勝ちたい。認められたい。
昨シーズン、東京都一部リーグ9位。東大は昇格した年にあっさり二部に降格した。 個人としては、3ゴール5アシスト。プレシーズンに面談で言われた 「周平とともが毎試合それぞれ一点はゴールかアシストを決めればなんとかなる」 という遼さんの期待からすればなんとも不甲斐ない結果となった。 もっと一対一に勝てた。 もっと守備で強く行けた。 チームがミスで落ち込んでいるときにもっと鼓舞できた。 何より、もっと点を取りたかった。今年こそは必ず。 さて、本題に入ろう。あのシーズン、辛く、考えさせられたのは、このfeelingsで書こうと思ったのは、こんな個人的な勝負の話ではない。東大ア式というどのチームよりも頭でサッカーを考え、悩み、臆病になりながらもそれでも自らの理想を追いかけてシーズンを戦ったチームの話である。 最近ではどのユニットミーティングでも、どうしたら『周囲から愛されるチーム』になれるかという話題が出ているだろう。ここでいうチーム(ここではピッチレベルの11人を考える)において大事なのは、誰かがミスをして、誰かがカバーして、誰かが点を取るみたいな内部の相互作用だけじゃなく、応援してくれるチームメイトや見に来てくれる人に何を伝えられるかという外部への影響みたいなところだろう。この外部への影響という観点では、はっきり言って試合の結果自体はそれほど関係ない。重要なのは選手一人一人の闘志であったり、勇敢さといったところだろう。これを踏まえた時、昨シーズンは闘志や勇敢さが足りていただろうか。プレスラインを切れなかった、一度止められたあとサイドで仕掛けるのを怖がった、例を挙げればキリがない。それ故、勝てなかった多くの試合で応援席に挨拶に行くのは、本当に情けなかったし、辛かった。だけど、どれだけ酷い試合をしても毎試合懸命に応援してくれたチームメイトがいた。あの横断幕はマジで震えた。応援の人たち、半年間ありがとう。 一方で、応援してくれる人の中では、こういった応援のチームメイトとは別に、より身近に傍観者なりの注文をつけてくる人がいる。(応援してくれているのを承知でここではあえて傍観者と呼ぶことにする)まあ、これは当然のことで、せっかく毎試合アウェイでもグランドに向かい応援しているのだから、不甲斐ない試合をしてれば注文がつくのは当たり前だろう。具体的にどういう注文かというと、 「(ビルドア...