課題3000個から得たもの

またfeelingsを遅延してしまいました吉本です。

いままで2回書いたがどちらも大幅に延滞している。

遅延するたびにいろんな人がなんで書かないのと聞いてくるがいつも書く題材がないと返答する。

そしてお前は書くこといっぱいあるだろと言われる。

そう、確かにおれにはfeelingsの題材には困らないようなことが書ける。

下手くそだったのに公式戦に出れるようになったまでの過程を書けばいいだけ。

でもいままではそれを頑なに書かなかった。マキがこのテーマでおれのfeelingsの冒頭部分をわざわざ作ってくれてあとはちょっと付け足せば完成なんてこともあったが結局お蔵入りになった。(ごめん、マキ)


全然書かなかったのはいくつか訳があるが、一つは単純に恥ずかしいから。

また、成長ってブログを現役中に書いてしまうとなんだか成長に満足してるみたいな雰囲気が出るし、自分としてはまだまだ上手くなりたい気持ちが強かったから、書きたくなかった。

だが今回選手を引退し、もう上達は必要ないし、4年間を振り返る上でこのテーマは外せないと思い書くことにした。

少々前置きが長くなったが、初めて自分の心の内を書くことになるので、これが正真正銘最初で最後の本心のfeelingsになる。





文章書くの下手なので伝えたいことを先に書いておくと、
この4年間で1番成長したのはサッカーじゃなくて自分の心だと思ってる。

精神的に完璧な人間になれたわけではないけど、苦しい経験をし、それを乗り越える努力の本当の意味を知り、壁を破った時の快感を味わえた。


体育会系の部活ブログあるあるでなんでおれ達は大学でスポーツをするのかみたいのが多く、引退を迎えるにあたって自分も考えてみた。


自分も4年間過ごしながら「なんで」と考えたことはあるがそのたびに納得いく答えは出たことはなかった。
誰かのためにといっても、プロを目指してないアマチュアの人が与えられる影響なんて正直ほとんどないと思ってる。
東大生らしく勉強してた方が将来にとって有効じゃないかと考えさせられる。


結局毎回とりあえず好きなサッカーを何も考えずやるか、となる。


だが、振り返る立場になってみると、過ごしてきた時間に意味はあったと思う。


日々がむしゃらに無心で駆け抜けた結果得られた多様多種の経験は他では味わえなかっただろう。


人間的にまだまだ未熟な大学生が部活をすることの意味や方法は人それぞれとしても、結局は自分の成長に繋がることだと感じる。


もし自分のプレーや行動からOBや後輩がなにか感じてくれるならそれはそれで嬉しいことだが、かけてきた時間の一番大きな意味は自分自身の成長にあったと思う。


Abstractはこの辺で終わっときます。



↓本編はまだ続くよ




今となっては嬉しいことに、「本当に上手くなったよね」とか「伸び率は1番だった」とかいろんな人に褒めてもらえるようになった。


大学を共にした人達だけでなく高校時代のチームメイトまで上手くなったと言ってくれ、サッカー選手として素直に嬉しい。


ただ、こうなるまでに挫折もかなり味わってきた。

はじめは何をやっても上手くいかなかった。
公式戦に出たい思いは持っていたが、明らかに実力が足りていない。

時間の経過とともに状況は好転するどころか悪い方に進み続ける。


あまり多くは書かないが、2人だけの育成チーム、埼玉まで練習試合に行って出させてもらえずラントレだけして帰る、同じポジションの後輩がすぐトップデビュー、などなど本当にドン底の状況だった。


結局2年の新人戦で怪我人が出てたまたまチャンスがくるも、最低のパフォーマンスを披露し期間中にベンチ降格。


この頃コーチに言われた「課題3000個」は衝撃的すぎて多分一生忘れない。さすがにそんな多く数えあげられないだろとマジレスしておくが、実際には当たらずとも遠からずといったところだろう。


並の人が4年間怒られるであろう量以上に最初の2年間で怒られた。


こんなんだったらもう辞めた方がいいかな、とよく考えた。
もう本当にやめるかと思った2年のオフ、急に高校時代の苦い思い出が蘇ってきた。



高3の春、トップチーム遠征のメンバーに入れてもらった。だかこのときのおれの活躍は移動のバスで雑学をみんなに披露し場を盛り上げただけで、試合では何もアピールできず帰ってくることに。

勝手に限界だと決めつけて、秋の選手権までやらずに同期を残して先に夏に去ることを決意。
結局トップで試合に出ることなく、最後監督にわがまま言ってBチームのリーグ戦に出してもらいひっそり引退。


自分自身に向き合うことなく、たいして努力もせず、このときは完全に逃げていた。
東大になんとか合格できたから面目を保てたが、今考えても本当に情けない行動だった。


またあの二の舞。



それは嫌だ。
弱い自分を打ち破りたい。
じゃあもう変わるしかない。


突然スイッチが入った。

「周りは関係ない。問題は自分自身の中にある。逆に自分次第でどうにでもなる。
それは進学校でもないところから東大に受かって自分で証明済みだろ。」(吉本サッカーノートより抜粋)

より必死になるためにタイムリミットも定めた。
誰にもなにも言ってなかったが、前期9節が終わるまでに1試合もスタメンで出れなかったら即辞めると固く決意してシーズンに入った。


自分の中ではっきりと意識が変わると行動も変わっていった。

急に毎日サッカーノート取り始めたり、毎日プロの試合を見て勉強もした。
近くの人にビデオ一緒に見てくれと頼みに行くこともあった。
そして毎練習にかける集中力も変わった。
どんなに怒鳴り散らされた練習後でもコーチにしつこく説明やアドバイスを求めにいった。


はじめて口先だけ試合に出たいとほざく腐った自分と決別できた。

少しずつプレーが改善している実感はあったし、相変わらずミスは多かったがミスの内容は前とはちがうものだった。

自分のことをみててくれたのか、徐々に評価されはじめ立場も変化していった。
そして気づいたらいきなり開幕戦でスタメンで出せてもらえた。

緊張でガチガチだったが試合前整列でマキに「まさかよしくんが出れるとはなー」って言われた瞬間泣きそうになった。



その後、ずっと順調なわけなく、何度も挫折を味わったが、一つずつ克服するためにエネルギーを注いだ。



その年の5節の前日練習で怪我して離脱、グラウンドで悔し涙が溢れた。

でも絶対強くなって帰ってくる。
そう思い、CBからSB(偽)の可能性も広げるため、怪我で空いた時間を使ってポゼッション志向のチームの攻撃的SBをとにかく研究した。
1年時の長期離脱ではそんなことすることなく無駄な時間を過ごしていた。一旦入ったやる気スイッチは入りっぱなしだった。





2部優勝、1部昇格に貢献したとは言えず上に引っ張ってもらっただけという虚無感から大泣きした打ち上げ。

来年こそは中心になれるようにとサッカーの戦術をより研究し、筋肉やステップ、体の使い方さらには食事にも意識が向くようになり、最上級生になっても向上できた。





今年チームが全く勝てなく自分自身も負のスパイラルに入り、練習をサボるほど病んだ。そして泣いた。

このときもヘッドコーチがサシ飯に連れて行ってくれ、自信を取り戻させてくれた。
最後の方スタメンで出れる機会も減った。それでも自分がチームに貢献できると思う行動をとり、いつ出ろと言われてもいいように準備し続けれたのは自信が回復したおかげだった。
最後の最後までうまくなってやる気だったし、結果として途中出場からだがアンカーとして公式戦で使ってもらえた。
これはほんの十数分の出来事ではあったが、精神面で成長できた自分の4年間を集約したようなものだと感じてる。



たくさん壁にあたった。
みんなおれのこと泣き虫とか言ってくるが、
涙の数だけ強くなれた、アスファルトに咲く花のように。




でもまだ回収できてない涙もある。現役最後の打ち上げ、会の終盤に後悔と酔いが強まり1人駐車場で号泣してた。(結局みんなに見つかったが)

1部残留に導けなかった。
確かに相手の方がうまかったかもしれない。
それでもチームが苦しいときに、みんなが誰かに頼りたくなったときにとるべき行動はあったし、それができなかったのが悔いとして残ってる。

はやく悪い流れを断ち切らないといけないのに自分のことに精一杯になってしまった。


たった一声かけてチームを鼓舞できたかもしれないし、もう一踏ん張り走ればよかったかもしれない。
勇気あるプレーで難しいボールをキープしみんなに気持ちを見せれたかもしれないし、一本のサイドチェンジで流れをこっちにもってくることもできたかもしれない。



全部サッカー中の話だが、結局自分の精神の奥底にある弱さが出てしまった。

火中の栗を自ら飛び込んで拾いにいく勇気が出せなかった。

もうおれにはこの涙を直接回収できる場は残ってない。あとは頼れる後輩たちに託すとしか言えない。



自分の見つかったこの弱さ、3001個目の課題はこれからの人生で変えてみせる。


人は死に際で人生を語るらしい。
これからもいろんな壁にぶつかるだろう。
それでもまわり道することなく一つずつ克服してやる。
この4年間で培った精神力で。
よりいい人間になれるために。


最後に結果は出なかったけど総じていい4年間だったと思う。
これまでなんでサッカーをやってきたのかの問いの答えは好きだからであるし、4年間でこの思いも強まった。

大好きなサッカーを本気でやり、大好きなのに通用しないから悔しさは何倍にもなる。
大好きだからこそ努力できるし、乗り越えたときの幸福は何十倍にもなる。


みんなと共に過ごしてきたこの時間全てが自分にとって大切なものになったと思います。


最後に
ここまで、長々と自分のことしか書いてこなかった。
誤解を恐れずに言えば、成長したのは自分で、心が変わったのも自分だが、それでも周りの人達、環境無くしてはありえなかったことだ。


色んな人のサポートがあった。
OBが献身的にサポートしてくれた。
コーチ、スタッフはおれたちに正面から真剣に向き合ってくれた。
日々切磋琢磨し、ピッチでは共に全力で闘ってくれる仲間がいた。
毎週俺たちのために死ぬ程声を出し勇気づけてくれる応援部隊がいた。グラウンドに響くバナナコールはおれの宝物だ。

どれもこの4年間で欠かせないものだったと思うし、この人たちには感謝しかない。
この場を借りて言わせてもらいます。


ありがとうございました。


今度は自分が支援する番だろう。たくさん受けてきた恩を今度はかわいい後輩たちのために。

来年1年間はOBコーチとして伝えられることは全部伝える。
必要とされるなら一緒に映像をいくらでも見る。
老害で邪魔と言われない限りは応援部隊に加わってピッチの選手を後押しする。
飯のおごりは…ほどほどで。うそ、悩んでるなら相談にも乗る。


みんなが成功体験を積んで、濃密な4年間を過ごしてよかったと思えるために。
東大が関東で戦えるチームになれるように。

そう願います。


そしてこんな経験をさせてくれて

サッカーありがとう。


構成が卒論風
東大ア式4年 吉本 理

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