サッカーを食べて生きていく
高口英成(4年/学生コーチ/開成高校)
それと出会った日のことも、再び魅せられた日のことも、どちらも克明に思い出すことができる。
確か5歳の頃、家の前の駐車スペースのようなところで父とボールを蹴り合った。初めて触れたその感触は固くて、冷たくて、思い通りにならなくて、負けず嫌いの自分が夢中になるには十分だった。その日から、サッカーは僕の中で一番大きな場所を陣取った。
再び魅せられたのは、高一の秋くらい。忘れもしないシティvsレスター。左のインサイドに起用された21番が器用にライン間でターンを決め、ポケットへ走り込んだウイングへとスルーパスをすると、信じられないような滑らかなプレーの連続の末、気づけばゴールネットが揺れていた。
サッカーってなんて美しいんだろう、と人生で初めての、そしてひょっとしたら最後の、魂の一番深いところが揺さぶられる感覚を覚えた。
どうしようもないほど美しいものは、どうしたって誰かの人生を狂わせてしまう。何気ないリーグ戦の、何気ない時間帯の、何気ないたったそれだけのプレーに、僕はなす術なく魅せられてしまった。
その日からのめり込んだサッカー観戦は、5歳から慣れ親しんだサッカーの知らない一面を見れば見るほど教えてくれた。バルサ史上最高のクラックの一挙手一投足も、ヴェンゲル時代を彷彿とさせるようなアーセナルのカウンターも、CLの舞台で鮮やかに敵をいなすチアゴ・アルカンタラも。そのどれもが、愛してやまなかったはずのサッカーの楽しさを忘れかけていた僕に再び火を灯してくれた。それはまるで、今まで何をモーターに走ってきたのかわからなかった僕の毎日が、サッカーによって再びネジを巻かれていくような感覚だった。
考えてみれば、サッカーほど魅力的なスポーツは他にないと思う。何が一番素晴らしいかといえば、選手はハンドとオフサイド以外のいかなる制約も受けていないことだろう。極論を言えば、選手はピッチの上で寝そべっていても、ぼーっと空を眺めていても、自分のゴールに向かってドリブルを始めても、何も問題がない。
そんな中で、選手は味方と繋がり、相手を探すことで、自分の行動を選択する。自分の声と身振りで周囲に影響を与える。
当然、正解も義務もない。決めるのは真に自分自身だ。大袈裟でもなんでもなく、ピッチで行われている営みは人生の縮図である。
プレイヤーが全部で22人というのも素晴らしい。サイコロを振るような単純な無秩序というわけでもなく、バスケットやハンドのようにある程度の解析が見込める法則が支配しているという訳でもない。
ピッチでおこる現象は、理解したかと思えば理解できない。法則に当てはめられそうにも思えるがうまくいかない。人の心や意図が組み込まれているからこちらの予想通りにはいかない。ちょっとした経済学みたいな面白さがある。
歴史を振り返ってみれば、素晴らしいチームはまるで芸術作品のようだと評されることが多い。しかし洗練されたサッカーというのは、今にも壊れそうな繊細でアンバランスなものではなく、言ってみれば悠久の時を経て紡がれた生態系のようだと思う。外界のいかなるノイズも受容してしまう神秘的で合理的なシステム。サッカーにもそういう奇跡みたいな美しさが宿っている。
遠すぎることもなく近すぎることもない散開配置でボールを運んでいく様は、いうなれば酸素を運ぶ血液のようで、プロの無駄のないインサイドキックのインパクト音は、さしずめ一定のリズムを刻む拍動といったところだろうか。そういうプレーを見ている間だけは日頃の雑事も、心のざわめきも全てを忘れることができる。
一方で、うまく行かないチームというのはどこかに血栓がある。流れがどんづまって、動脈硬化を起こす。だからいとも簡単に相手のプレスで窒息する。
良いサッカーに触れるのと時を同じくして、うまく行かないサッカーがどうしたらうまくいくか考えるのは自然な流れだった。とりわけボールを保持するスタイルが好きだったから、どうすればビルドアップが上手くいくのかばかり考えていた。
悪いチームは、心臓の音が聞こえなかった。血管がどこかで途切れていて、酸素が運ばれていなかった。呼吸が止まっていた。だけど、どうすれば淀みないボールの流れが取り戻せるのかは結局わからなくて、その答えがあるような気がして、迷うことなくア式の門を叩いた。
ア式に入ったのはサッカーに誰よりも詳しくなりたかったからだ。きっと今大学一年生に戻ったとしても、全く同じ選択をすると思う。もっと言えば、もし今五歳のあの日に戻れたとしたら、きっとサッカーへの関わり方も大きく変わっていたに違いない。プレイヤーをやっておけばよかったと後悔することも多いテクニカルの中においてはレアケースかもしれないが、それほどまでにア式でかけがえのない経験をさせてもらった。
少し四年間を振り返れば、一年目をがむしゃらに頑張ってきて、二年目で一度距離を置いたことは自分の中で明らかなプラスになったように思う。スペシャリストとして部内外の渚のような位置でア式という組織をひたすら相対化する毎日だった。ア式の持つ根源的な価値、そして可能性、そのためにどのような規制を取り除くべきで、どのように組織を変えていくべきか。いつも極論に落ち着いていたように思うけど、迫る執行代を遠目に眺めながらそんなことばかり考えていた。
アナリストの任を降りたのは、既存のスカウティングがチームにもたらせる領域のあまりの少なさに絶望したからに他ならない。
個人の意見だが、プレーの改善には二つの異なるレイヤーに働きかける必要がある。
一つ目は意識下におけるプレーイメージの改善。例えば遠くの選手から見るであるとか、相手のギャップを覗ける立ち位置を取るようにするとかである。これらはテキストベースでも映像ベースでも共有が可能で、選手は意識的に自分の戦術メモリーに規範となるプレーを焼き付ける。
ある方の受け売りにはなるが、これがわかっているかで認知判断実行の認知においてどんな情報を取得しようとするかが変わる。良い意思決定をするには良いプレーイメージを、である。ここはア式が他の大学と比較しても特筆して得意な部分だろう。
もう一つは無意識下における動作の改善である。要するに決断を滞りなく実行に移す出力の部分であり、ここは言語化できないし、エコロジカル的に言えば決してするべきではない。
ではスカウティングはどこに寄与しているかといえば、意識の方のレイヤーの、ごくごくわずかな領域である。例を挙げれば、相手は外切りのプレスで来るから、いつもより外向きにプレーしていこう、などである。
無意識のレイヤーには一ミリも働きかけていないので、当然共有したところで出来ないことがほとんどである。増して技術が他校に劣る東大生なら尚更だ。
要するに何が言いたいかといえば、トレーニングを組むコーチという立場にならないとチームの原因療法はできないし、試合限りの処方箋ではなく、日頃から選手のプレーイメージに介入していかないと、試合の結果は変えられないということである。
極めて対処療法的であり、かつせっかく書いた処方箋通りに試合が進むことの少ないスカウティングという作業に意味を見出すのは当時の自分にとっては苦行だった。
そして何よりも、プレイヤーの思考に介入していくためのピッチレベルでのサッカーの知識が決定的に不足していた。
何かを変えなくてはいけないことは誰がどう見たって明らかだった。だから、今尚お世話になっている社会人チームから声をかけられた時、一も二もなく飛び乗った。それが正しいことなのか当時はわからなかったけど、惰性で日々を食い潰さなかった自分を今となっては褒めてやりたい。
誤解しないでほしいが、決してスカウティングの可能性を低く見積もっているわけでも、不必要だと思っているわけでもない。無意識と意識という二つのレイヤーと有機的に紐付いた時のスカウティングの威力は本当に凄まじい。欧州のプロクラブには、まさしくそういう準備の仕方をしているのだろうとこちらへ感じさせるような凄みがある。
意識的に選手とのコミュニケーションの量を増やし、そして何よりミクロなフットボール理解の向上に努めた三年目は、社会人チームでの活動も相まって自分の時間を極限までサッカーに注ぎ込んだ1年間だった。
ポルト大教授の言葉ではないが、優れた指導者は万に通づると思う。サッカーすらも知り得ないなんてことに万が一にもならないよう、意識的に色々な角度や立場からア式に関わることを選んだ。
迎えたラストイヤーは、今思えば文字通り格別の、かけがえのない瞬間で溢れていた。これほど濃密な時間の過ごし方は、きっと後にも先にもこれっきりだろう。惜しむらくは、その思い出を美談で終わらせるには僕ではあまりに力不足だったことだろうか。
みんなが上手くなったり、壁にぶつかって思い悩んだりするのを横目に、自分が彼らから奪ってしまったかもしれない何かについて、深く考えていた。彼らから、頭を空にして結果だけを掴みに行く闘争本能を取り上げてしまったかもしれない。彼らのプレーの幅を広げているようで、狭めていたかもしれない。彼らが手にできていたかもしれない勝ち点を、取りこぼさせていたかもしれない。
僕やテツくんが作ろうとしてきたサッカーは、あまねく全てのサッカーの表現方法の中で、最も合理的で明快なものだと信じている。だが、好むと好まざるとに関わらず、全てのプレーヤーに等しく同じ思想を求めたことは紛れもない事実である。あるはずのない正しいサッカーの輪郭を押し付けてしまった業は、きっとこの先も呪いのようについて回ることになるだろう。
特に9月は本当に、血反吐が出るほどきつかった。
何より自分が苦労して身につけてきたものが、毛ほども役に立たない現実を突きつけられるのが、そして他でもない自分自身がそれを認めてしまいそうになるのが辛かった。やることなすこと全てが裏目に出る感覚が拭えず、視界がグラつくような毎日だった。基準や価値観は揺れに揺れ、チームに対して消極的な関わりしか選べなかった。
やってきた事は、伝えてきた事は、確かに意味のある事だったと、必要な事だったと信じていたい。この4年間、どれだけサッカーに注いでも、どれほどの立場を用意してもらっても、結局僕には何も変えられなかったなんて、思わずに生きていたい。でも、結果だけは嘘をついてくれない。
今シーズン、少し上手くなれた気がするだとか、一年生から教わっていればよかっただとか、嬉しいけどそんな言葉は求めていなかった。ロマンを追い求めてるだけだの、内容をよくしたいだけでしょだの、そんな風に思われるのは心外だ。圧倒して勝たなければ関わった時間に意味はない。
つまるところ、僕はこの時間に意味を与えてやれなかった。取るべき責任は取らなくてはならないし、この後悔が消え去ることはない。有り合わせの雑事でこの穴を埋めることはきっとできない。きっと長いこと時間をかけて、ピッチで少しずつ返していくしかないのだろう。
何が決定的に足りなかったのだろうか。当時は嵐のように過ぎていく日々をただ受け止める他なかったが、今となってはその答えがわかるような気がする。
誤解を恐れずに言えば、きっと引け目があったのだろうと思う。何よりプレイヤーに、僕よりも自分の全てをこの部に捧げていた人達に、より具体的には同期に対して。今となってはそんな態度が指導者の端くれとして許されざるものであることもきちんと理解している。
二年間ほったらかしにして、自分の成長に時間を使った。そのくせに帰ってきて、何かに影響を与えようとしている。傍から見た自分の評価はこんなものだろう。今となっては自意識過剰も甚だしいが、そんな人間が、ピッチ上で汗すら流さない人間が、球際だ強度だと声を上げたり、誰の目にも明らかなミスを責めるなんてのはお門違いもいいところだと思っていた。自分に求められているのは、ただモノの見方を変えてあげることだけなのだと肝に銘じていた。
今思い返せば、僕という人間のありのままを、掛け値なしで信頼してもらうためのありとあらゆる努力を怠ったのだと思う。言葉や思想の中身が全てだと思い込んで、どういう人間がそれを伝えるべきなのかをおざなりにしていた。たとえ中身のないことを言おうと、選手に鬱陶しいと思われようと、それでも言葉に重みが宿る人間を目指すべきだった。表現や立場に頼ってしまったし、何より知見に依存し過ぎてしまっていた。
同じように、選手に対しても、無償の信頼を注げていただろうか?普段のプレーに現れなくともきっとここ一番ではやってくれるだろうと、根拠がなくても信じ切る覚悟をきっと僕は持てていなかった。そんな態度はきっと理性的で合理的で非の打ち所がなくて、だけど冷たくて乾いていて角張っている。
誤解している人が多いと思うが、内容が良くても負ければ死ぬほど悔しいし、球際に負けてる選手を見ればお前なんか試合に二度と出るなと平気で思っている。気持ちを見せてくれる選手を評価していないわけがない。ただ、ある日を境にピッチから降りてしまった自分に、そんなことを主張する権利はないと本気で思ってきた。勝利への執念を露わにできるのも、目の前の敵に死んでも負けないと意気込むのも、全て選手だけが持つことのできる権利だと。
だからと言ってはなんだが、悔しい気持ちを「球際!」というコーチングに込める以外の方法で、彼らを上手くする方法がないかを必死に探してきたのだ。
何も教わらないことによるかりそめの自由よりも遥かに美しくて、だけれども責任の伴う自由を、彼らに存分に享受してほしいと心の底から願っていた。
そうして一度パッションを否定することから始めて、やっとここまで理性的にサッカーと向き合えた。
今となっては感情的な言葉がいかに大事かを身に沁みて理解している。プレイヤーは機械ではなく人間で、どんなレトリックよりも熱が大事なのだということを。熱を伝えるには人となりが重要で、信頼される人となりを作り上げるのはその人が歩んだ生き様だけである。
「何を知っているか、どうサッカーに向き合うか」が全てだと息巻いて始めたこの四年間がこのような締めくくりになるとは度し難い。だが僕にはそれが決定的に足りなかった。信用と信頼の差を埋めきれなかったとも言える。きっと踏み出すのを躊躇していたのだろう。
もっと気持ち見せろよと、もっと戦えよと、剥き出しの言葉を言い放ってしまえるような、そんな距離を初めから目指していれば、こんな風にはならなかったのかもしれない。
振り返ってみれば、与えたものより、奪ったものの多い一年だった。知らず知らずのうちにみんなから取り上げてしまったかもしれない何かは、他にもきっと沢山あるのだろう。自分だけのせいなんてのは思い上がりもいいところだが、それらとじっくり向き合い、時間をかけて清算していくプロセスが、関わらせてもらった人間のせめてもの責任だと思う。
そんな苦しいシーズンにあっても、サッカーの神様は数え切れないほどの気づきを与えてくれた。その中でプレー以外の部分について、今から特に大切だと思うことを三つほど書き残しておこうと思う。
一つ目は、目的や目標を安易に分割するべきではないということである。昇格と残留、戦術と技術、さっきのプレーと今のプレー、これらは両立することが可能であるばかりか、両立しようとする試みこそがサッカーの成長にダイレクトに繋がる。
要するに目標からの逆算的な積み上げのような、受験勉強的な学習態度はサッカーと相性が悪いということである。サッカーは残酷で、僕らはどれほど祈っても望んだペースでは上手くなれない。ただ理想と現実の差分を一足飛びに埋めようとする試みだけが、この一瞬のプレーに渾身の判断を乗せようとする態度だけが、水が水蒸気になるように、選手のプレーを大きく変化させてくれる。
俺らにはフィジカルがないから一旦はそこを鍛えるべきだとか、あのプレーが上手くなってから次のプレーを上手くしようなんて分割行為こそが、サッカーという豊かで余白の多いスポーツを致命的にスポイルしてしまうのである。
二つ目は、指導者は園芸ではなく、盆栽をしなくてはならないということである。
選手は人形でもなければマグネットでもなく、ピッチ上でボールを扱うことを許された、極めて自由な表現者である。どのようなプレーでサッカーを表現するかは彼ら自身に委ねられているし、原則から多少外れようと、試合中の一瞬で下された判断には全て価値がある。
リージョは、「選手は教えられず、ただ学ぶ」と言ったそうだ。枝を刈りそろえて、既定の形に整えることが指導なのではなく、気ままに伸びた枝を、絶妙な塩梅で整えるのが指導なのだろう。
何のためにプレーするのか、どんな風にプレーしたいのか、それが欠落していれば、ゲームモデルは単なるルールブックに成り下がってしまう。選手が知るべきは正解のプレーではなくて、判断の方向性である。外からの指摘やフィードバックに依存し過ぎた結果、プレーのリズムがかき乱されてしまう素直すぎる選手を何人も見てきた。
指導者は判断の余地を残さなくてはいけないし、選手は判断から決して逃げてはいけない。フットボールはいつだって選手に委ねられているのだから。
そして最後がコミュニケーションの部分である。自分にとっての最大の課題であったこの部分についてはただ一つ、自分のパーソナリティをある程度デフォルメするということを伝えたい。
人間は誰しも、他人から認められたい、理解して欲しいと思うのと同じくらい強く、他人のことを理解したい、知った気になって安心したいと考える生き物である。となれば、複雑な人格の機微や変動性を少しだけ抑えて、凹凸のはっきりした人間である方がコミュニケーションの障壁は下がる。いつキレるかわからない人間には近寄りたがらないのとちょうど同じ原理である。
とはいえいわゆるキャラ作りでは失敗するのも確かだ。人間案外他の人間のことを観察しているし、そういう安い皮は持って数ヶ月だろう。あくまで自分の素の人格の延長線上に、少しわかりやすい自分を置いてあげるだけで構わない。
これは何もコーチに留まらず、グラウンドスタッフ、テクニカルスタッフ、プレーヤーに共通して求められる態度だといえよう。自分を偽るのではなく、自分の見られ方を意識する。それによってほんの少し変わる言動が、複雑系たるチームに計り知れない影響を与えるに違いない。
これからのア式を背負う人はもちろん、もし自分と同じように、持てる力の全てをこの部に捧げる覚悟を持ってくれた人には、この三つは尚のこと意識してもらいたい。
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つくづく思う。ア式には可能性がある。日本一価値のあるサッカークラブになる可能性である。価値の定義をどう置くかは人それぞれであるが、個人的にはア式の価値とはすなわち取り組みであると思う。先進的な知見を取り込み、試し、組織を変化させていく。Jクラブではリスクが高くてとても手をつけられないことを先んじてやってみる野心。それこそが日本サッカー界にもたらせる価値だ。
かのルイス・エンリケは「フットボールは道のりが大事なんだ」と話した。考えてみれば、何が悲しくて僕たちはこんなにも扱いづらいボールを、手を使わないという地獄の縛りを課して100mも先のゴールまで運ばないといけないのだろう。とっとと目的地まで行ってしまいたいのなら、バスケットボールでもハンドボールでも、いくらでも他にスポーツはあるだろうに。
つまるところサッカーというスポーツは、本質的に過程を追求するゲーム性になっている。そしてだからこそ、僕らサッカーに関わる人は、ピッチの中でも外でも、過程をもって何かを表現する責任を背負っている。
だとすれば、それがとあるサッカー後進国の、とある弱小大学サッカー部だとしても、サッカークラブとして追い求めるべきものはフットボール的な価値、すなわち取り組みにあると言えるだろう。
だからどうか閉鎖的で、凝り固まった組織にはならないで欲しい。この部の価値は結果を掴み取るまでの過程にあり、目先の勝利や、昇格よりもずっと壮大なところにある。
もちろんプレイヤーは目の前の結果を追い求め続けるべきだ。だが組織としての意思決定の中心に結果を据えることが、必ずしも豊かな未来を保証するとは限らない。結果は出てみないとわからないもので、悔しいが僕らは不確定な今しか生きれない。
果たせずじまいに終わってしまったが、僕の究極の野望はア式が、サッカーを追求するありとあらゆる人を繋ぐコミュニティになることである。かつてポジショナルプレーを育んだとされるウィーンのコーヒーハウスのような、様々な文化と知見の交差点となるような場所に。
草の根からサッカー界に影響を与える、その旗頭とならなくてはならない。大学という、ある種最もフラットにサッカーと向き合える存在だからこそ果たせ得る役割であり、考えてみればサッカー以外の分野では過去何十年にわたって東大はそういう責任を果たしてきたのだ。その順目が、ようやくサッカーに回ってきたのだろう。
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読書家が多い東大生の中にいると、自分がいかに読書嫌いであるかが良くわかる。最後に小説を読んだのは確か中学生の頃で、そこから年を追うごとに苦手になっていった。
唯一朧げに思い出せるのは、「羊と鋼の森」という作品である。その一節に次のような言葉がある。
「ピアノで食べていこうなんて思ってない。ピアノを食べて生きていくんだよ」
どういう状況で発せられた言葉か今となっては思い出せないが、確かプロピアニストを目指す登場人物の言葉だったはずだ。
初めて読んだ時はこの言葉の持つ意味がよくわからなかった。なんとなく小説の持つ世界観に酔いしれて、理解した気になって、その場では引っかかる感覚すら覚えなかった。
卒部に際して自分とサッカーのこれからの交わり方を考えた時、唐突にこの小説の読後の気分がフラッシュバックしてきて、ようやくこの言葉の意味が腹落ちした。
入部して間もなかった頃、僕にとってサッカーは人生を賭して追い求める対象だった。追いつくべき目標だった。成長するためには片時も休まる暇は与えられなくて、より深く、より細かく、より情熱的に向き合うものだった。実際、途中まではプロとしてサッカー界に携わることも考えていた。当然の態度だったように思う。
残念ながら、この国では指導者で食っていくことは難しい。なんとなく感覚として持っていたが、最近プロの方とお話しさせていただくことが増えてきて、尚のこと実感せざるを得ない現実である。海外に目を向けたところで、同じ能力を持った人間なら異国の地で生まれ育った人にはどうしたってハンデが付き纏う。
もっともこれは言い訳であって、実際にはそうしたハンデを覆すだけの覚悟が足りなかっただけなのだけれど。だからこそア式で過ごしていくうちにどこかのタイミングで、サッカーを人生の主役にすることは考えなくなっていった。
では、サッカーへの情熱がそこで冷めたのかといえば、むしろ逆だった。前よりもごくごく自然に、息をするように、歯を磨くようにサッカーを眺めている自分がいた。前はこの1試合からありったけを吸収しようと思って齧り付くように見ていたペップの試合も、今では晩酌のお供にできるようになった。
要するに肩の力が抜けたのだが、実際この境地に達するにはサッカーで食っていくことを諦めなければならなかっただろう。もしかしたら、この境地は望ましい状態ではないのかもしれない。だけど、彼だか彼女だかが言う通り、ピアノを食べていくような、努力を努力とも思わない向き合い方が必要なのかもしれない。
サッカーで食べていくのはやっぱり厳しく、とても残酷で、代償として大きなものを捨てなくてはならない。そういう選択肢を諦めた今の僕はサッカーを食べているような感じなのかもしれない。日々当たり前のように摂取して、己が血肉とする。その日の夕飯の献立を考えるような面持ちで試合を眺める。ちょっと気持ち悪い状態だけど、四年かかってやっとそういう精神性を手に入れた。これからもサッカーを食べて僕は生きていきたい。そしてその先で、いつか、万が一、何かのご縁があれば。
最後に、感謝の言葉を。
まず、偉大な先輩方へ
問題児である自覚はなかったのですが、後先考えずに行動してしまうタイプなので色々とご迷惑おかけしました。松尾さん、エンジニアリングでも一緒に仕事できて楽しかったです。中山さん、絶対僕よりサッカー詳しいのに同じ目線で話してくれてありがとうございました。俊哉さん、オカピさん、けいごさん、サッカー談義できて超楽しかったです。皆さんの知見を盗むだけ盗んで好きなだけ成長できました。れおさん、楓さん、急に絡みにいっても嫌な顔せずサッカーの話してくれて感謝です。
次に同期テクへ
スペシャリスト転向したり、色々ごねたり適当やったり。勝手な自分にテクという居場所を残しておいてくれて本当にありがとう。振り返ってみれば、お互いがお互いの足りないところに進んで枝を伸ばしていくような、そんな調和の取れた代でした。同じことを感じていたかどうかはわからないけど、この代を含む数世代がテクにとっての第一の過渡期だと思っていて、慎重な判断や大胆な判断の様々が必要だったと思う。そんな時期を一緒に乗り切ることができて楽しかったです。
同期プレイヤーへ
いっぱい遊びに誘ってくれてありがとう。信じてくれないと思うけど、いつも無条件に最大限のリスペクトを持っていました。日頃間近でサッカーを摂取しているみんなにサッカー愛で負けたくなくて、死に物狂いでサッカーを勉強しました。プレー経験も、指導実績も、何もかも足りていない自分を受け入れてくれて本当にありがとう。僕にできることと言えば、日々の振る舞いの中で身に余る恩を返していくことだけでした。
どこかの誰かが言うように、何かを諦めることで人は大人になるのだとしたら、成人しつつも社会には出ていない大学生という期間は、自分にとって大切なものと決別するための猶予なのかもしれません。その4年間で、ひたむきにサッカーと向き合い、簡単に諦めてやらないで駆け抜けたみんなのことを本当に誇りに思っています。
後輩へ
先輩らしいことは何もしてこなかった先輩筆頭だと思う。背中で語るような先輩像でもフレンドリーに絡みにいく先輩像でもどちらでもなくて、よくわからん感じだったと思うけど、自分なりのサッカー観、サッカーの豊かさ、美しさみたいなものは余すとこなく伝えたつもりです。サッカーがほんの少しでも好きになって、見える世界や表現の幅がほんの少しでも広がったのだとしたら、少しは僕の関わった時間に意味を与えることができたと思えます。
後輩テクの皆んなにこの場を借りて偉そうに一つ強調しておくなら、テクの立場に甘んじることなく積極的に現場に出て、選手と話して、迷って、感じて、色々な側面からサッカーを見つめてください。案外大切なことは画面の奥でもボードの上でもなく、ピッチの中に転がっています。そして東大の勝利に、ア式の発展に力を尽くしてほしいです。
遼さん
遼さんのサッカー観に触れて、憧れて、この人と飽きるまでサッカーの話がしたいと思ってア式を選びました。入ったらいなくなっていたけど、まさか同じチームで働けることになるとは思ってませんでした。遼さんのサッカーに対する考え方を少しでもインストールしようとする、そして少しでも間違っているところがないか疑ってかかる、そんな2年間でした。きっと理論というほどのもんじゃないって言うと思いますが、ついぞその完璧なサッカー理論の綻びを見出すことはできませんでした。でも前よりもっとサッカーを理解して、前よりもっともっとサッカーを好きになりました。本当にありがとうございました。
徹くん
最初森ケ崎で見た時は爽やかなお兄さんだなぁとしか思っていませんでした。テツくんほどの人に対等に扱ってもらえて、責任ある立場を任せてもらえて、生意気にも意見をぶつけたりして。そのかけがえのない全ての記憶と経験が、僕をますますサッカーにのめり込ませました。サッカー人としての全てを教えてくれてありがとうございました。選手が上手くなっていく様子を、一番間近で見る権利をくれてありがとうございました。叶うなら、またいつか一緒に仕事がしたいです。
両親へ
ろくに帰らずサッカーのことばかり。思い返せばサッカー界へ飛び込むために筑波へ行きたいと持ちかけたあの日から迷惑をかけてばかりでした。今振り返れば東大に来るという選択は間違っていなかったと胸を張って言えます。ありがとうございました。
そして今これを読んでいる、将来ア式に関わってくれるかもしれない誰かに向けて。
ア式は可能性が無限にある組織だと思う。四年で人が入れ替わる新陳代謝の良さ。名ばかりでは無い真の意味での学生主体。東大生ならではのピッチ外での先進性の追求。そして損なわれることのない部活感。どんな形でもいい。ア式を選んで、その力を貸してくれたら嬉しい。きっとこの組織が待ち望んでいるのは、そういうサッカーが大好きで、サッカーに関わる人が大好きで、戦術やデータ分析が大好きで、そしてほんのちょっとの頭のおかしさを持っているような人たちだ。
テクについて言えば、今のテクに入れば本当の意味でプロのアナリストを目指すことができる。あの筑波にすら匹敵するようなユニットになりつつある。最近は信じられないような繋がりも増えた。ぜひア式を踏み台にして活躍してほしい。長い目でみれば、部を利用しているだけの関わり方だとしてもア式の価値を高めることにきっとつながるはずだ。
そして全国の新進気鋭の若手指導者の皆さんへ
ぜひア式に関わってほしいです。学習意欲の高い東大生は、技術で他校に劣れどきっとスポンジのように必要なことを吸収してくれます。いい意味でまっさらなキャンバスのような戦術メモリーであり、何を焼き付けるかは指導者次第であるとコーチをやってみて感じました。そして何より、戦術的アプローチを好む部の風土があります。きっとキャリアを築いていく上で確かなプラスになるはずです。
文章の最終チェックを済ませながら、傍らのタブレットにはラ・リーガのとある試合が映っている。
ラ・マシアでもなんでもない癖に、誰よりもバルセロナらしいプレーを披露する8番があの日の21番と同じようにターンを決める。
このプレーに全てが詰まっている。フットボールの全てが。できればア式に合法的に居座れるあと一年で、こんなプレーを表現してみたい。
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そんな風に、締めくくろうとした。締め切りはあと数時間というところまで迫っていて、卒論発表を間近に控えた今、他にやることは山積みだった。
わかっている。こんな風に締めた方が綺麗に終わるのは百も承知なのだ。
だけど、どうしてもこのまま終わらせるわけにはいかない。
だって、ここまでの文章には決定的な嘘が一つ紛れ込んでいて、それに知らないふりをするのはどうにも耐えられそうもないからだ。
蛇足以外の何物でもないし、推敲などしたらどうせ消したくなるに決まってる。
だから、僕のありったけを不恰好に、綺麗に綺麗に整えたキャンバスに墨をぶちまけるみたいに。
ここからが正真正銘最初で最後の本心のfeelingsになる。だからどうかもう少しだけお付き合い願いたい。
四年間で、嫌というほど気付かされてしまったことがある。やっぱり僕はどうしても、本当にどうしようもなく、サッカーが好きみたいだ。
サッカーを外から見つめる、という営みにこんなにものめり込んでしまったのは、悔しいからだと思っていた。自分が現役の時にもっとこうしていれば、を知識として身につけていくことで、疑って学ぶことも、信じて努力することもしなかったあの日の自分を上書きしてるみたいだからだと。
でも多分、違った。きっとそれまでの僕は、サッカーを正しく捉えていなかった。「戦術」が連れて行ってくれたのは、見たこともない入り口で、そこから姿を覗かせるサッカーはあまりに熱を帯びていた。
きっとその瞬間に、これ以上打ち込める何かはこの世のどこにも存在していないと心の底では悟ってしまっていたのだ。そんなはずはないと他を見渡したって、東大で色々な価値観と触れ合ったって、無理だった。知れば知るほどこのスポーツの、限りない懐の深さを思い知っていく。この感情はどうしようもなく不可逆だった。
だから、サッカーで生きていかなくたっていいなんて嘘を、自分についたまま卒部できそうにない。
やっぱり、生活の一部にサッカーがあってほしい。選手が日々ほとばしっている様を、日々上手くなっていく様を、画面よりずっと近くで見ていたい。そして願わくば、そんな美しいものをこの手で具現化してみたい。
もちろん、今まで書いた気持ちも嘘じゃない。本音を言えばとても迷っている。
サッカーなんて趣味にすれば良くて、束の間の非日常を与える存在でいてくれれば良くて、振り返って思い出すものであれば良いと。そんな風に思う瞬間も多い。
思えばこの一年は、たらればで逡巡する毎日だった。サッカーだけを考えて生きていけたら。親を心配させずに済んだら。周囲に堂々と、サッカーで生きていこうと思ってる、と言えたら。もっと社会的な見られ方が違っていれば、もっと給料が高ければ、もっとサッカー界に夢や希望があれば、、、
この馬鹿げた夢が夢のまま終わってしまいそうになる現実が、涙が出るほど歯がゆい。そんな現実と折り合いをつけて、物分かりの良い顔をして、覚悟も決めずに流される自分の弱さや甘さが憎い。受け入れた上で、直視した上で、それでも続けた遼さんやタディさんやけいごさんに比べて、自分はなんて自信も行動力も計画性も足りないんだろう。
いや、本音を言えば、もう何回も何回も、覚悟を決めようとした。生活を歪めてでもサッカーと向き合おうとした。大事なものを捨てれば、同じくらい大事なものが手に入ると自分に嘯いた。
東大なんてのはモラトリアムで、一部を除けば大半が、不真面目にはなりきれずに時間と可能性だけを食い潰す。僕もそんな有象無象の一員である。僕にとってこの四年間は、サッカーを諦めるための四年間でもあった。サッカーに誰よりも打ち込んで、理解して、飽き飽きして、見たくもなくなって、嫌いになって、もう茨の道を志さなくて済むことを願っての自傷行為みたいなものだった。
でも、それもどうやら無理そうだ。
周りが将来へ向けて準備を進め、勉学に励んでいるのを見て、サッカーから逃げ出したくなったことも一度や二度ではない。なぜならわかっていたから。何の経験も実績も、説得力だってない自分の描ける結末が決まっていることも。サッカーに捧げるよりもっとずっと少ない労力で、比べ物にならない価値を生み出せるものが他にあるだろうことも。
だからきっと、問われているのは覚悟の問題なのだろう。どんな選択をしても、後悔は残る。選んだ選択肢を正解にする努力が、最も苦にならないのはどれなのか。たった一度の人生を、打算や損得勘定抜きで駆け抜けるためには何をすればいいのか。
もし許されるのなら、「東大生はこうなっているべき」から逆算的に決める生き方ではなくて、「この瞬間、夢中になれるもの」を順算的に積み上げていく生き方を選びたい。
これは、楔だ。いつかこの気持ちを忘れそうになった自分に、あの時どれくらい苦しんでサッカーと、人生と向き合おうとしていたかを思い出させるための、心の底にしまわれたあの日の熱狂を呼び覚ますための、そして、自分と同じように悩み、葛藤し、あるいは現実を受容し、忘れたつもりになっている他でもないあなたへの楔である。
関わり方はいろいろあって、一つではない。とはいえ、自分がただのファンにはなりきれないのもわかっている。何かの片手間で向き合い続ける甲斐性はあいにく持ち合わせていないし、いつか巡り巡ってこの世界に出戻ってこれるなんて、それこそ多分笑っちゃうような確率の話だ。
「未来ってのはさ、今ってことなんだよ。」
そう教えてくれたのは、確か母校の国語の教員だった。雑談のついでだったし、クラスの大半は眠りこけていたから覚えているのは僕くらいだろう。でもこの言葉が、今ではようやくしっくりくる。
どこか遠い先にあるはずの未来は、隙間なく連なる「今この瞬間」そのもので、未来を生きるってことは、将来を考えるってことは、今に全力を注ぎ込むことなのだと思う。
だからあとほんの少し悩んでみよう。自分とサッカーとの関わり方を。一度飲み込んだ感情と再び向き合うのにはそれはそれはエネルギーが必要だろうが、この瞬間に悩み抜くことしか今の自分にはできない。
最後に、ずっと忘れられない言葉を置いておこうと思う。とある指導者の方の言葉である。
この不相応な夢に値する生き様を、僕は刻めているだろうか。
「日本一になりたかったら、それに値する力を付けるしかない。世界に羽ばたきたければ、それに値する価値を証明するしかない。世界一になりたければ、それに値する人間になるしかない。貴方の願いに、貴方の努力は値するか。貴方の目標に、貴方の犠牲は値するか。貴方の夢に、貴方の生き様は値するか。」
ラグビーを仕事にしているものです。学生さんとは思えない文章の迫力に、これまで生きてきた中での悩み、苦しみを経験してきたのだと勝手に想像し感銘を受けました。
返信削除おじさんの経験則で恐縮なのですが、トップカテゴリーで一度燃え尽きて鬱のようになり、全く違う仕事を1年間やりましたが、それでもまた熱くなれる日々を求めていく自分がいました。たまたまご縁ありまたラグビーを仕事にさせてもらえる日々ですが、前とは少し違う感覚で仕事ができている気がします。
タイミングと縁が大事な業界だと思いますので、たとえ希望する進路に今はいなくても、イメージして刀を磨き続けて、万が一のご縁に備えていってほしいと思います。
そして想いとご縁がつながりますように。力を貰えたので応援しています。