ゆうな(女子部4年) ア式女子よ、ありがとうございました。 東京大学に入学し、ア式蹴球部女子に入部してから、約4年の歳月が流れました。それなりに努力し、今までと違う生き方ができた4年間だと思っています。積み重ねたのは小さなことですし、他の人から見たら何もしてないと見えるかもしれなくても、自分の中で多少の満足と納得は生じています。私は元々、他の東大生よりできることが少なく、かつ、好きなこと以外には無頓着という癖を持っているため、完璧に全てに全力を捧げ、満足する大学生活を送れたわけではありませんが、まあ悔いなしと思っています。 中でも、ア式の女子部に入部したことは、素晴らしい選択だったと思っています。ア式女子部は、多様性を認めてくれる温かい組織です。そんな組織で4年間、とりあえず在籍することができて、よかったなと思っています。関係性が薄いとき(入部当初など)であっても、少し変なことを言って変な空気にならないでみんなが笑い飛ばしてくれる組織は、今のところア式女子と文京L Bレディースだけです。本当に本当に、私にとって居心地がいい場所でした。 最近、私の師匠が私にある教えをくれました。人の幸福度は、10年後もあまり変わらない、ということです。もう少し噛み砕くと、今すごく幸せだな、と感じている日々を過ごしている人は、10年後も幸せだと感じ、今すごく不幸せだな、と感じている日々を過ごしている人は、10年後も不幸だと思っている、ということです。モノをどう捉えるか、ということは属人的であり、同じ物事でも、人によっては不幸に感じるし、幸運にも感じるというわけです。そしてさらに、この幸福度というものは、人に伝播するといいます。幸せな人のそばにいたら幸せに、不幸な人のそばにいたら不幸になるということです。これは本当に、私にとって心を打つ教えでした。それと同時に、ある種の危機感を覚えました。 ちなみに私は、自分は超絶幸運な人間だと思っています。クジのようなものはよく当たりますし、人からプレゼントをもらうこともよくありますし、床屋さんも悪い人に当たったことがありません。偶然取り返しのつかない失敗もしたことがないと思っています。旅行も割とばっちり時間がハマります。いつも最後には思った通りにことが進むことが多いです。しかし、自分を幸運だと思う程度には...
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後悔未遂
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長谷川希一(1年/FW/福島高校) 人は僕を明るい人とか面白い人とか楽しい人とか言いますが、それは僕がそれ以外を隠し、それを強調し、人がそれだけしか知らないからであって、考えれば弱い自分にまみれた人生を送ってきました。 小学校 4 年生の図工の時間。思い出す一番昔の弱い自分。みんなで水彩画を描いていた。水彩画を書き進めて、だいぶ経った後に、僕には上手く描けない部分があった。この時間までに終わらせなさいみたいな締め切りがあって、僕はもっと描き進めないといけなかった。でも行間休みが迫っていたから、ゆっくり書くわけにはいかなかった。僕はサッカーがしたかった。2時間目と3時間目の行間休み。いつもは 10 分休憩なのに、そこだけ 15 分休憩になる行間休み。その 15 分ですらサッカーがしたくて、僕は急いでいた。ある程度描き進めた自分の絵を見て、やっぱり気に入らなかった。先生に聞いたら、うまくいくやり方を教えてもらったけど、時間がかかると思った。それをしていたら休み時間にサッカーできないなと思った。そこで僕は悩んだ。ここから修正するなら最初から書き直した方がいい。じゃあそうしようと思った。でも先生に聞きにいったらそれはだめ、全然時間あるのだから、修正しなさいと言われた。その通りだった。サッカーする時間を削れば全然間に合う時間だった。でも僕はサッカーがしたかった。結局何をしたかというと、僕はいつもより多く筆に絵の具をつけて、画用紙の同じところをぐりぐりした。あたかも修正を図っているかのような素振りは欠かさずに、ぐりぐりとし続けた。画用紙は繊維を束にして筆の侵入に抵抗し続けたが、とうとう力尽きた。画用紙に穴が空いたのであった。僕は画用紙が破れれば書き直しを認めてくれるだろうと思った。そして先生に悲しいような、でも嬉しいような気持ちで、画用紙が破れてしまったことを報告し、筆についた絵の具一滴も入らないくらいに間髪入れず新しく描き直したいと言った。でも、先生には全てバレていた。そしてとってもとっても怒られた。自分と先生との間に終始せず、先生はクラスにいる全員に向かって僕の行いを説明し、僕のようにはならないようにと忠告をした。その間、自分の弱さをひしひしと感じた。画用紙を破ってしまえば先生であろうともう描き直しを認めざるを得ないだろうと...