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3月, 2023の投稿を表示しています

選択の正解は何処に

津旨まい(4年/??/芝浦工大柏/女子部) feelingsは名前の通り自らの思いを書くわけだが、今の自分にとってこれはしんどい作業だ。 日々の練習や部の仕事にかまけて放置していた自分の中の負の感情と向き合わざるをえない。   院生となってからも部員として活動すると、ほとんど勢いと意地で決めて、今になって覚悟を決めないとと慌てている。   なぜ部員として、選手として、大学院でもサッカーを続けるのか。続けたいのか。 その問いにはっきり答えられない自分がいる。   サッカーは大学で始めてどんどん上手くなっていくのが楽しかった。 最初はただボールを蹴ってるのが楽しかった。ボールを蹴るなんて日常や他のスポーツでは滅多にしない行為は刺激的で、上手くボールを扱えるようになっていくのが快感だった。   それでも試合では何をすればいいのかわからなくなるし、動画を観て学ぶことの大切さは頭ではわかっていても観てもよくわからない。わからないことにかまけて考えることをサボるようになる。 それは上手くならないわけだ。   そして、最初は「上手くなりたい」だったものが、いつの間にか「上手くならないといけないはず」に変わっていた。 「周りの人に恵まれている!」という思いに「周りにはすごい人がたくさんいるのに、なんて自分は情けないんだろう」という思いが覆い被さってきたのはいつからだったか。   それでも私はサッカーを続ける。ア式蹴球部女子の部員として居続ける。 今までの4年間も、辞める選択肢はずっと考えていて、それでも4年間過ぎても辞める決断ができないほどには、サッカーと、このチームが好きなんだと思う。   まだ本気の覚悟も目標もできていない。 それでも続ける選択をした。何となく、続ける選択の方がワクワクしたから。   部活というたくさんの方に支えられている場で部員として、選手として所属することのありがたみとその重みを噛み締めながら、この選択を正解にできるように一歩ずつ歩んでいきたい。

「楽しむ」ということ

村上悠紀(4年/MF/宮崎西高校)  自分にとってサッカーとは何か、という問いをずっと考えている気がする。  より上手く、より上を目指していた昔は、プロやセミプロを目指さないサッカーには価値がないと思っていた。早々にそのレールからこぼれ落ちた自分にとって、大学に入ってサッカーをする理由はなかった。  それでもなぜか大学生になってサッカーを続けることを選んだ。もしかしたらもっと他の大学生活があったかもしれない中で、なんとなくサッカーを続けることを選んだというのが一番正しい表現だと思う。  そんな新入部員にあるまじき熱量の乏しさで部活への入部を決めた1年目のリーグ戦が忘れられない。初戦、山梨大学戦で、1-20の大敗を喫した。ほぼ全員経験者のチームに、太刀打ちができなかった。20点も取られる試合を経験したことはほとんどなく、自分の中でどのように結果を解釈して良いか分からなかった。この試合を筆頭に、自分にとって初めてのシーズンのほとんどの試合で同様の大敗をした。なぜ負けたか、という問いに、自分を含めたサッカー経験の違いとしか答えようがなかった。あのとき自分がこうしていれば失点を防げた、といった個々のプレーの反省をして、次は勝てるように練習に励むのが普通のあり方だと思う。しかし最初からどうしようもなく経験の差があって、自分達が死ぬほど努力しても来季もほぼ確実に負けることが予想されるのに、何を目指して努力すれば良いのかわからなくなった。  そんな苦しい1年目のリーグ戦だったが、大学でサッカーをする動機が曖昧だった自分にとって、なんのためにサッカーをしているのか考える機会になった。以前は、試合での勝利や他人からの評価といったわかりやすい指標に達成感や満足感を感じていた部分が大きかった。試合に勝つこと、自分に評価をつける人達に自分が価値のある選手だと印象付けることが最も重要で、それを第一目標にして練習や試合に臨むことが正しいサッカーとの向き合い方だと思っていた。しかしそれが現実的に難しい状況の中で、自分の中にサッカーをする理由を見つけていく必要があるのではないかと思うようになった。自分の頭の中で思い描いていたプレーが実現できたときに感じる楽しさにこそ価値を置くべきなのではないかと考えるようになった。サッカーには勝敗があり、部活でサッカーをする中で勝利にこだわることは必要なこ...

ア式女子での青春

戸田歌乃(4年/MF/桜蔭高校) 女子部の戸田と申します。 約4年間、大変お世話になりました。 私は大学1年生の時、じゅりさんという、ア式女子の先輩でミスコンに出ていらっしゃった方がきっかけで、ア式女子を知り入部に至りました。当時は、スポーツすると体格がゴツゴツになると思い込んでいたので、女子でスポーツやりながらかわいさを持ち続けることはできるんだ、と感銘を受け、じゅりさんをはじめとするア式女子の先輩に憧れを持ったのを覚えています。 また、その他に、「サッカー」をすることに憧れがありました。小さい時に地元のサッカークラブに所属していたのですが、当時はサッカーが苦手で嫌いでした。熱い中走らなければならず、一向にリフティングができず、周りの人がなぜサッカーをやりたいと思うのか、全く分かりませんでした。「男子にいじめられている」と嘘をついてサッカークラブを辞めさせてもらおうと画策したこともありました。しかしながら、年を重ねていくうちにワールドカップなどでサッカー自体に興味を持ち始め、サッカーが好きで得意な人に憧れを抱くようになりました。 このような憧れから、ア式女子とご縁を持ち、入部して約4年間プレーをさせていただきました。 実際にこの約4年間で、ア式女子では体はゴツくならない(ある程度は筋肉はつきます。でも、イメージするゴツさとはかけ離れています。)ということ、普通に問題なくかわいさを追求していいことが知れました。また、サッカーは思い通りにプレーできたり、自分達で考えて改善させていくのが楽しい、と感じていくことができました。プレーするのが楽しい、とようやく思えた時はとても嬉しかったです。 ですが、私はサッカーに100%夢中になれた訳ではなく、食事を必ず取らないといけず体重を減らせないことに悩んだり、大学生活やバイト、習い事などで両立が難しかったり、ずっと部活を続けて良いのか、辞めた方が自分のためなんじゃないか、と悩んだこともたくさんありました。 私は最後まで悩みながら正解を見つけられずにいましたが、たくさんの人に支えられながら最後まで続けさせて頂きました。続けさせて頂く中で、このア式女子は本当にたくさんの方々に支えられているということ、私達の知らないところで私達を気にかけて下さる方々が何人もいるということ、支えてくれる先輩、同期、後輩がいることを実感しました。 これらの...

バックスピン

石田ちひろ(4年/MF/市川高校) 引退してからはや3ヶ月が経った。 今まで練習に費やしていた時間の大半は、研究に充てるようになった。 引退してからも、時々、文京LBの練習に顔を出しては、現役のみんなと一緒に練習に打ち込んでいる。 引退してからのサッカーは、とっても気が楽だ。 今までもプレッシャーをものすごく感じていたわけではないが、チームに貢献したい、上手くなりたい、その想いが強かったのかもしれない。 気楽にサッカーができるようになった一方で、代替わりをして新チームとして始動し始めているア式を見ると、どこか寂しい気持ちが残る。 ア式女子での4年間に、なんて名前をつけたら良いのだろう。 ありきたりだが、卒部というこの機会に4年間を振り返ろうと思う。 『水から陸へ、個人からチームへの1年目』 高校まで水泳しかやってこなかった私と、ア式女子との出会いは、女子オリだった。 懇談会で最初に座った席のチューターがざわさん。次のチューターはかおりさんだった。 お二人に勧誘してもらい、吸い込まれるように体験練習に参加した。 ア式のアットホームな雰囲気が自分に合っていると感じ、3回目には入部を宣言した。 初めは、何もかもが新鮮で、新しいことに触れられる喜びとワクワクでいっぱいだった。 陸上のスポーツに慣れるまでは、肉離れを繰り返した。それでも、グラウンドを駆け抜ける時の爽快感に魅了された。 個人競技特有の「自分との戦い」みたいなものに苛まれることもなかった。チームでコミュニケーションを取ることの楽しさと難しさの両方を感じた。 だが、徐々に「プレーすることの楽しさ」より「貢献できていない悔しさ」が勝つようになった。 自分のトラップミス一つで、パスミス一つで、チームとしての戦術練習が途切れてしまった。 初心者で基礎力が伴っていないから、多少は仕方がなかったのかもしれないが、ミスすることに怯えるようになった。 自分がフリーでも、ボールを要求することができなかった。 1年目は、サッカーをしていた というより、グラウンドを走り回っていた、という表現の方が正しいのかもしれない。 『自分のサッカー観を変えた2年目』 コロナ禍、グラウンドでの練習を行えない日々が続いた。 多くの部員にとっては、練習したくてもできない、制限の多い、もどかしい1年だったように思う。 でも、私にとっては少し違った。 私に...

特技「慌てること」

鈴木佐和(4年/DF/宮城第一高校)   「あー,また自分のせいだ,,,」    失点するたび毎回思う。またやってしまった。もうダメだと。そして今度は慌てるムーブに入る。あー,やばいやばい早く攻めないと。失敗を取り戻さなければ。私のプレーは雑になるばかり。    周りにバレないようにしていたが(一部の方にはバレていたと思う),私はサッカー中,常時慌てている。「やばいボールきた。やばい相手もきた。どうしよーーーーーーーーーー」  サッカーだから当たり前だ。ボールだって相手だって来る。かれこれ長い間サッカーをしているのにやっぱり慣れない。慌てていいことなんて一つもない。相手が強くなればなるほど私の慌てるモードは上がっていく。試合で自分の力を出し切れたことなんてほとんどない。    先輩がいた時,慌てている私に「大丈夫。慌てないで。」と声をかけてくれた偉大な先輩がいた。私には魔法の言葉に聞こえた。どれだけこの言葉に救われたことか。    そう。試合中にかけられる声というのは偉大である。「ナイスー」「サンキュー」たった数文字でさえとてつもなく嬉しい。私の自信もチームメイトの声によって息を吹き返すことが何度もあった。      最高学年となった2022シーズン。試合ではチームメイトにプラスの声がけをしようと意識していた。(熱くなって厳しい口調になっていたことが多かったと思いますすみません,,,)先輩がしてくれたことを今度は私がしなければと。    ただ特技「慌てること」が何度も発動し,励まされていたのは私の方だった。何とも頼りない4年生だ。私もかっこいい先輩になりたかったがどうも無理だったらしい。私が見てきた大学4年生とはかけ離れた情けない4年生にしかなれなかった。      だが,サッカーを通して学んだことがある。感謝や相手を褒める声は積極的に発するべきだ。私は単純な性格なので,「ありがとう」と感謝されると嬉しくなり何でもしたくなる。サッカー中に褒められると調子も出てくる。試合中は特に褒めまくるべきだと思う。もちろんコーチングの声は必要である。だが,褒められて調子が出るなら積極的に褒める他ないだろう...

締切を過ぎても何も思いつかないので、AIに書いてもらおう大作戦

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佐々木洸(2年/MF/筑波大学附属高校)     耳を澄ますと微かに聞こえる雨の音    想いを綴ろうとここに座って言葉探してる    考えて書いてつまずいて消したら元通り    12時間経って並べたもんは紙クズだった そんなわけで、大変な原稿作成は、AIにやってもらうことにしましょう。 過去の傑作Feelingsたちのデータを学習して文章を生成すれば、万バズ間違いなし! ついでに、思いつきで恐縮ですが、この考えても考えてもうまくいかないという状況そのものを歌詞にした曲を作れば、大ヒット間違いなしでしょう!多分、のび太と恐竜2006の主題歌とかに選ばれるんじゃないかと思います! 今回の手法では、マルコフ連鎖というものを利用しました。 かわいい マルコフ連鎖とは、、、今流行りのChatGTPに聞いてみましょう。GPT-4ではないです。課金したいのでお金ください。 さすがChatGPTですね!知らなかったです〜!すごい!センスあります!!そうなんですね!!! つまり、マルコフ連鎖では、各時点での状態は前の状態にのみ依存するので、それを利用して次々に単語を並べていくことで文を生成することができるというわけです。 実装の際には、pythonでマルコフ連鎖のためのmarkovifyライブラリと分かち書きのためのjanomeライブラリを利用しました。こうやって書くと強そうですが、とても手軽にできて驚きました。 また学習するデータとしては、2022年4月から2023年3月のFeelingsの文章を用意しました。 なんやかんやして、このように文を生成することができました。 markovifyライブラリ、まぢすごい・・・ かなりそれらしい文が生成されています。 あとは、ここからいくつかの文を抽出して、適宜それっぽく改行をはさみつつ、最後にワンピースの名言を挿入すれば完成です。 完成したのがこちら。 *************** 夏休みがやってきた中で自分の見たそれと、他の人に読んだだけではなく土のグラウンドでの考えをただ吐き出しただけでなく、自分で認識しながら爆走する金髪ピアス兄ちゃん一味より断然ハンター×ハンターの方のおかげで今があります けれど一緒に国際的活動の中に自分でも自分の後悔はありつつも大きな感謝を伝えたら不合格だったのはその期間が長くなってしまった この程度の差こそあ...

なんとなく僕たちは大人になるんだ

志村泰河(1年/FW/盛岡第一高校) なぜ自分がア式に入ることになったのか、自分でもよくわからない。 そもそも大学の部活動でサッカーを続ける人間は稀有な存在で、その分選手の質も上がる。 去年少しだけ出場させてもらったサタデーリーグでさえ、相手選手はJユースや選手権常連校出身が多くいた。 それに対して、自分はサッカーを断続的にしかやっていなかった。 小学三年生からサッカーを始めた。 馬鹿正直で負けず嫌いな自分は、頑張ることだけが取り柄の少年だった。 マッチアップには絶対に負けないという溢れんばかりの自信と、誰よりも走りチームに貢献するという元気があった。 何をするにも全力でやり、試合で勝つと喜び、試合で痛いことされると泣き、試合で負けると延々と泣く。 思えば当時の生活の中心はサッカーが占めていた。 しかし、中学一年生で一度サッカーをやめてしまった。諦めてしまった。 日々、他人を蹴落としてまでスタメンを狙うかのように思われたクラブは窮屈で、サッカー本来の楽しさを享受できなくなった。 自分の中でのサッカーの位置付けもみるみる下がっていき、それ以来娯楽のようなサッカーをしていた。 サッカーを本気でやらない言い訳なんていくらでも見つかった。 緩い環境でやるサッカーが1番楽しいだとか、 本気でボールを追いかけるのはダサいとか、 サッカーに力を入れている学校でないとか、 サッカーを上手くなりたいという感情を忘れ た自分は、その調子で高校三年生で迎えた引退試合も、何もできずに負けてしまった。 勿論悔しさはなかった。 このまま大学でゆったりサークルでサッカーかフットサルをする、典型的な大学生になるはずだった。 東京大学ア式蹴球部の存在を初めて知ったのは、高校二年生の頃だったと思う。 前監督の新歓pvを見て、東大のサッカー部は面白そうだなと感じた。 ただそれだけ、 どうせ大学に行くなら、1番面白いだろといった適当な理由で東大を志望していた自分には、東大のサッカー部に入るのは想像出来なかった。 そして東大受験、持ち前の期限ギリギリまで勉強できないアホさと、楽観的すぎる性格で無事に不合格と言う不名誉な称号を得た。 唯一その時の自分を褒めてあげたいのは、学力が足りないながらも東大単願したこと。 (親に感謝) もしその時滑り止めを受けていて、私立に入学していたら、絶対に部活でのサッカーはしてい...

ゴーストバスター、勝負の世界へ。

歌俊亮(2年/MF/浅野高校)  はじめまして。2年の歌俊亮です。滞納しすぎて、これが初feelingsです。上西園君ごめんなさい。   高校の頃から今まで大雑把に振り返ってみようと思う。振り返ってみると、意外と変化していて面白い。      自分の高校サッカー部の目指していたスタイルは、いわゆるポゼッションサッカーだ。ア式ほど緻密な理論を教わったわけではないが、攻守両面においてボランチの果たす役割は大きく、高3にもなれば、自分でチームを動かす感覚を少しは持てるようになった。   どこへ行ってもある程度通用すると思えるくらい自信のある選手にはなれたと思う。       そんな高校時代はずっと頑張っていた。それは学年が上がれば上がるほど、頑張る度合いは大きくなっていった。   その努力に見合う結果はついてきた。ほとんど怪我をせず、3年間ずっとスタメンであった。交代すらほぼしていなかった。   今思えば、自分の意思を蔑ろにしていた気がする。意思がなかったからこそ、これほどサッカーを頑張れた気もする。     だが、それが1番問題であった。       自分の意思に対して無視することは、その努力さえも否定してしまう。   自分がやりたいと思っても、本当に無駄なことは絶対にやらない。やるべきことのみを淡々とやり続ける。一考の余地も与えない。   ストイックで良いことのように聞こえるが、自分、自分の意思との対話がない状態では、自分の意思は一生報われない。頑固親父を相手にしているようなものだ。   今ならたまには報われるべきだとも思えるが、当時の自分は自分の意思を無視し続けた。   この努力の仕方は容易かったのだ。   そんな状態で努力しても、結果はついてきたとしても納得いくはずがない。   犠牲にした時間、意思が努力とその結果に見合っていたのか。そんなんはどうでもよくなるくらい、自分の意思を無視した頑固な自分に腹を立てていた。     この調子で受験勉強も自分の意思を無視し続けて努力した。そうして自分は東大に合格した。     しかし ...

単調増加人生

栗原昇太(1年/GK/立川高校) とうとう、花粉の季節がやってきてしまった。『春は桜』とはよくいうが、『春は花粉』の方がしっくりくるという人は多いのではないか。 しょぼしょぼする目を掻きながら、僕は初めてのフィーリングスを書く。 誰?という人もいるかもしれない。 僕は一年(このフィーリングスが世に晒される頃には二年になっているかもしれないが)でキーパーをやっている栗原というものだ。一浪で東大に入り、アシキには 6 月の終わりに途中入部している。 自己紹介はこれぐらいにしよう。 何を書こうか。 そもそも、僕は文章を書くのが昔から苦手だ。どう繋げばいいかわからないし、最近は『、』をどのタイミングで打てばいいかがよくわからなくなる。まあ、フィーリングスは単文を繋げて書くことが多いので心配いらないか … そんなことはどうでもいい。 何を書こうか。 思えば、今まで自分の人生を真剣に振り返るなどということはしたことがなかった。改めて振り返ってみると、僕の人生はある2つの事柄がその多くを占めていると感じている。   1つはもちろん、アシキに入っているくらいなのだから、『サッカー』だ。ただ今回のフィーリングスでは、今後またフィーリングスを書く時のネタに困らぬよう、サッカーは温存しておこうかなと思う。 では、もう一つはなんなのか。 もちろん、『受験』だろう。 東大の中には、当たり前のように東大を受験し、当たり前のように合格した人も多い。しかし、僕のような凡人には受験は大イベントだった。きっと一歩間違えていれば今この大学にはいなかったであろう。 そんなわけで、今回は一年生らしく自分の受験人生について振り返ってみようかなと思う。 ただ、それではアシキとなんの関係もなくなってしまうので、入部理由についても少し書こうと思う。 途中入部の分、より客観的に考えた末に決断しているので、今後の新歓などにもいい参考になるのでは。 では、そろそろかつての栗原少年について見ていこうか …     昔のことなのであまり覚えてはいないが、少なくとも小学低学年まで頭の良い方ではなかったと思う。   特にひらがなが読めるようになるのはかなり遅かった。   今でも鮮明に覚えているが、幼稚園年長の時、日直は次の日の日直の名前を呼ぶというのがあって、そのためには日直カード...