この春で大学に入学してちょうど2年になる。かなりベタな話だが、先日合格発表で喜ぶ新入生をみて、なんだがうれしい気持ちになるとともに、もう2年も経ってしまったのか、という想いを抱いた。

2年前、大学合格が決まった10分後には尾上さんに合格の一報が高校の先生経由で伝わり、尾上さんからのメールが来て、すぐにア式への入部の意思を伝えた。

ア式への入部は決めていたが、合格直後はスタッフとしてやるか、選手としてやるか迷っていた。高校ではポジションを後輩に奪われ、大会では控えのキーパーとして準備すると同時にスカウティングなどのピッチ外の活動に奔走した。スカウティングがはまって大会で勝つことができたときはめちゃめちゃ嬉しかったこともあり、大学でもそういった活動に打ち込むのもありだと思っていた。

しかし、結局はひとまず選手としてやれるとこまでやって、ダメだったらスタッフになろうという気持ちで選手としてこの部活に入った。

野口さんの指導の下、新屋、満永、道顕、島田、つるちゃん(熊谷)の5人でキーパーとして競いながら、1年の秋ごろまでは、怪我人が多かったこともあり、Iリーグの出場、東京都トーナメントでベンチ入りすることなどができた。

しかし、新人戦のメンバーに入ることはできず、その後尾上さんが怪我をしたこともあり、トップチームの練習試合でのチャンスを貰ったものの、主力がLB-BRBに移籍していてチームとしても結果がなかなか出なかった中で、自分には何も出来なかった。完全な実力不足に加えて、試合のチャンスを純粋にポジティブに捉えることができず、色々な局面で勇気を持ってチャレンジすることが出来なかった。

自分なりにそういった問題も少しずつ克服していったものの、最初の春を迎える頃には完全にポジションを満永と島田に奪われてしまった。

もう失うものはなにもないと思って2年目に挑んだ。とにかく、ポジティブに、あらゆることにチャレンジしてやっていこうと決め、自分なりに失敗と成功を繰り返していった。しかし、結局秋頃には洋平にもポジションを奪われ、怪我人が出てキーパーが自分を入れて二人しかできない状況の中チャンスをもらえるかと思った新チームの始動時にもAチームに入ることは出来なかった。そして新人戦のメンバーに入ることも出来なかった。新人戦に絡むことが出来なかったのは自分と怪我しがちな大池だけ。とにかく結果を出せない。

そういったタイミングでスタッフへの転身や退部を考えることはあった。しかし、不思議なもので、大学に入ったときとは違いやはり選手としてもっともっとやりたい、できるはずだ、という想いが考えれば考えるほど強くなっていった。

なんだが、ここまで愚痴のような不愉快なフィーリングスになってしまったかもしれないが、そんなつもりはなかった。

とにかく自分は後がない。いつ終わりの時が来てもおかしくない。ただ一方で失うものもない。だから今の自分は、いつ終わりの時が来てもいいようにとにかく、毎日、毎日全力でサッカーに向き合うしかないと思ってやっている。その原動力は意地だ。

大学受験も、ア式でサッカーをすることを目指したのも、振り返ってみると、親や同級生、顧問への意地を見せようとしていたのが、一番の原動力だったかもしれない。

この意地をなんとか見せて大学でのサッカー人生で一花咲かせたい
絶対もっと上手くなって試合に出てやる。

新屋

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