テスト期間を終えて思うこと
進振りを経て、工学部の物理工学科に内定してからはじめてのセメスターが終わった。レポートや試験勉強をこなす中で「勉強面倒だな〜」と思うこともあったけれど、やっぱり学問に浸っている時間は楽しいなと再確認した。
もちろん、授業のテスト範囲一つ取っても分からないこと知らないことがたくさんある。あまりの自分の無知さに、僕は大学に入ってから何も学んでいないのではないか、と思って陰鬱な気分になることもあるのだが、決してそんなことはないと今は思っている。
大学入学時と比べてできることって実はかなり増えていて、でもそれは当たり前になりすぎて気付いていないだけだと思う。だってさっき僕は講義ノートを読みながら、目でテイラー展開して「そりゃそうなるよな」と計算結果の確認をしたじゃないか。何気なく読み飛ばしたその単語、一年の頃は何度も定義を見返しながら読み進めていたじゃないか。
勉強することの一つの側面として、「当たり前の範囲を広げる」ことがあると思っている。物理や数学で新たに登場する概念や定義は、初めは直感に合わなかったり不自然に思えたりして戸惑うことが多い。だけど、講義や専門書の議論を追っていく中で何回もその概念が登場して、その度に前のページに戻って確認する、そんな作業を続けていくうちに気づけば自分の中でその概念が当たり前のものとして定着していく。そんな概念生まれた時から知っていたような気がしてくる。「〇〇くらい生まれた時から知っておけ」という煽りはこうして誕生する。
そうして当たり前に分かることが増えたとき、今まで見えなかった景色が見えてくる。これまで何十時間頭を抱えて考えても理解できなかったところがあっさり理解できて、考えもしなかったことが考えられるようになっている。これが楽しくて仕方がない。
途端に視界が開けてきて、これまでの議論全てが脳内で再構築できるようになっていて、それを新たな対象に適用してみる。これができたときにやっぱり勉強が楽しいなと思えるし、一つ上のステージに登った気分になる。
だから、僕はもっと学びたい。もっと高いところから、この世界を見渡してみたい。これからの学科生活が楽しみだ。どうやら来学期は相当忙しいみたいだけど、それを乗り越えた時に見える景色はどんなものなのだろうか。
サッカーの話をしよう。正直サッカーで上のような感覚に陥ったことは一度もない。調子の良い時と悪い時が一定の周期で繰り返され、調子が良い時は楽しく、悪い時はつまらない。調子が振動しているだけで、全体として成長している気が全くしない(調和振動子、略して調子、ではない)。良いプレーができた時には気分が良いが、今はたまたま波の上の方に来ているだけではないかと思ってしまう。
それでも僕は成長している、と信じたい。だから、上手くいかない時期の自分をよく観察してみよう。一定の周期で訪れる、苦しい時期。そこでできることが、本物なのだろう。以前苦しい時にできなかったことが、もう一度必ずやってくる上手くいかない時期に、苦しいながらもできたのならば、それが成長だ。
そうして当たり前にできるプレーが増えたら、他の色んなことにも目を向けられるようになり、サッカーをもっと沢山の角度から楽しめるようになると思う。一段高いところからサッカーを俯瞰できるようになると思う。サッカーでも、新しい景色を見ることができるように、頑張ります。
さて。静岡学園の皆さん、優勝おめでとうございます。東大に受かってから挨拶に行けていない先生やコーチの方々が沢山いましたが、成人式と選手権観戦を通じて、お世話になった殆どの方に挨拶ができて良かったです。
静学サッカー部での日々は、今思えば本当に貴重な体験だった。これでもかというくらいドリブルとリフティングの練習をしていた。正直こっちが引いてしまうくらい上手い選手が何人もいたし、ごくごくまれに一緒にプレーさせてもらえることもあった。これは毎年の慣習だけど、Aの監督に一番下のチームを見てもらえたこともあった(正直めちゃくちゃしんどかった)。僕はずっと当時一番下のDチームだったけれども、最後の三ヶ月はCチームに上げてもらえて、部活に所属した5年間で初めて自己を肯定しながらサッカーができた。
静学でサッカーを5年間してきて、正直苦しかった思い出がほとんどだ。それでも、静学での日々があったから今の自分のプレーがある。あの5年間の苦しかった日々を“サッカーで”肯定できるのは、今だけだ。自分が今いる場所で輝くこと。それが唯一の、自分の過去を必要な過程だったと受け入れて、先へ進むための手段。だから、今を楽しもう。いつだって“いまが最高”でいるために…。
2年 赤塚俊輔
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