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サッカーの地平線を広げる -エピローグ-

エピローグ ここまで全て読んで辿り着いた人はいるのでしょうか?そんな人がいたら、本当に暇ですね。本当に尊敬します。よく考えたら、朝起きて、バイトするかサッカー見るかして、昼食を済ませ、練習を見て寝るという生活をしているだけじゃないですか。よくこんな退屈極まりない生活を読み続けましたね。 文章を書くことの難しさも再認識しました。やっぱりレポートは好きではないです。この文章を書くのに膨大な時間を使いました。恐らく文章を書くのが苦手なのでしょう。見ていればわかると思いますが、私は深く考えず、本能で生活する側の人間です。サッカーは全く違いますが。苦手なのはそれが大いにあると思います。バックと書くか、バッグと書くか、ベットと書くか、ベッドと書くかと悩み続けた1ヶ月でした。綴を思い出せばそんな悩むこともなかったと思いますが。 さて、何を書けばいいのでしょう。この1ヶ月で得たことを書くべきなのでしょうけど、多すぎて語れません。そして自分もまだ整理しきっていません。でもサッカーで留学したので、ここでは流石に書かなくてはいけませんね。 プロローグで書いた、サッカーを知るということが何かを私はまだ掴みきれていません。サッカーをうまく解説することでも、自分の評価軸を持つことでもないと思います。でも私は今サッカーとはこういうものだということから、自分の評価軸を構築する、という手法になってしまっています。サッカーとはこういうものだ、という考えもあまり好きではないです。確かにそれはそうなのですが、他にも見落としている何かがあるのではないか?という思考に陥ってしまいます。とにかく私はサッカーの全てを理解したいのです。しかし、それは無理だということはわかっています。ヨーロッパでは今この瞬間にも新たな手法、考えがどんどん生まれてきます。サッカーの全てを知り尽くした人がいたら、サッカーの終わりが見えたなら、こんなことは起こらないはずです。サッカーの魅力は半減するでしょう。 その中でスペインでひとつヒントをもらいました。スペインの指導者学校では、サッカーとはこういうものだというものを学ぶらしいです。私が求めていたものです。まあ聞いても納得はしませんが。その中でどこに注目するかで監督の色が出てくるらしいです。そんな考え方があるのですね。サッカーを知るということの実体が見えたような気がして嬉しかったです。 ...

サッカーの地平線を広げる -27日目〜33日目-

  27日目 起床。起きたら9時。4時間しか寝られなかった。起きたらすぐ皓大から電話。今日のメニューの相談をした。その後、どうせ眠くなるやと思ったので、ダラダラ過ごすことにした。開いたのはいだちゃんねる。京大発のYouTuberである。彼らのインドに行った動画を見た。面白過ぎて1ミリも眠くならなかった。40分何もしないで吸い取られた。結局、サッカーについての勉強を始める。テクニックとは?いかん、眠くなってきた。スペインのテクニックの定義を学んでから、就寝。起きたら13時である。1時間再びテクニックについて学習。昼食。またセルジの友達が来ていた。いつも通りスペイン語ネイティブ3人によるインテンシティの高い会話が行われていた。もちろんインテンシティの低い私はいつも聞いているだけなのだが、今日は何故か聞こえた単語が頭に浮かんでくる。まあ単語の意味がわからないので、何を言っているかは分かりませんが。相手のプレスの構造がわかったけど、技術が追いついていないから、上手くプレーできないみたいな感じであろう。リスニング能力の成長を感じた。 ダムの練習を観るために出発。初めてバスで向かう。奇跡的に16:00ぴったしに到着。しかしグラウンドには誰もいない。マーカーやラインは引かれているので、練習はあるのだろう。ていうかこのゴムのラインどういう仕組みでピンッと張っているのだろう。15分遅れで彼らは出てきた。スペインタイムだ。スタンドには私を含めて3人しかいない。16:00からいるアジア人なんて珍しいので、めっちゃ見られる。トレーニングの接続で興味深い点があった。4週間目にしても学ぶことはある。ユースの練習が終了した後、スクールが始まる。先週はこれも見たのだが、今日はお土産を買いに行く。まずは一昨日行ったチョコレート屋に行く。一昨日と異なり、混雑していた。試食が食べられない。仕方がないので、食わずに買った。ちゃんとホワイトチョコも買った。案の定うまい。すっかりファンである。次にメルカドーナへ向かう。ばらまき系のお土産をもう一つ買い足しておこうと思った。15分散歩。最近歩きすぎて体力無くなって来た。チョコを購入し、足早に去る。そこからダムのスタジアムに戻る。7時に戻ると砂川さんが座っていた。今日も楽しい話ができそうである。私はバルセロナで主に高校生、中学生を見ている。しかし日本の高校...

自由

廣瀬貞雄(2年/スペシャリスト/ 筑波大学附属駒場高校 ) スペシャリストとしてア式に入る 元来新しいことを始めることにあまり抵抗はないが、この決断には半年かかった。 高校時代のコーチがア式のテクニカルユニットに所属していたため、ア式のテクのことは認知していた。だが、新歓の時にこの代のテクニカルスタッフが爆増していると聞き、逆張りが発動して入らなかった。その時にスペシャリストという役職を知ったが、義務を免除されるという特別なポジションで入る勇気も自信もなかったため決断できず、頭の中にずっとあった。4月の終わりに方成さんがkernelでsmart goalのピッチをしているのを見て、ア式エンジニアリングユニットの存在を知った。かなり興味をひかれたが、まだ技術を身に着けていなかったので、なあなあになっていた。8月に方成さんとランチをして、エンジニアリングユニットとして活動を始めたが、数カ月経ったあと、やはり現場に関わらないと限界があると感じて、再度部室を訪問し、スペシャリストとしてア式に入ることを決めた。 小学生の時からフットサルやサッカーをしていて、練習や試合で目の前の一つ一つの勝負に勝てることが一番楽しかった。だからこそ、スタッフとしてサッカーに関わることに納得しきれない自分がいたのかもしれない。でも、1年の8月に友達がJリーグの国立での試合の無料招待チケットを当てて、久しぶりにスタジアムに行った際、スタジアムの外まで聞こえるチャントやゴールが決まった際のスタジアム全体が揺れるような盛り上がりを見て、老若男女問わず多くの人をここまで熱狂させられるサッカーというスポーツの魅力を再認識した。 スペシャリストとしてア式に入るということは、多くの義務を免除されたポジションとして入る以上、他の誰よりもア式に価値をもたらす必要があると思っている。自由であるが故の、大きな義務であり責任。少なくとも僕はこう思っている。 だから、あまり知られていないと思うが、授業や研究室にいるとき以外は基本的にサッカーに関することをしている。昨年のリーグ戦が後期に入ってから、前期の試合をデータから振り返る取り組みを大西と始めた。シーズン終了後には監督にシーズンレビューをした。今シーズンもさらに改善していく予定だ。ヨネさんや大智と話して、フィジカルデータをまとめたりもしている。UTokyo Foo...

肩書き

永田祐麻(3年/テクニカル/麻布高校) 自分は小さい頃から言語化するのが得意ではないし文章を書くのも好きではない。あまり書きたくないと言ったのを星が覚えてくれていたのかfeelings担当が星の間は自分の番が回ってくることはなくこのまま卒部feelingsを書くことにかなるのかなとほっとしていたのだがまさかの担当が代わってはじめに指名されてしまい今焦っています。 これを書いているのはシーズンが終わり冬オフ中の12月。今年の1月からテクニカルユニットの長を務めさせてもらってきたがその期間もほぼ終わろうとしている。皓大がコーチをやると決まってからテク長は自分か錦の実質2択になっていて2人で話す中で半ば消去法のような形で自分がテク長になることになった。当たり前ではあるがやるからには頑張ろうと思っていたものの、先輩2人のテク長があまりに偉大すぎて不安を感じていたことを覚えている。 この一年間自分がテク長であるという理由でたくさんの外部の方とやりとりさせていただく機会に恵まれた。ありがたいことに自分達テクニカルは外部の方々から高く評価をしていただいていることを知る一方で、代表としてやりとりをしている自分はそこまで評価してもらうだけの実力が伴っていないというギャップを何度も感じさせられることとなった。自分が周りの方とやりとりすることができたのは東大ア式テクニカルユニット長という肩書きを持っていたからであり、決して自分に実力があったからではないのである。 小さい頃から基本的には何をやってもそつなくこなすことができた一方で、本当にできる人たちと自分の差を痛感し全力で頑張ったところでこの人たちには勝てないと何をしても感じてきた。そんなわけでいつからかどんなことに対しても合格点や期限に対してギリギリの行動をするようになってしまった。何か一つのことに対して継続的に全力で取り組むことができなくなってしまったのである。もちろん自分の中で全出力を出して何かを学んだりすることはあってもそれは一時的なものでなんとか間に合わせることができる程度であり継続的なものではないのだ。 これは自分のサッカー理解についても同じことが言える。サッカーには何か新しいことを理解するたびに、理解したが故に見えてくる自分の理解の足りない部分が存在する。そしてその部分を地道に潰していくことで成長していくと考えているが、自分...

The Reason①

山口源登(2年/MF/栄東高校)   一般的に大学生にとって部活に入るという選択はなかなか普通ではないらしい。すごい、偉いね、頑張って。 そして、たまに聞かれる、なんで?なんでア式入ったの? これはア式の中でもよく問われるものだ。大学に入ってもサッカーを続ける理由。 一つは間違いなくサッカーが好きだから、楽しいから。これは誰でもそう。自分にとってサッカー以上の楽しみは今の所存在していない。 他の理由を考えてみる。でも結局サッカーが好き以上のものは見つからない。 逆に言えば、大学に入っても辞めないくらいサッカーを好きで居続けたことがア式に入った理由だろう。 大学入学と同時にサッカーを辞めるのはよくある話だ。強豪校でやっていた人でも辞めてしまう人もいるだろう。 中高とサッカーを続け、サッカーを嫌いになる、もしくは嫌いにならないにしろあまり楽しくなくなっていく、優先度が下がっていくのが普通だろう。 なぜ嫌いにならなかったのか、むしろより好きになったのか。これを説明するのはなかなか難しい。正直自分でもよくわからない。逆説的だが、自分が中高時代に受けた、少なくともプラスではない経験が大きいと自分では考えている。でもそれを端的に説明するのは難しい。 というわけで結局入部までを振り返るあるあるfeelingsになってしまう。 思い返すと結構忘れていることも多い上、どうでもいい話をするのが好きなので脱線しながら、無茶苦茶な文章と時系列で振り返って行こう。 脚色されてる部分もあるかもしれないので、話半分で読んでみてもらえると嬉しいです。 サッカーを始めたのは幼稚園の頃。近所のお兄ちゃんがサッカーをやっていて、遊んでもらったことがきっかけだった(と思う)。楽しかったから親に頼んで近くのサッカースクールに通わせてもらった。 ここの記憶はあまりない。 小学校2年生になって海外に引っ越すことになった。 引っ越した先はシンガポール。 日本人の数も多いから日本人のサッカーチームが複数存在していて、そのうちの一つのアルビレックス新潟シンガポール(アルビS)のスクールに入った。このクラブはシンガポールサッカーの発展のために、特別に外国人枠がなく日本人編成でのリーグ戦の参加が認められていた。(現在は異なる。) 週3〜4くらいの練習で、普通に楽しくサッカーをしていた。この頃は背が大きい方だったの...