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ゲームチェンジャー

水野創太(1年/テクニカルスタッフ/鳥取西高校)  練習を撮影しているとき––撮影はテクニカルスタッフの仕事の一環である––選手たちが活き活きとプレーする姿にふと自分を重ねることがある。選手の立場だった高校以前の「自分」、“もし今でもサッカーを続けていたら”という想像上の「自分」。それらの「自分」は理想のプレーをしており、僕は夢中になってその姿を目で追う。                                          しかしカメラから目を離した瞬間「ああそうか、自分はもうプレーする側にいないのだ」と気付かされる。ほんの数秒前までプレーに没入していたのに、今の自分は何をしているのか、このままで良いのか、そんな不安と虚しさが襲ってくる。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------    砂丘で有名な鳥取県鳥取市に生まれた僕は、綺麗な空気とのんびりとした時間の流れの中でのびのびと育った。記憶は曖昧だが幼稚園の時にはもう芝生の上でボールと戯れていたような気がする。(プチ情報:ほとんど知られていないが鳥取県は芝生が有名。新国立競技場の芝も甲子園の芝も鳥取県産。まあ土地が余っているからある意味必然と言える。砂より芝である。)    小2の時、周りの友達と同じようにサッカークラブに入った。幸運なことに僕が入ったチームは鳥取では結構強かった。チームの仲間はみんな僕より体が強く、足が速く、サッカーが上手かった。一方の僕は足が遅くタックルでも吹っ飛ばされてばかりで、スタメンとベンチを行き来する選手だった。  当然「なぜ自分にはできないのか」という思いが募り、毎日劣等感と反骨心を抱えながらボールを蹴ることになった。    こんな書き方をすると暗黒史のように聞こえるがそんなことはない。着実に上手くはなっていたし、試合に出られるか当落線上のサバイバルも楽しかった。    下手なりに頭を使った。サッカーノートをとって、個人戦術や練習メニュー、試合の振り返りを徹底的に血肉に変えようとしたのである。これが、ドリブルではぶち抜けない鈍足の自分の生き残る道だと信じていたし、あながち間違いではなかったと今で