孤高のキャプテン?

八代快(4年/DF/麻布高校)


「東大サッカー部の主将としてリーダーシップを発揮し、チームを勝利に導いてきました」

 

 

何度となく、自信満々な顔で、言い慣れた口調で

自分という人間をその一言で表現しているかのように

 

 

 

この「嘘」をついた

 

 

 

 

 

 

引退してから2ヶ月以上が経った。毎日サッカーのことを考えていた現役時代が遠い昔のようだ。引退後の生活もそこそこ楽しいが、全てを注いでいたア式が自分の心から徐々に消えていくのが切ない。心に空いた穴を埋めるような、何か情熱を持ってできることを探さなくては。多分埋まることはないけど。

 

 

高校生の頃からfeelingsを読むのが好きだった。サッカーへの情熱、深い思考、本気でやってるからこその悩み、ア式という集団への愛、顔も知らない先輩たちのものであってもそれらを強く感じることができる文章の数々だった。こんな集団でサッカーに本気で取り組みたい!と考えたのがア式に入るきっかけの一つだった。

 

入部してからはなおさら先輩のfeelingsを読んでいた。特に卒部feelingsは特別。その人のア式での4年間がもろに現れるし、多くの学びを得られるものだった。中沖さん、大和さん、内倉さん、拓也さんのfeelingsは特におすすめ(もちろん一つ上、二つ上のfeelingsも好きだよ)。読んでない人はぜひ読んでみてね。

 

いざ自分が書く側に回るとあんなレベルの文章を書ける気がしない。文学的センスはないし、思考も整理されていない。後輩のための教訓を残せるわけでもないし、読んで学べることは多くないと思う。ただ曲がりなりにも4年間をこの組織で過ごし主将にもなった身として、さまざまなことを考え、感じた。だから今までのサッカー人生を、歩んだ軌跡を、その時々に感じた率直な思いを、ただただ垂れ流したいと思う。いつか誰かの刺激になったり反面教師になったりすることもあるかもしれないので。冗長な自分語りですがお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

冒頭の文言は就活の面接で言い慣れた自己紹介。最後まで自信をもって言うことはできなかった。スラスラ言えるようになればなるほど、実態との乖離に悩まされた。

 

自分はこのア式の主将でありながら、チームを引っ張ることなんてできなかった。

 

 

主将としてチームに何ができたのか。何を残せたのか。果たしてリーダーの器だっただろうか。

 

ラストイヤーは自分にとって、「主将」という肩書きに対し意識し、挑戦し、苦悩し、向き合い、逃げ出し、共に歩んだ1年間だった。いや、キャプテンを意識していたのはもっと前からだ。思えば自分のア式人生、あるいはサッカー人生全体は常にこの「主将」という存在と共に歩んできたものだった。役職や肩書きというものは、本人の実力があって後からついてくるものであるはずだが、自分の場合は違った。身に余る立場に対して背伸びをし、力不足を感じながらも必死でもがいてきた。2023年シーズンはその集大成だった。

 

凡人が組織のリーダーに挑戦してしまったストーリーを入部前から振り返ろうと思う。

 

 

 

 

人生で初めて「リーダー」と認識した人は中学の一個上のキャプテンをしていた石丸だった。まさかこの人と10年弱共にサッカーすることになるとは。当時の彼はミスターパーフェクト。ダントツサッカーうまくて真面目でとにかく厳しい。怖がられるような存在になるのがリーダーのあるべき姿なのだと思った。それもあって中学では周りに怒ってばかりだったけどそのスタイルはうまくいかなかった。3年間まとまったことがなかったチームが最後の大会で勝ち進んでいくうちにみんながやる気を出し不思議とチームとしてまとまっていった。気づけば東京都ベスト8に。「チームを強くするのは叱責ではなく勝利であり自信」というのがチーム作りに関する初めての気づきだった。

 

 

 

高校では学年のキャプテンになった。強く希望したわけではなく、まあ他にやる人がいないから、という感じだった。

中高一貫の人はわかると思うけど、中学ではそこそこ強かったチームでも、高校は相当頑張らないと勝てない。麻布高校サッカー部の目標は2次予選に進出することだった。結局高1の春に行けた以来、引退まで達成できなかったけど。

一つ上の代(石丸の代)になってからは小規模で特段強いわけではないながら、いやだからこそ、一体感があるチームになっていった。2次予選に行くことは叶わなかったが暁星などの強豪校に善戦するくらいのチームにはなった。これはひとえに主将である石丸の力だった。彼はコーチ不在の中でも工夫を凝らし練習メニューを組み、また組織に様々な変化を加え、強いチームにするためのあらゆる努力をしていた。チームの勝利を一手に背負いこむ覚悟と力。これこそがリーダーの姿であると感じた。

代替わり後は自分なりに「主将」の働きをしてみた。チームの現状を鑑み、課題を浮かび上がらせ、練習メニューをネットで調べたりしながら考える。練習や試合で誰よりも積極的な姿勢を持ち気迫を見せる。相手校の偵察に遠くまで足を運び、戦い方を考える。部の運営も背負い組織をうまく回していく。こんな様々な仕事を周りにも協力してもらいながらこなしていった。近岡とかにはだいぶ助けてもらったかも(彼のことは前のブログで書いているのでぜひ)。今思うと多大な労力を要する作業だったけど、当時はそれに責任と共にやりがいを感じていた。それがチームの勝利につながると信じていたから。勝つためには必要なことだったから。そして何よりも勝ちたかったから。

 

人がサッカーをする理由は様々だ。ゴールを決めたりドリブルで敵を抜いたり、自分が活躍するのが好きな人。サッカーを学び上達する、その感覚が好きな人。勝利に向かってみんなで団結する雰囲気が好きな人。自分がサッカーに求める喜びは「勝利の瞬間」だ。試合終了のホイッスル。湧き上がる雄叫び。押し寄せる安堵感と達成感。仲間とのハイタッチ。その瞬間を味わうためにサッカーをやっている。もちろん自ら点を取ったら嬉しいけどチームメイトの活躍で同じように喜べる。プロになりたいなんて小学生以来考えたこともない。チームの今年か頭にない聖人です、なんていうつもりはないが、自分の活躍や上達は二の次だった。「勝利」には何にも変え難い喜びがある。もちろんその分負けた時には残酷なほどの深い悲しみがある。絶望感がある。こんなにも激しい喜怒哀楽を感じるもの、感情を爆発させるものを他に知らない。だからサッカーをしてきた。自分にとってサッカーは「勝利」が全てだった。だから死んでも勝ちたい。勝つこと以外に意味はないから。

 

30人程度の小さい部活。サッカー面でも組織の面でも自分が大黒柱。影響力は大きく、自分次第でチームの勝敗が決まる。そんな感覚があった。責任はある立場だったけど、やるべきこともわかっていた。今チームのために、勝利ためにどんな働きをすべきか。課題が見えやすかったからそのまま行動に移すだけだった。何より左腕の腕章が自分を奮い立たせた。俺がやらなきゃ。チームのために、勝利のために。やれることは全てやる。そんな気持ちを持って主将を務めていた。

 

主将になってから高3の選手権で引退するまでの1年と数ヶ月、結果は伴わなかった。2次予選進出という目標を果たせなかった。毎回のように後1試合勝てればというところで強豪校に僅差で負ける。善戦はすれど目標には届かない。勝負強さを根付かせられなかった。最後の選手権で負けて引退した後は悔しさと絶望感で3日間ほど寝込んだ。強い代と言われ得ながら結果を残せなかった、そんな高校サッカー人生だった。

一方で主将としての働きには満足がいっていた。自らが部を引っ張り、強くした自信があった。チームのために行動することができていた。正確には「行動を変える」ことができていた。練習を変え、コミュニケーションを変え、組織を変え、ユニフォームまで変えた。「変化」こそがチームを強くするものだと思っていた。勝つための努力を怠らずやれることは全部やったから後悔はなかった。組織面でも様々な改革を行い、部が将来強くなるようなきっかけを作ることができたと思っていた。自らが組織のリーダーであると胸を張って言える、そんな経験だった。

また、リーダーという立場は自分を成長させてくれた。マネジメント能力ももちろんだが、特にサッカー面。誰よりも練習に打ち込まなきゃという姿勢が、チームを背負っているという責任感が、勝利のための全ての努力が、サッカーの能力を向上させた。同レベルの高校の中では有数のセンターバックになれた自信があった。「立場が人を育てる」、そんな言葉が当てはまるような1年間だった。

 

かくして高校サッカーが成功体験となり、リーダーという立場はやりがいがあり自らを成長させてくれるものであり、自分は「リーダーシップ」なるものを持っている、そんな自信とリーダーへの指向性が自らの中に生まれた。

 

引退してからはア式に入ることを目標に勉強に勤しんだ。入部を志した理由は多々ある。

一つは、自らの能力をよりレベルの高い大学サッカーで試したかったから。サッカーの能力ももちろんだが、高校で培った(と錯覚していた?)リーダシップでも勝負できると思っていた。この時からいつか主将になりたいなんて思っていたわけではないけど。

一つは部活が無い生活なんて考えられなかったから。高校3年間を経て、部活という存在は自らのアイデンティティの根幹をなすものになっていた。それを失うのが怖かったし、他の道を想像できなかった。

もう一つは石丸がいたから。彼の代がみな高3の総体までで引退する中、選手権まで一人で自分の代のチームに残ってくれた時に、彼を2次予選まで連れていけなかったことが高校時代の1番の心残りだった。彼とまたサッカーがしたかった。一緒に勝ちたかった。今度は自分が後ろから彼の活躍を支えたいと思った。石丸へ、近岡と共に麻布サッカー部の再建おなしゃす。手伝うんで。

こんな理由があって、合格後は迷いなくア式に入った。

 

 

 

ア式一年目

 

未曾有のパンデミックから始まったア式生活。自粛期間も上級生とのフィジカルの差を埋めるチャンスと捉えて真面目に動いていた分、夏に練習が再開してからは上手くいくことが多かった。育成ではスタメン取れそうかな、とか思ってたら全体練習再開から1ヶ月であっさりAに上がった。攻撃陣のレベルの高さに驚きながらも、初めのうちはなぜか通用していた。ア式生活とんとん拍子。

 

けどメッキはすぐに剥がれた。サッカーへの理解が足りなさすぎた。技術がなさすぎた。ポゼッション練ではミスりまくるお荷物。紅白戦では自分のところからトップにボコられる。Aチームの誰よりも下手だった。いつ育成に落とされてもおかしくなかった。遼さんに毎日怒鳴られた。怒られるのが怖くて練習に行きたくなかった。拓也さん、内倉さん、よっぴ、この3人がいる限り試合には絡めなかった。同期がリーグ戦デビューを飾る中、吉岡が名誉ある負傷で離脱した最終節までベンチにさえ入れなかった。セカンドに居続ける自分にとってリーグ戦は応援するものだった。アーセナルの試合を見ている感覚と同じだった。

 

悔しかった。とにかく試合に出たかった。そのためには上手くなるしかなかった。

練習のビデオを何度も見返す癖をつけた。遼さんやよしくんのアドバイスを自分に言い聞かせた。怒られ打ちひしがれながらも、新たな概念を学び、駆け引きの楽しさを知った。サッカーを学ぶことを知り、その楽しさを知った。周りとのレベルの差がありすぎて上達している感覚はなかったけど、シーズン最後のセカンド対育成の紅白戦で成長を実感した。ビルドアップが明らかに上手くなっていることに気づいた。辺に立てるようになった。奥が見れるようになった。毎日強力な4年生スリートップと対峙している分、そこらのアタッカーには抜かれなくなった。公式戦には出ることができなかったけど、もがき苦しんだ分、サッカー面で一番成長できた。そんな年だった。

 

思えばこの年の自分の行動原理は、明らかに「チーム」ではなく「自分」だった。一年だし、リーグ戦にも出てない。何の責任も負っていないし、チームの勝利なんて考える余裕もなかった。試足に出たい、活躍したい、上手くなりたい、その一心だった。

それとは正反対に、この年のア式には「チーム」を行動原理に動き続けるリーダーがいた。毎練習毎試合、チームに向けて、課題を発信し、厳しい要求をし、鼓舞し続ける、そんな主将・副将の背中があった。彼らは明らかにチームを背負っていた。4年生としての覚悟があった。集合で現状への危機感を涙ながら必死に訴えてくれた時もあった。それだけ昇格に、ア式に全てをかけていた。拓也さんはサッカーの相談に親身になって乗ってくれ、どんな時も自分を肯定してくれた。内倉さんは試合に出られない時でも常にチームのことを考え引っ張ってくれた。彼の言葉には論理的だが感情がこもっており、人を動かす力があった。チームへの献身性、責任感、言葉の重み。これこそ組織の長たる姿だと思った。素直に憧れた。この年の収穫は、サッカーの成長以上に、リーダーとは何たるかを近くで学べたことかもしれない。

 

 

 

二年目

 

前年のチームのおかげで舞台は都一部になった。陵平さんが監督になった。

プレシーズンからやる気満々。ビルドは下手だったが、守備力、積極的なコーチング、内田のメンタルの弱さのおかげでスタメンに定着した。彼は日本一デカい左サイドバックになってたけど。

プレーの安定感はなかったけど全試合に出場した。

 

驚くほど勝てなかった。信じられないくらい負けた。毎週毎週、負け続けた。上位チームにはボロ負けするし、下位チームにはいいところまで行っても惜敗。怒涛の10連敗もあり、2勝3分19敗。圧倒的最下位でシーズンを終えた。

チームとして全ての面で劣っていた。点が驚くほど取れない(2点とった自分がチーム内得点ランキング2位なくらい)。いとも簡単に失点する。ビルドアップができない。プレスは一生かからない。こんなチームで勝てるはずはなかった。

自分も全試合に出場したが、勝利に貢献したとは全く言えない出来だった。明学戦は終了間際に守備のミスから決勝点を許し、山学には2試合で16点取られ、成蹊戦ではハーフタイムに代えられ、最終節の帝京戦は3失点に絡んで試合をぶち壊した。1部のアタッカーの前では自分は無力だった。止める方法がわからなかった。応援されるのが心苦しかった。勝ちを届けられないのが申し訳なかった。サッカー選手として実力不足を痛感し続けた。

 

同時に1部は刺激的な舞台だった。毎試合挑戦ジャー。プロに内定した選手が何人もいた。サッカーエリート達と非エリートの自分達。ジャイアントキリングを起こしてやりたかった。

週末のリーグ戦に向けて、相手を想定した練習はもちろん、相手校の試合のビデオを何個か見る。テクが作ってくれたスカウティングを必死に頭に入れる。数日前から試合に合わせたコンディショニングをする。今週こそは勝てると自分に言い聞かせる。

念入りに準備した分、負け続けた分、学習院への2勝(と個人的には雨の中引き分けた前期國學戦)は最高だった。絶対に戻ってきたい舞台だった。

 

この年の夏に副将になった。理由は「何となく」。もちろんリーダーという立場を意識していたし、チームを勝利に導ける人間になりたいという思いはあった。ただ明確な覚悟があったわけじゃなく、他にやりそうな奴もいないしキャラ的に自分かな、という感じ。

副将になったことでチームに発信しなければという責任感は生まれた。声も増えた。主将という立場に対しても、四年になったらやるのかなという意識は持ち始めた。

 

 

 

三年目

 

もう三年。副将。おそらくスタメン。プレーでも影響力でもチームを引っ張らなければいけない立場だと自覚していた。絶対に昇格しなければならなかった。一緒に過ごしてきた一つ上をいい形で送り出すためにも。来年自分達が1部の舞台で戦うためにも。

 

プレシーズンから前期リーグ戦にかけてマッツが離脱することが多く、主将の代役という役割を担うことが多かった。前期の大半の試合でキャプテンマークを巻いた。

練習や試合の前後に全体に発言する。意思をそろえ課題を共有しチームを鼓舞する。非常に大事な仕事だ。だが、しゃべるのが上手くなかった。集合で喋るたびに泣きそうになるデカブツほどじゃないけど。今では多少マシになったが、副将時代は酷かった。課題だと思ったことを伝えるのはまだいい。試合前にチームを鼓舞するのが難しかった。気を引き締めさせ、闘志に火をつけたかった。内倉さんみたいにみんなの心を動かすようなことを言いたかった。が、できそうになかった。

それ以外の様々な点を含め、リーダーとなるにはまだ早かったかな、という前期。幸いプレー面では一橋戦を除いて悪くはなかった。内田とのコンビはビルドアップには難はあれど、守備は安定していた。

 

そして後期。

 

成城戦で鎖骨を折った。(正しくは前期の延期試合)

 

入院して手術。怪我をしにくい自分には人生初めての長期離脱だった。

大学に入って初めて開催された双青戦も、ずっと意識していた一橋戦も、昇格が決まった後期成城戦も、スタンドから観戦していた。特に一橋戦は自分がいないチームが負けるのを見るのが歯痒かった。前期の試合で空回りして迷惑かけた分何も言えないけど。来年の東商戦は楽しみ。勝ってくれい。

初めてのDL。走ることも禁止されてる時でも欠かさず練習に顔を出した。練習のガヤみたいなことをしてみた。自分なりに同じポジションの選手にフィードバックとかしてた。意味がないかもしれないけど、とにかくチームに何かしたかった。立場を持つ人間として責任を果たす場所を探していた。不要だと思われるのが怖かった。

 

DLにいる人へ。自分の怪我を治すのが第一だけど、チームとのつながりを断たない方がいいよ。練習を外から盛り上げてみるとか、中の選手のプレーにイチャモンつけるとか、潤がやってたみたいに中の人のプレーを見て感じたことをコーチと議論するとか、どんな形であれ。怪我してると内向きのベクトルが強くなっちゃうから。外に外に。その方が早く戻ってやろうと思えるし復帰した後もスムーズに適応できるよ、というメッセージ。

 

幸い自分は治りが早く、最後の数試合には絡めた。けど昇格に貢献した感はまるでない。

なんかあっという間に終わってしまった。自らの行動原理を「チーム」にすることはできたが、結局チームを引っ張ることはできずに終わった一年だった。

 

来年こそは俺がア式を引っ張る。勝利に導く。

 

既定路線感もあったが、こんな思いを持ってシーズンの終わりと共に主将になった。

 

 

 

そしてついに迎えた四年目

 

サッカー人生の集大成。自らのサッカー力のみならず人間性が問われる1年。

 

東京都・神奈川県リーグ1部という長いリーグ名に変わった。関東3部ができたことで1部のレベルは2年前の時より格段に下がった。2年前残留を争っていた相手が、今度は昇格争いをする立場になっていた。となればもちろん目指すは「関東昇格」。ア式長年の悲願を叶えるチャンス。

ただ前年度の主力を担っていた一個上が抜けてチームが弱体化しているのは間違いなかった。「関東昇格」なんて口が裂けても言えないチーム力だった。実際に前年度末の都トーナメントでは一回戦で負けた。この目標を設定する時も悩んだ。現実から乖離しているんじゃないかと。残留を目標にした方がいいんじゃないか。

幸いまだ時間はある。開幕までにパワーアップすれば昇格を目指せるはず。

俺がこのチームを強くしなきゃ。

 

関東昇格を目指すチームの主将として、二つの役割を自分に課した。

一つは「チームを背負う」こと。自分の出来ではなく、チームの結果に対して責任を負う。「自分」ではなく「チーム」を自らの行動原理にする。リーダーとして至極当たり前のことではあるけれども。

もう一つは「チームのあらゆる課題に対して解決するための行動を取る」こと。選手個人が抱えるプレー面の課題、ポジションの近い数人が連携面で抱える課題、チーム全体の戦い方、組織面での課題。ミクロなものからマクロなものまであらゆる課題に対して、気づき、発信し、それを変えるための行動をとる。そうすることでチームを強くすることができるはず。

この二つが主将である自分の役割だ。一年を通して貫く。そう覚悟した。覚悟したはずだった。

 

プレシーズン。何も上手くいかない。

練習の質は低い。個々人のモチベーションを感じない。元から下手なのに一向に上手くならない。もちろん自分を含め。

練習試合もうまくいくわけがない。内容も結果もついてこない。穴だらけのチーム。それを変えられる選手もいない。

遠征に来た東北大に負けた。お世辞にも強いとは言えない相手だった。結果もさることながら内容があまりにも酷かった。その週の練習からずっと酷かった。シーズンインしてからの積み上げはゼロ。それどころか元々できてたこともできない。個人技頼みの攻撃。ボロボロの守備。

ここが崖っぷちだった。何かしなければならない。でも課題が多すぎてどこから手をつければいいかわからない。

その日の夜、追いコンの2次会中に古川とオカピに呼び出された。彼らは相当な危機感を持っていた。チームに対して。そして言葉には出さないが、現状に何もアクションをしない俺に対しても。2人はこの時だけでなく、1年間を通してチームへの危機感を発信し、それをどうにかしようとし続けてくれた。間違いなくア式を支えてくれた。それに比べて自分は何もできていないことは自覚があった。策を打たねばならなかった。だが自分の無力さから目を背けていた。

話し合いの末、とりあえずミーティングを開いてみることにした。効果に期待なんて意していなかったが、何でもいいからアクションをしなきゃと思った。アリバイが欲しかっただけなのかもしれない。

ミーティングとは名ばかりの強制意見大会を開いたら、みんなから本音がポツポツと出た。現状の課題感。どうすればいいか。周りへの不満。ヤジにチクっと刺されたり、荒に意味ないと言われたりもした。効果がある施策とは思えなかったが、このままじゃヤバいよっていう認識をみんなで持つことくらいはできたかな。

ここから練習試合2試合を経て少しチームは復調。守備の改善が見られた。アミノで大東に負けたが、危機感も薄れながら自信もない、という感覚で開幕を迎える。

開幕から上智、学習に2連勝。内容がいい訳ではなかったが、俺たち強いんじゃね、昇格も夢じゃないかも。

 

もちろんそんな甘いものではなかった。

横国戦の引き分けから地獄の9戦勝利なし。格上に負け、格下に引き分ける。勝ち点を落とし続ける。長い長いトンネル。

ショッキングな勝ち点の落とし方をした試合もあった。

朝鮮戦では90分以上無失点で耐え続けたが、ロスタイムに勝ち越し弾を決められた。絶望の瞬間。目の前が真っ暗。膝から崩れ落ちて立てなかった。自陣ゴール前で屍の山となる11人。まだ試合が終わった訳ではないのに、心が折れたチーム。何より俺が諦めていた。キャプテンとしてすぐに全員を切り替えさせるべきだった。諦めんなと声を張り上げるべきだった。そのくらいはできる人間だと思っていた。想像以上に自分は弱かった。

成城戦。最下位相手で勝たなければならない試合。2-0で折り返したものの、後半に1点を返され迎えたロスタイム。セットプレーから相手キーパーに決められた。こんなことがあり得るのか。絶望した。悪い夢を見てるようだった。運命を恨んだ。次の日の月オフ、おしゃれなイタリアンで大号泣してしまった。きっぺいより泣いた。歌より泣いた。勝てない苦しさ。何もできない情けなさ。高校サッカーの引退ですら泣いてないのに。店員さんもドン引きしていただろう。一緒にいた人はごめんね。慰めてくれてありがとう。

なぜ勝てない。運が悪いから?前線が決定機を決めないから?ミスする選手がいるから?プレシーズンのどん底の時と一緒。チームの課題なんてたくさんある。ただそれを集合の時に指摘することしかできない自分。チームの流れを変えるために新たなアクションを起こせない自分。原因はリーダーであるはずの自分だった。

「組織はリーダーの力量以上には育たない」

その言葉がそのまま現れたチームの不調だったと思う。

 

後期リーグに入り流れが変わった。夏の中断まで3勝1分。内容が格別良くなった訳ではない。ただ今まで決まらなかったゴールが決まるようになっただけ。誠二郎が2点取ってくれたから。ひかるが劇的ゴールを決めてくれたから。当たり前だけどそんなシンプルな理由で勝てた。自分が何かを変えた訳ではなかった。

 

夏の双青戦のボロ負けを挟み(チームも自分も過去最低のパフォーマンスだった)、結局後期は6勝1分3敗。成蹊戦や朝鮮戦という昇格争いに生き残るための大事な試合を落としたが、前期に比べ明らかに多くの勝ち点を取れた。当たり前だが勝ちを重ねるたびにムードは良くなるし、チームはまとまる。自信もついて、「強いチーム」になっていく感覚があった。前期で劇的な勝ち点の失い方をした分なのか、後期は嬉しい勝利が何度もあった。

特に帝京戦は自分のサッカー人生に残る試合。格上相手にしょうもなミラクルゴールで先手を取り、後はひたすら守り抜く。試合は支配され決して良い内容な訳でもないけれど、全員が泥臭く守って掴んだ勝ち。自分たちが目指してたサッカーではなかったけれど、全員が勝利を目指して一つになっていた。終了のホイッスルが鳴った瞬間の安堵は忘れられない。ああ、このためにサッカーしてたんだなぁ、って。2・3年の頃に勝てなかった帝京に勝てたことがひたすら嬉しかった。少しはいいチームを作れたんだな、と自分を少し肯定できた気がして家に帰ってから少しだけ泣いた。2回も泣くなんて今年は涙もろくなった年だったのかも。

 

昇格には届かなかったが、ある程度の結果は残せた後期のチーム。強くなったのはなぜか。

 

その要因は絶対に自分ではなかった。チームの一人一人の頑張りだった。

谷と北川が圧倒的なクオリティを見せてくれたから。誠二郎やひかるという点取り屋が生まれたから。守備陣の一人一人が集中力を切らさなかったから。テレビ越しのミライが劇的ゴールを決めてくれたから。個々人の活躍が積み重なってもぎ取った勝ち点。口が裂けても主将である自分がもたらしたものなんて言えない。

 

自分にできたことは1人のプレイヤーとして勝利に少し貢献することだけだった。11分の1の活躍。まぁサッカーだから当たり前だよね。チームを勝たせるなんて思うこと自体おこがましいことなのかも。試合に出られるだけで本当にありがたいこと。ほぼ全試合に出ておいて何を言うか、と思われるだろう。

だけど自分はどうしてもチームを勝たせる存在になりたかった。背伸びしたかった。本物の「リーダー」を目指していた。それは高校の頃全うしていたと自負している役割であったし、そんな存在のリーダー達に憧れの念を抱いてきたからだ。

 

結果は言うまでもない。目指した存在にはなれなかった。想像とはかけ離れた情けない存在だった。

「リーダー」としての自分は死んでいた。

 

ではどうしてこうなってしまったのか。主将として何ができて何ができなかったのか。

 

答えは明らか。チームを変えるための行動を取ることができたなかった。「行動力」が欠如していた。

リーダーがすべき仕事は、①率いるチームに責任を持ち、②あらゆる課題に対してそれを改善する・させるための行動に出ることである、と言う考えは先に述べた。

この仕事のうち自分ができたのは①だけだ。自惚れかもしれないが、チームの勝敗や練習の質、個人個人の能力までも究極的にはリーダーである自分に起因する問題だと考えていたし、特にリーグ戦の結果についてはこの上なく責任感を感じていた。いいことがどうかはさておき、自分がチームを勝たせないと、勝てるチームを作らないと、という強迫観念に押し潰されそうになっていた。レオが4年はメンタル的に死ぬほどきついぞと言っていた意味がわかった。

そんな責任を背負っていたのだから、行動に移せばいいのに。ただ自分にはその②ができなかった。チームに危機感を持ち課題を把握しながらそれを改善させるために動けなかった。まるで行動力がなかった。自分がしていたことは、ルーティンワークのように練習や試合前後にチームの課題を共有するだけ。その仕事で手一杯と思ってしまっていた。本気でチームを改善したいなら、他人に影響を与えたいなら、もっと他の行動が取れたはずだ。心を動かすようなスピーチをできるわけではないのだから、もっと他の方法でモチベートができたはずだ。危機感が足りないなら集合の場面以外で一人一人とのコミュニケーションの場を作ればよかったかもしれない。チームの課題をより明確に把握するためにより多くの人の意見を集められたかもしれない。決まりきった自分の仕事から抜け出すこと、行動を変化させること、それができなかった。高校ではできていたはずなのに。新たな取り組みをして失敗することにビビった。わざわざアプローチを変えることを面倒くさがった。

行動力が圧倒的に足りなかった。

 

「人の価値を決めるのは行動力だけだ」

YouTubeショートでホリエモンが言っていた言葉なんかが胸に刺さってしまった。悔しくも同感だ。

特に組織のリーダーに必要な力は、その組織を導くためにどれだけ行動できるか、正確には行動を変えることができるか、ということでしかないと思うようになった。その点ラストイヤーの自分は主将のあるべき姿とはかけ離れた人間だった。

 

これからのア式を背負う人たちには、「行動力」の重要性を認識してほしい。至極当たり前のことだが、自分だけでなくチームを巻き込む・変える(陳腐な表現だが)ということはとてつもないエネルギーを要するし非常に難しい。初めは覚悟を持っていても、毎週やってくるリーグ戦と試合への準備に追われてるうちに、その覚悟は容易に意識の外に消し飛ぶ。行動を起こすのが億劫になり、変化を恐れ、現状の努力を続けることを肯定する。日本人は一貫性や変わらなさを重要視する傾向があるが、個々人のサッカーに対する取り組みにおいても、ア式全体の方向性においても、同じ行動をとり続けて成長するのは難しいだろう。同じ行動に慣れ、試行錯誤することがなくなり、モチベーションも低くなりやすい。もちろん継続した努力は必要だが、変わらない行動を取るにしても、一度行動を変える選択肢を模索し、それと比較した上で変わらない行動の方を選ぶ、というプロセスを取るべきだ。この試行錯誤無くして脳死で同じ行動を続けるのは非効率的な成長しか生まない。てつくんが練習メニューを変え続ける理由もここにあると思う。

個人についてもチームについても、毎日毎週新たな課題を探し、それを克服するための新たな方法を考える。常に変化する道を模索する。抽象的なアドバイスにはなってしまうが、これが後輩達に残せる自分の結論である。リーダーとしてチームを変えるアプローチをサボった自分を反面教師として欲しい。チームとしての課題を発見しそれを改善するための方法を考え必ず実行に移す。チームがいい状態でも絶望的な場面でもこれをコンスタントにやり続ける。それがリーダーの役目だ。

マシロ・谷・章は今もできてると思うけど、1年を通して変化を続けるというのは大変なことだから油断しないように。2つ下、3つ下は大丈夫?だけど行動力とその土台となる覚悟さえあればリーダーとしての他の能力なんて些細なものだから、そこさえできれば意外となんとかなると思うよ。とにかく行動!

もちろん主将・副将だけがチームに影響をもたらすわけではない。立場関係なく、全員が「関東昇格」のために自分に何ができるかを考え行動に移して欲しい。

 

 

主将としての反省をもう一つ。自分は自らの役割をピッチ内のみに限定し、組織の運営面のタスクを主務等に丸投げしていた。ピッチ内へのコミットメントに集中しようとこうしたが、少なくとも部の運営の現状を把握する必要はあったと思う。古川はよく働いてくれたが、長である自分がコミットしていない以上、ピッチ外活動への積極性を醸成することは難しかっただろう。すまん。たまたま街中で遼くんに会って、「組織としての思考のレベルが低下している」と指摘されたときは耳が痛かったし、自らのせいだなと思った。

主将が細かい雑務までやる必要はないが、部の運営全体を把握し適切な処置をとる・とらせる。このくらいのマネジメントはやった方がいいよ、というアドバイス。

 

 

 

「リーダーシップ」という面では挫折した1年だったのでネガティブな文章になっているが、それ以外の面では今までのサッカー人生で一番楽しく充実した一年だった。辛い敗北もあったが、1部で8回も勝利の喜びを味わえたし、帝京戦のような最高の試合もあった。関東昇格は叶わなかったが、中位にはつけることができたし、何より来年のチームに1部という舞台を残すことができた。昇格昇格と言いながらシーズン前とか負け続けた時期には残留すら危ういのではないかと思っていたから、来年、その先のア式の未来につながる結果になったことはすごくホッとしている。情けない主将だったけど最低限の仕事はできたのかな。

 

ア式きってのタレント揃いの一つ下大暴れしてくれる来季が楽しみだ。

 

いつか、できたら来年、後輩たちが関東昇格を実現させる瞬間に立ち会えることを楽しみに生きていこうと思う。心から応援している。

 

 

 

 

ラストイヤーを含め充実した4年間を過ごせたのは、周りの「人」に恵まれたからだ。

 

自分を育ててくれた2人の監督。

1年目に遼さんにしごかれたからこそ、サッカーの基礎を学び、試合に出れる人間になりました。

そして陵平さん。3年間も自分を信頼し、使い続けてくれてありがとうございました。サッカー以前の人間としての本質を育ててもらったと思ってます。陵平さんの指揮の下でプレーできたのが自分の誇りです。

お二人が日本サッカー界で益々ご活躍なさるのを願っています。

 

武田さん、和田さんをはじめとするLB会の方々。そして利重さん。現役の活動を支えていただき本当にありがとうございました。引退していただいていたご支援、ご声援が並外れたものだったことを実感しております。自分も精一杯現役を応援したいと思います。

 

コーチ陣。上達するのを手伝ってくれてありがとう。特に2人のヘッドコーチ。とてつもない熱量を持ちサッカー変態の2人には、ありとあらゆるアドバイスをもらったし、監督とチームを繋いでくれた。OBコーチをかじると2人の凄さを改めて実感した。高口は見習うように。

 

テク、マネージャー、フィジコ。誰かの活躍のために努力するという自分には到底できない芸当をするみんなを心から尊敬しています。ア式を最高の環境にしてくれているのは君たち。支えてくれて本当にありがとう。

 

プレイヤー。一緒にサッカーしてくれてありがとう。競い合いながらも、共に勝利を目指してみんなと戦えた経験が宝物です。本気でサッカーに向き合うみんなにいつも刺激をもらってた。自分のサッカーの原動力は大好きな仲間たちと勝利の瞬間を共有することだった。みんなとサッカーできて幸せでした。

 

サッカー以外の部分でも過ごした時間は計り知れない。

可愛がってくれた先輩達。生意気な後輩達。なんだかんだ仲良いと思ってる同期。サ式。ポ式。雀士達。恋愛相談に乗ってくれた人。お金配りおじさん。毎日一緒に銭湯行ってくれる人。メッツァのために車出してくれる人。高速代請求しない寛大な人。みんなと日常生活を共にできてよかった。今後ともつまらない自分をよろしくお願いします。

 

一平が炎上スレスレの卒部feelingsを書いていたが、あの内容は自分が普段感じていることに似ていた。我ら東大ア式の魅力は「正しい努力ができる」ことだと思う。「インテリジェンスが高いサッカー」なんて微塵も思ってない。勝つための努力。上手くなるための努力。練習や試合を支える努力。組織を運営するための努力。新しい活動を成功させるための努力。全ての構成員が立場関係なく努力をする。そんな集団だと思っているし、そうあって欲しい。むしろサッカー面においては元々の個人能力や経験が他大学の選手に劣っているのだから、4年間の間に他大学を上回る正しい努力ができないと追いつけっこない。自らのプレーについてもチーム全体のパフォーマンスについても、何が足りないか徹底的に考え必要だと思う努力を続ける。時にその努力が正しいか顧み、試行錯誤し、修正する。抽象的ではあるが、俺らの武器はそこだから、上に上がるために妥協せず努力を徹底してほしい。

努力を欠かさないア式の一人一人を尊敬しているし、誇りに思っている。辛さ、苦しさを感じながらももがき努力するみんなのなかにいたからこそ、自分も上手くなろうと、チームを勝たせようと頑張ることができた。

 

共に戦ってくれた愛するア式の仲間たち、本当にありがとう。

 

家族。長い間サッカーをする自分を支えてくれてありがとう。少しずつ恩と借金を返していきたいと思う。

家族以外にも私生活で自分を応援してくれた人、支えてくれた人、関わってくれた全ての人達に感謝しています。迷惑や負担をかけてごめん。これからもよろしく。

 

 

 

「リーダー」になるという面では大きな挫折を味わった4年間だった。自らの限界を知ることが成長なのだとしたら、ア式は間違いなく自分を成長させてくれた場所だった。

さてこれからは次のステージ。大学4年間のサッカーで乗り越えられなかった壁を、どこかの舞台で、できれば仕事で、乗り越えたいと思う。ア式での大切な4年間を意味あるものにするためにも。まだまだ人生これから。

 

 

 

「私の強みはサッカーで培ったリーダーシップと行動力です」

 

今日も嘘をつく。

この言葉がいつか本当になることを願って。

 

 

 

 

前主将 八代快


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