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憧れ

2008-09 シーズン、新しいバルサのサッカーは衝撃的だった。会話や挨拶でも交わすかのように短いパスを交換しながら、いとも簡単に相手の守備組織を破壊していく。こんな攻撃は見たことがなかった。それは美しくて、かっこよくて、なにより楽しそうで。僕は瞬く間にそのサッカーの魅力に取り憑かれてしまった。 この前、 J リーグのトライアウトが実施されたという記事を見た。 名古屋のユースで 10 番付けてたあいつ、札幌で代表にも選ばれてたあの CB に一個上の 10 番だったやつ、エスパで代表の一個下の FW 。ユース時代は相手チームにいるとチーム内で噂になったような同年代のトップ選手達の名前がメンバーリストには何人も載っていた。プロの世界の厳しさを見せつけられる。思わずため息が漏れた。 ここ数年で一番退屈なクラシコだ。少なくとも 60 分までは間違いなくそうだった。繋げないバルサ、精彩を欠くブスケツ、孤立するメッシ、哲学を持たない指揮官。憧れのチームがそのスタイルを自分たちから捨ててしまったのが寂しかった。サッカーを少しだけ嫌いになりそうだった。 あの 8 番が途中から入ってきた。圧巻だった。彼がボールに触るたびにバルサがバルサらしくなっていく。 1 人入っただけでこんなにも違うのか。メッシにもスアレスにもできなかった仕事を、その男は淡々とこなす。サッカーの醍醐味をその体に詰め込んだみたいなプレーだ。 サッカーを始めてからもう 15 年、やりたいサッカーをするチームには出会えなかったし、ユースでは自分のレベルの低さを痛感し、一度は夢を諦めさえした。理想のサッカー人生とはもう掛け離れたものになってしまった。 もう一度サッカーにかけようと思うまでにかかった 2 年という時間は思ったよりも重い足枷になっている。自分がここからどこまで這い上がれるのか、焦りを感じてはいるものの思ったような成果は出ない。 結局、バルサは終了間際にレアルに追いつかれて 1-1 。後半は内容で圧倒しながらも、勝ちきることはできなかったのだけど、そんなの全然気にならないくらい素晴らしい 30 分間だった。かつては色白でひょろひょろで、いかにも頼り...

ケガ

ア式に入って半年以上が経った。自分はサッカーがしたくてこの部に入った。しかし現実はそれを許してくれなかった。ア式部員としての生活の半分以上を自分はケガ人として過ごしている。どこの部も同じかもしれないが、ア式ではケガ人となったら他の選手が練習する横で筋トレをする。家でもできる普通の腹筋や腕立てなどをしにわざわざ東大のグラウンドに行くのである。こんなことを言ったら怒られるかもしれないが。筋トレ中、面倒臭い、だるい、帰りたいなどマイナスの気持ちしか生まれず、それにたまに練習中の選手の楽しそうな声が聞こえてくると腹が立ってくる。こんな生活を自分はすでに3、4ヶ月送っている。考えてみると、小中高を通して大きなケガをしたのは1回だけだった。その1回も強烈なタックルをくらったもので、避けるのが難しいものだった。しかし、大学に入ってすでに2回。靭帯と肉離れ。どっちも自分で勝手にやったもの。体が勝手におじいさんに近づいているのかなと思った。悲しい。よく有名スポーツ選手がテレビなどで、『ケガしたことをプラスにしたい』などと言っている。自分もそうしようと最初は思っていた。自分の努力不足かもしれない、いやそうだろう。しかしプラスにできるなんて想像できない。ケガをしたという事実を好転させることは僕みたいな凡人にはできない。ケガは思っている以上に簡単にできる。実際、自分は簡単にできた。言いたいことはただ1つ。スポーツをしている人もしてない人も、皆さんケガには気をつけましょう。 1年 城後仁

大学サッカー

突然だが自分は j リーグ事務局でバイトをしている。そのおかげで j リーグにより興味を持つようになり、クラブのことを調べたり、試合をテレビやスタジアムで見るようになった。海外に比べ技術レベルが低いとか応援するチームがないとつまらないとかいう意見もあるけど、 j リーグは見ていて面白いと思う。 一方で、当然ながらア式を中心に大学サッカーの試合を見る機会も多い。高校サッカーの試合なんかもたまに見る。プロに比べればクオリティはだいぶ低いけど、それでも印象に残る試合というのは多くある。それはきっと、技術以外のところにも人を引き付ける要素があるからだろう。 最近親に言われてなるほどと思ったのが、世の中の多くの組織には給料というものがあり、そこに所属する人はお金をもらった分最低限のことはする。大学の部活はそういうものではないから、人を動かすのも大変かもねと言われた。けれども、逆に考えればそれなのにそもそも何故ここには人がいるのだろうか? それはきっと、みながこの場所にはお金以外の何かがあると思っているからだろう。サッカーをするのが純粋に楽しいのか、仲間と勝利を勝ち取る喜びを求めているのか、この場所で成長したいと願うのか、あるいはもっと漠然としたものかもしれない。でも、何もないというわけではないだろう。 東大生というのは一学年に 3000 人いて、大学を卒業すれば世間にはもっとたくさんいて、そこまで希少価値の高いものじゃない。周りを見れば自分以上に頭の良い人間、有能な人間も見つかるはず。じゃあ、自分は大学で何ができるのだろうか。 勉強も、留学も、インターンも、研究も、サークルも、遊ぶのも良いことだと思う。でも、東大に入ってまで体育会のサッカー部に入ることを考えてしまうほど自分の中にサッカーが根付いているのなら、そんなに簡単にこの場所をあきらめてしまうのはもったいないんじゃないだろうか。東大ア式でもがき、苦しみながら、楽しみ、喜ぶことはもしかするともっと意味があることなんじゃないだろうか。 2 年森本和人

一年目

もうすぐア式での一年目が終わる。本当にあっという間だった。少し自分の一年を振り返ってみる。 はじめは割と順調だった。小さな怪我はあったものの、五月末くらいには A にあげてもらえて京大戦ではスタメンに入れた。それからしばらくは出場機会に恵まれていた。 でも後期リーグが開幕して、ゲームの強度が上がっていくなかで、自分のフィジカル面での弱さは致命的だったし、基礎技術が足りないことも実感させられた。当然出場時間は減っていき、ベンチから試合を観る時間が増えた。自分の長所を生かして堂々とプレーするチームメイトはホントにカッコよかったなぁ … この一年で後悔していることは、最初から最後まで「一年生」だったこと。 フィジカルで負けるときも、チームを引っ張れないと感じるときも、サッカーを楽しめないときも、どこか「まあ、まだ一年だから。」と思っていた気がする。 そういう殻は破らなければならない。 言い訳なしで、最高にサッカーを楽しもう。 ア式 年 白藤 優

Faster,Higher,Stronger

今までサッカーをしてきた中で、数え切れないほどの選手と対戦してきた。もちろん、その選手たちはそれぞれ個々の特徴を持っている。しかし、僕が一番対戦して嫌だと思った選手タイプが一つある。それはフィジカルが強い、いわゆるフィジモンだ。ア式で言う北西ですね。走るし、速いし、強いし、シュート強すぎだし .... 誰もが一度は北西が同じチームにいてよかったと思ったことがあるだろう。 やっぱりフィジカルが強いと有利、体力があると有利。それは日々感じているが、一ヶ月前の大東文化大学との練習試合が特に印象に残っている。こっちとしては、とても苦しい試合だった。相手選手は皆ガタイがよく、こっちは迫合い、球際などで全然勝てなかった。相手は体を張ればボールをキープできるが、こっちは押されながなんとかキープしようとする。もちろん、技術面での差もあったが、それ以前に向こうは大きなアドバンテージを持っていた。 言っておくと、僕は細くて、体力もなくて、フィジカル面ではかなりレベルが低い。「ガリガリだね」ってよく言われるほど。だから僕はフィジモンを苦手としてきたのだろう。アスリートとして戦えてなかったと思う。 結局、サッカー選手もアスリートで、ラグビーの選手ほどではないですが、フィジカルがかなり大事である。今回は自分が感じたことを書いたが、チームの他の人も同じことを感じたことがあるはずだ。そして、これは僕個人の課題であるが、チーム全体にも当てはまると思っている。チームの全員が一段階フィジカルを強化することができれば、もっと強いチームになれるにちがいない。逆に最低基準に満たなければ、戦えないだろう。言うのは簡単だが、実践するには相当なメンタルの強さが必要となる。でも僕は最後の1年間勝って終わりたい。 当たり前ですが、技術も大事です。 でも、僕はまず体力をつけます、強くなります。 オールブラックスの選手がどうしたらあんなにデカくなるのかが不思議です。 3年 柳澤 アーサー

微熱少年

洋画に憧れて英語を始めたり、友達に誘われて部活に入ったり、きっかけは些細なことで、 僕がカメラを始めたのも、家中に父の撮った写真が飾ってあるからだ。 写真を始めてから 1 年半、本当にいろんな人の、いろんな瞬間に立ち会った。 名も知らないサークルの新歓パンフレット、成人式の親子、卒業を迎える大学生といった節目だけでなく、 旅行先の定食屋のおばちゃんや、葉っぱ、ど田舎の駅など 1 万回以上シャッターを押した気がする。 撮るときに考えるのは、「主題」と「色」。 ボールとか、人とか、分かりやすいテーマのときもあれば、ノスタルジックなど曖昧なことも多い。 ただ、どういう感想を持たれても気にしないが、テーマだけは決めようと思う。 色は常に「記憶色」を意識する。 つまり実際の風景に「思い出補正」を足した色を最初から表現するように、イメージは「君の名は。」の色合いだ。 始めたころは、写真の教科書だけみて、そこに書かれた設定も構図も色も全部真似して基本に忠実にやってたが、 最近は写真集や映画や漫画などから構図と色を、また音楽や本からはイメージをもらい撮る。 最近はミラーレスなど、重いのと性能は同じで軽く小さいものもあるので、男女関わらず手を出しやすいと思う。 なにより、写真は見えてる風景を「切り取る」ものなので、絵のように得意不得意もないし、スポーツのように勝ち負けもないので、 自分のペースで、のんびりやれて、かつ一生楽しめるのが魅力なのだ。 初めてタイタニックみてボロ泣きした 2 年 増田 伶

誕生日

もうすぐ僕の誕生日である。僕の学生証を見た友人に「あれ、お前もうすぐ誕生日じゃね?」と言われるまで、一年で一回の特別な日が近づいていることに全く気づかなかった。思えば去年なんか受験勉強で気が気でなく、「あれっ今日誕生日か!」って感じだった。小学生の頃は、後半年…後 3 ヶ月 … 後 1 ヶ月 … 後 1 週間 … という感じで誕生日を待ち望んでいたのに、あの頃の感情はどこへ行ってしまったのだろう。 昔は欲しいものがあってもなかなか手に入れることはできなかった。自分が欲しいものを持っている友達がいるとなおさら物欲が高まる。その中でやってくる誕生日は、一年のうち他のいかなる日に比べても圧倒的に素晴らしい日である。それが今では欲しいものがいつでも手に入るわけではなくとも、誕生日まで半年以上我慢するなんてことなく手に入れることができる。欲しいものが手に入る機会が増えるにつれ、その一回一回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。 それは別に誕生日に限ったことではない。子供の頃は映画なんて年に 2,3 回のビッグイベントだったが、今では行こうとすればいつでも行ける。外食は月に 1 回ほどのお楽しみだったが、今では部活後に頻繁に外食している。しかしそう頻繁にできるがために、その 1 回 1 回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。 逆に、「死んでから分かる親のありがたみ」という言葉があるように、機会が減って、もしくはなくなって初めてかつての環境がいかに恵まれていたか認識することがよくある。 僕は高校時代、初めの頃は学校の土グラウンドで当たり前のようにサッカーをしていた。しかし、高校の体育館建設の都合上、グラウンドのほんの一部でしかサッカーができなくなってしまった。そのとき初めて、学校のグラウンドを使わせてもらって練習ができていたんだというありがたみを知った。学校のグラウンドが使えなくなったとき、東大ア式蹴球部が手を貸してくれた。週 1 回 1 時間半グラウンドの半面を貸してくれたのである。僕はそのとき御殿下の芝グラウンドで練習できることが非常に嬉しく、 1 時間半を最大限に利用することができた。 今現在、ア式に入って毎日グラウンドを使える環境にいる。当たり前のように練習しているが、別にこれは当たり前のこ...