独白 〜藤と淡青〜
自分にとって勉強というものは、元々はサッカーにおいてある場所へ辿り着くための手段でしかなかった。
小学校2年生から静岡県は藤枝市に住んでいた僕にとって、その存在は日常生活の一部であり、そして憧れで、いつかあそこに行くと特に意識もせずいつのまにか思っていた。敢えて意識した瞬間があるとすればそれはやはり、国立競技場で藤色のユニフォームを纏い全国大会の決勝を戦う姿をその目に焼き付けたあの時か。その時僕は改めて、プロになりたいということと同じくらいあの藤枝東高校で全国制覇を成し遂げたいと思った。
ア式の中で高校の偏差値順に並ぶとほぼ最下位タイになってはしまうが(そもそも都会と田舎で教育水準・環境に格差がありすぎるので入試では10点くらいハンデがあってもいいのではないかと本気で思っている)、僕が住んでいた地域ではそこそこの進学校だったこともあり、藤枝東に入ると決めた頃から小学生にして「文武両道」というのが僕の生活スタイル?モットー?座右の銘?My rule?になった(まあ元々勉強は好きではあったが)。サッカーは少年団、トレセン、スクールと掛け持ちながら、Z会のような通信教育をやったり塾に通ったり(あとあんま関係ないけど一応ピアノとか書道もちょびっと)。地元一できる奴だと聞いて噂の種になったりはしなかったが、同じく藤枝東から東大に進んだ脳科学者の池谷裕二さんをかつて教えていたという、小さな塾の大きなおじいちゃん先生からは小6にして「お前はサッカーを辞めれば東大に行ける」とか言われたりもした、そんなバカな。
(先生、結局僕は高校までサッカーをやって東大に合格しましたよ。そして先生が大好きだといつも言っていた京都の桂離宮にも東大の実習で行けました。めちゃくちゃ美しかったです。)
ごめんなさい。話が逸れました。
ただ、小学校中学校と僕がしていた勉強はあくまで、「藤枝東で『サッカー』をするため」の勉強だったので、例え当時開成とか麻布に合格できる実力があろうが(まあたぶんなかったけど)、将来東大に受かるポテンシャルがあると言われようが、そんなことに微塵も興味は無かった。『まちづくり』とか『里山』とかなんとなく勉強というか学問そのものへの興味も湧いてきてはいたけど、想像してみた10年後の自分はサッカーの世界にいた。
そんな僕にとっての勉強が「サッカーのためのもの」ではなくなったのは、その藤枝東高校に入学して以後のことだ。今東大生としてこの文章を綴っていることからもわかるように、結局僕にとってこの高校に入ることは勉強面では大した障壁にはならず、首席で入学を果たす訳だが(調子乗ってすみません)、ここで僕は「藤枝東でサッカーをするための勉強」をする必要がなくなった。やっと目的の場所に辿り着いてサッカーに集中できるようになったはずなのに、むしろここから僕の意識は「東大」に向かうことになる。
なぜか。
サッカーが全く通用しなかったからだ。
体力的にも技術的にもまだまだ未熟な僕は毎日のように打ちのめされ、小中と憧れてきた目標が実現不可能に見えてしまった。今考えれば入学したての推薦でもないぺーぺーが最初通用しないのは至って当たり前なのだが。それでも必死に食らいついて、目の前の1日・1週間・1ヶ月をなんとか乗り越えて、3年間の中で何とか試合に出ようともがく自分がいた一方で、ある種の保険として勉強に力を入れようとする自分がいた。ずっと夢に見ていた藤枝東で選手権に出て国立のピッチに立つ、いやそれ以前に試合に出ることさえ叶わなかったら、それは同時にプロにはなれないということにも等しく、そうなったときに自分に何が残るのだろうと。ほとんど運も同然の首席入学を周りからチヤホヤされる中で勉強に逃げ道を用意する形で「東大を目指します」と言うようになった。
しかし当然成長のビジョンも持たず目の前の練習をこなすので精一杯の人間がサッカーで大きく伸びるはずもなく、一方で口だけで東大東大と言うだけの勉強が伸びるはずもなく、サッカーは1年間一番下のカテゴリー、テストの成績も気付いたら何十人に追い越されていた。
そんなこんなで2年になると、首席だった面影はもはや無いものの、それでも東大志望ということとポテンシャルを買われて(半ば強引に)「Sクラス」というなんとも地方進学校が粋がって付けそうな名前のいわゆる特進クラスに進むことになった。これ、サッカー部から進むのは結構リスクがあることで(今は知らないが僕がいた時は毎年1人行くかどうか)、補講が入るため週に1回か2回は練習に遅刻または欠席しなければならない。毎日のように評価が入れ替わる中でこれは致命的でこのせいで何度も上のカテゴリーに上がるチャンスを逃した(と当時は自分に言い聞かせていた)。
その後、勉強は優秀なクラスメートに囲まれたおかげもあって課題をなんとかやり切る程度の勉強量(とはいえこれがなかなかの量なのである)ではあったものの東大をなんとか射程圏内に捉えられそうなライン近辺でついていっていた。サッカーでは一番下のカテゴリーからは抜け出し、トップに上がれるほどではないものの最初に比べれば一定の評価を貰える程度にはなっていた。
だけど気付けば先輩はサッカー部からいなくなり、このままトップに上がれなければ夏の総体で引退という1つの終わりがおよそ半年後に見えてきた。サッカー部は主力メンバー以外の3年生は総体後に引退するか選手権まで続けるかの決断を迫られる。当然その時点で下のカテゴリーにいても残る決断をする人もいれば、逆に主力でも大学進学を見据えて引退する人もいる。部室の中でこのことについてどうするかという会話がちらほら出始めたのも高二の年明け辺りからだったか。
先輩がいなくなった中で未だトップチームに上がれていないこともあった。初めは口だけで言っていた東大という目標もいつしか本心から目指したい場所に変わっていた。その時点で、現役で東大に合格するために3年の夏の総体で引退することを決意したように思う。
非常に情けない話ではあるが、こういう人間が本当に覚悟を持って物事に打ち込み始めるのは終わりが見えてきた時である。小学生の頃から目指していた選手権という藤色の夢を諦め夏での引退を決めたからこそ、せめて最後にトップチームに入ってやろうと。その上でサッカー部からはしばらく出ていない東大合格者になろうと。昨日の自分とは決別して生まれ変われと。
果たしてどんな努力をしたのか、いつ頃からトップチームを狙えるところまできたのか、今となってはあまり覚えていないが、最終的な結論から話すと、総体最初の2試合では25人中25番目みたいな形で登録メンバーに入ることができた。初めて公式戦のユニフォームを受け取った時の感覚はきっと忘れないだろう。一緒にもがき悩み苦しんだ同期からの「おめでとう」という言葉も、格下との初戦で「大差つけて試合出してやるから」という小中からの戦友だった主将の言葉も。
だが、その2試合を勝ち上がった後、再び登録メンバーからは外された。そして、その直後の試合でチームが敗退する、即ち自分の引退が決まる瞬間を応援席から迎えることになるのである。
普段は余程のことがない限り涙を流すことはないのだが、その時はどこからこの涙は出てくるんだろうというくらい人目も憚らずに泣いた。今でも覚えているが、そのときは夢が完全に潰えた悔しさ悲しさからただひたすらに泣く自分と、一方でもうあのきつい練習をしなくていいとかこれで勉強に集中できるとか驚く程冷静に情けない言葉が浮かんでくる自分で完全にスプリットしていた。この時の心理状態は今振り返ってもよくわからないが、結局幼かったあの頃より強くなったわけじゃない、たまには泣いたっていいじゃないか。
ただそうやって抱いていた感情を全て吐き出したからなのか、そこから勉強への切り替えは驚く程スムーズだった。
引退試合を終えた7月以降毎日10時間を超える勉強もほとんど苦に感じなかった。もちろん同じくらいの時間教室で勉強する仲間がいたことは大きかったが、残った同期が先に引退した僕らの分も日々練習している姿を窓越しに見たり、いつしか本物の目標に変わっていた東京大学でのアカデミックな生活をイメージすると、エネルギーを貰えるのだった。
そんな同期たちが選手権の県大会で決勝に進み、1点を守り切って静岡の頂点に立った時に、歓喜のエコパスタジアムから遠く離れた場所で東大模試を受けていたあの日でさえも、応援に行けなかった残念さを除けば心の底から嬉しかった。
その後も冬の追い込みを経て、全国を戦う仲間をテレビで見届け、センターを迎え、二次試験を迎え、絶望的な手応えの中で藤枝に戻り、卒業式では卒業生を代表して徹夜で文を考えた答辞を読み、合格発表では自分の受験番号を見つけて涙を流す母と抱き合い、誰から聞いたのか電話を掛けておめでとうと伝えてくれる友人がいて、長い受験期を支えてくれた当時の彼女は自分の事のように喜んでくれて、まさに努力と感謝と笑顔が結実したような3ヶ月を過ごすことができた。
少年時代からの夢は叶えることができなかったが、部活も勉強も、文化祭などの学校行事や恋愛も、全部本気でやって、謳歌できる青春は全てしたのではないかと言えるくらいの高校生活を過ごすことができた。次のステージへ、後ろ手でピースしながら歩き出せるだろう。
と思っていた。
だけどいざ東大に来て、熱心な先輩方の新歓の末にア式に入ってみると果たして本当に自分の選んだ道は正解だったのか、確信が持てなくなってしまった。東大ア式には、結果的に一浪二浪することになってでも選手権まで続けた人もいれば、選手権まで続けた上で現役で受かっちゃうようなエリートの塊みたいなやつもいた。そんな人たちの話を聞く度に思う、僕が高校サッカーに対して抱いていた想いはその年月の長さからしてもその高校の格や目指していた場所から見ても、間違いなくこの人たちより大きかったはずなのにどうしてあんなにさっぱりと諦めてしまったんだろう、と。
近づいたらふいに消えてしまった
目指してきたのにどこへ行った?あの夢。
ア式生活で積み上げてきたトレーニングや食事やフィジカルについての知識、大学に入って感じるもっと効率的な勉強のやり方などをもって、もっとああすれば良かったこうすれば良かったと高校時代を振り返り、最後まで選手権と東大の両方を狙ってみたかったなと思うことが大学生になってから何度もあった。
だけど現在から過去を遡ってたらればの話をするのは意味が無い。その時手に入れられる情報、考えうる選択肢の中でしか人間は判断ができないのだから。そこで決めた道を全力で進むことしかできないのだから。
そういう意味で、もっと情報をインターネットなり本なり人の話を聞くなりして広く集める努力をすれば良かったとは思っても、僕は東大に至るまでの自分の「選択」に対して後悔はないと今は改めて思える。結果的に夢を諦めることになっても、最後まで自分で決めた道を全力で進むことができたから。
だから今、全国にはいろんな境遇の高校生がいて、それぞれいろんなリミットがあって選択を迫られることもあると思うけど、その中でいろんな人の話を聞いたりいろいろネットで調べてみたりするのは選択の幅を広げる意味でもちろん大事だけど、
後悔しないためには
決心のきっかけは時間切れじゃなくて
考えたその上で未来を信じること
これに尽きると思うよ。『きっかけ』、ぜひ聞いてみてください。
さて、そんなサッカーに区切りをつけて入学したはずの東京大学で何故僕はまたサッカーを続けているのか。これをまた話しだすといよいよ収拾がつかなくなってしまうので、ここでは僕が今東大ア式に抱く夢を語ってこの文章を締めたいと思う。
ご存知の通り東大ア式蹴球部は決して強くない。推薦で良い選手を獲得もできないし、そもそも勉強面でのハードルが高いからだ。だけど、ここにいる部員は皆、他の強豪大学に劣らないくらいの時間と情熱を割いて日々活動している。きっと僕が入部する前からそうだろうし、そして卒部してからもそれは続いていくだろう。
であるならば、
懸けた熱量に見合う結果と価値をこのクラブが残せるようになって欲しい。
その為にも選手が日々の練習で上手くなることはもちろん、トレーニング理論、フィジカル、データ分析、ブランディング全てにおいてクラブとしてもっと学んで実践する必要がある。それは東大生なら本来得意なことのはずだし、その学びを助けてくれる、素晴らしい環境が日本の、東京の中心に整っている。
そんな日本最高峰の学府においてサッカーで勝つために「学び、考え続ける集団」をカッコいいと、自分もここでサッカーに関わりたいと、そう思ってくれる中学生高校生を全国で増やしたい。
関わり方はなんだっていい、プレイヤーとして活躍したいはもちろん歓迎だし、実力に自信がないからデータ分析をしたいでもいい、サッカーチームの広告・ブランド戦略を手がけてみたいでもいい、サッカー選手の身体の仕組みを勉強したいでもいい、サッカークラブを運営してみたいでもいい、とにかく「本気」でサッカーを通じて何かをしたいと思ってくれたら僕は大歓迎だ。
結局それはクラブの「総力」を高め、ピッチ上での結果にも繋がるはずだ。
いつか
クラブ内でトレーニング理論を学んだ学生コーチの指導のもと、学生トレーナーの管理のおかげでアスリートのカラダを手に入れ、これまた学生の分析スタッフの助言によって日々プレーを向上させてきた才能溢れる選手たちが関東の舞台で強豪大学相手にピッチで躍動する。その姿は広報班によりカッコよくSNSで拡散され、それを見た全国の子どもたちがいつの日かその淡青のユニホームに袖を通す日を夢見てサッカーと勉強に打ち込む。
プロを目指す選手もいれば、大学までと決めて最後のサッカーに打ち込み一般企業に就職していく選手もいて、ア式での経験を活かしてプロの指導者やトレーナーや分析スタッフになったり、広告業界に入ったりJクラブや海外クラブのフロントスタッフやスカウトになる部員もいる。。。
これが実現して、今までの(大雑把にまとめると)サッカーエリートがサッカーだけしかやってこなかった状況が、サッカーエリートこそ子供の頃から東大を目指して勉強する、即ちサッカー以外のことにも視野を広げることになれば、日本の学生サッカーの構図が変わる。そして競技人口から考えても学生サッカーが変われば学生スポーツが変わる。そうしたら、日本のスポーツ界はもっと先進的な組織として日本を盛り上げてくれるのではないだろうか。
とんだ夢物語かもしれない。世間からはそんなことしてないで他のことやれとか思われるかもしれない。でもショーウィンドウに並ぶダイヤみたいに誰もが欲しがるものではなくて、自分にしかわからない石ころが欲しい。
ピッチ上での勝利をとことん追求する傍らで少しでもこの夢に近づけるようにチームに何かを残すというのが今の僕の目標。
だけどもう僕にはあと1年も残されていない。
だからこれを読んでこの夢に共感してくれる後輩はもちろん、中学生高校生がいてくれたら、ぜひ東大ア式に入ってその夢の続きを追いかけてほしいなと思ってる。
長々と書いてきましたが、これから受験生になるみなさんのこと、心より応援しています。
最後に、
七瀬さん、美彩先輩、と各学校を卒業される皆さん、ご卒業おめでとうございます。今後の活躍を願っています。
帰り道は真っ直ぐ帰りたい派
新四年 主将
松坂大和
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