みがあって、やっぱりライブっていいなあと思った。 大げさかもしれないが、人生の岐路に立ったときにはこの言葉を思い出したい。 僕自身、大きな決断は3回あった。 最初は 10 歳で、水泳かサッカーを選ぶとき。そのときの僕は完全にサッカーに傾いていたが、水泳のほうが向いてると周りに言われ悩んでいた。 ただ、水泳の練習は地獄だった。無呼吸の練習が毎日で、死ぬんじゃないかと思いながら辛すぎて泣きながら泳いでるときもあった。このまま 10 年続ければオリンピックにいけると言われたが、さすがに無理だと思った。 次が 12 歳のとき。こんどはサッカーか受験か。正直サッカーしたかったし、受かるかわからないが Jr. に行きたいと思ってた。 けれど、親の意思はかたくて僕自身もチーム内で上位ではないと分かっていたこともあり、ここでプロになるのを諦めた。 3つ目は大学に受かったとき。 後期合格なので理3以外の科類を選べる状況だった。生物系が好きだったが前期落ちてる時点で向いてないよなあと思い、進振りに有利そうな文1を選んだ。 新入生ならどこの団体入ろうか迷ってる時期だと思うし、入ったら入ったでやめるか続けるか迷うことになると思う。 けど、結局何を選んでも隣の芝生は青いし、過去の選択のつじつま合わせみたいにいまの自分を正当化することしかできない気もする。 あーどっちにするかなーと悩んでるとき、僕は冒頭の歌を思い出して、忸怩たる思いを抱くよりもむしろ大胆に進むことのが大切なんじゃないかなと最近思うようになった。 僕が迷ったとき必ず聞いてるのが amazarashi というバンドで、せっかくなのでそのヴォーカルが昨日言ってたことを書き留めておこうと思う。気が向いたら楽曲も聞いてください ^^; 「 戻らぬと決めたら旅路へ戻れ 今日だってどうせやまない雨 降らば降れと天をにらみつけ ...

その選択に後悔はないか

去年の 9 月の終わり 「右膝前十字靭帯断裂、手術は 11 月で復帰はそれからだいたい 8 ヶ月後になるかな」 医者に言われた瞬間、「え?待ってくんね?え?おれ、もう来年で最後だよ?え? 6 月復帰?」 目の前が真っ暗になった。。。。 って感じで怪我について書こうと思ったんですけどまだリハビリ期間中だし、復帰後にどうなったかとかまで書きたいので怪我については次の次くらいの feelings で書きます。 ( まだプレイヤーは辞めてません、頑張って復帰します。 ) ( どうせみんな同情票の稼ぎやすい怪我について書くと思ってたんだろ。 ) さて、何について書こうかなと考えたらちょうど新歓の時期ということなので自分がこの部活に入った経緯、そしてその入部という決断を今どう思っているか、といった事について書こうかなと思います。 いま、ア式を考えている新入生達が読んでくれて少しでも参考になってくれたら幸いです。 まず、なぜ僕はア式に入ったのか。 正直言って入学当初は大学で部活をやろうなんて全く考えていませんでした。 ただ、これといったサークルも見つからなくて大学生活どうしよっかな~って悩んでいるところに高校からの友達 ( 寺内 ) がア式の体験練習に行かないかと誘ってくれたのがきっかけでした。 寺内が大学の近くのカレー屋 ( ルーシーだったかな ⁈ ) で添田さん ( 当時の主将 ) の駒場コンパでの話を僕にしてくれたのは今でも覚えています。 「本気でサッカーができるのは大学が最後のチャンス、本気でサッカーをしたい人にこの部活に入ってもらいたい。」 詳しくは覚えてませんがこんな感じの内容だったと思います。こんなあやふやな記憶で引用してしまうと、先日の卒業式で今話題となってる式辞を読み上げた教養学部の学長さんに怒られてしまいそうですが。 この言葉を聞いて僕は、果たして今までの人生で本気で...