あのゴールが本当の僕ではない。
Ⅰ.
自分語りをするのは本当に好きではないが、
過去の4年生のfeelings全部面白かったし、
タイミングもタイミングだし、少し書かせてください。
Ⅱ.
受験が終わるとすぐに髪を染め、部活でサッカーをする気なんてさらさらなかった。
父はそれとなく東大サッカー部の存在を教えてくれたけど、
浪人の一年間でサッカーへの情熱の火は消え去り、趣味程度にフットサルでもできればいいかなと思っていた。
いろんな団体の新歓を回ってタダ飯をむさぼり食う。
いつものタダ飯のノリでラクロス部の駒場コンパに立ち寄り、新歓PVを鑑賞して「運動部ってカッコいいな」と感動した僕。
すぐに合格祝いで買ってもらったばかりのiPhone6sを取り出し、僕の新歓担当だった佐俣さんに連絡。
一応テント列のときにサッカー部のブース入っておいてよかった。
ゆうても東大生ってそんなにサッカー上手くないっしょ。
東大サッカー部の前情報を全く持ち合わせていない福井県南条町民は、完全に高を括りながら体験練習に。
一応高校時代のスパイクをこっちに持ってきておいてよかった。
え、上手くね。いや、俺が下手になってるの?ここで再び火がつく。
僕の東大サッカー部(ア式)生活が始まった。
Ⅲ.
1年目
ほぼ2年くらいサッカーしてなかったから、感覚を取り戻せばすぐ上いけるっしょ。
双青戦終わりにAにあげてもらった。
寺さんにショルダータックルで5mくらい吹っ飛ばされたり、
何もできずに3週間で育成に出戻り。
それなりに落ち込んだ。
それでも、義務教育がなってない生意気な僕を、育成コーチの行天さんと嶺さんはすごく大事にしてくれた。
寺さんに負けないように筋トレもめちゃくちゃした。
そんな中、シーズンが終わる直前のTRM後、その日の調子がすごく悪かったわけじゃないんだけど、自分の中で限界みたいなものを感じていた。
「このまま続けていって本当にAで活躍できる選手になれるのかな」
お先真っ暗って感じ。
いろいろ考え込みながら農グラで座っていたときに、嶺さんに声をかけられた途端、涙腺コルクが外れてしまった。
(嶺さん)「え、どした?なんで泣いてるの?笑」
嶺さん読んでくれてるかな。
2年目
新チームからAに上げてもらった。
中盤の選手の中で序列は一番下だったけど、本気でポジションを取ろうと意気込んでいた。
下馬評は関係ない。マジで本気だった。
チームはなかなか上手く回っていなかった。
これはチャンス、メンバーは変わりやすいはず。
1年間もがきつづけたけど、最後まで立ち位置は変わらず。
チームがよくない状況なのにこいつ試してみるかと期待できるレベルにも達せなかったこと、
後輩や怪我から戻ってくる選手に簡単に序列を譲ったこと、
チャンスをことごとくモノにできなかったこと、何もかも。
とにかく自分が情けなかった。
シーズンの終わり際にタケさんたちとご飯行ったときに、
これがまたコルクが勢いよく吹き飛び、洪水のように涙を流した。
吉くんほどじゃないけど。
もう一つ、この年のハイライトといえば、岩政大樹さんがア式のコーチをしてくれたこと。
小学生の頃から福井から鹿島を応援し、テレビの前で3連覇の瞬間を歓喜していた僕いわ、まさに夢のようだった。
言われたことは全てメモった。
たくさん怒られたけど確実に成長できた。
叙々苑でたらふく食べさせてくれた。
東大に来てくださって本当に本当にありがとうございました。
3年目
永遠偉大な主将と優美巧妙な指揮官にチームは率られ、2部優勝。
個人的には初めて年間通して試合に関わることができたシーズンとなった。
とはいえ、優勝を心から喜べるほど、自分がチームの力になれたわけではない。
後半戦にかけて調子が悪くなり、後味がものすごく悪かった。
自分の弱さが出た。シーズン通して安定させるって難しい。
いや、というより単にまだまだ実力不足だった。
来年1部か、大丈夫かな。
1年のときに脳裏に焼きついたトラウマ。
不安しかなかった。
Ⅳ.
4年目
ついに最高学年になった。早いものだ。
ラストイヤー思う存分サッカーに全てを捧げようと意気込んでいたが、最高学年になると余計なことを色々考えてしまう。
これは想定外だった。
上がいたときは抑えてくれる人がいたから、イノコさんに変な絡みしまくったり好き勝手できたけど、一番上となるとふざけてばっかりもいられない。
少しは周りも見えるようにならないといけない。
終わりが見えると、変に終わり方を考えてしまう。昔からの僕の悪い癖。
僕たちの代って後輩たちの目にはどう映ったんだろう。
過去の先輩方はみんなかっこよかった、僕たちもそんな存在になれるのかな。
もっというと自分はこの部においてどういう存在だったんだろう。
4年間を捧げるに値したか。
周りから見てそんな存在であれたのかな。
終わってから考えればいいこと、考えなくてもいいことがたくさん頭によぎって、シーズンの初めは浮き足立っていた。
自分自身にフォーカスできていない状態で上手くいくはずがない。
実際、全然上手くいかなかった。
前期の東農戦が終わって1週間空いたタイミングで、オニさんにアザジュウの鰻屋に連れていってもらった。
あのときオニさんが僕に言ってくれたことはひとつも覚えていないけど、いろいろ話せてスッキリした。
試行錯誤をしながら、だんだんやりたいことができるようになってきた。
試合で単にいいプレーをすることと勝たせるプレーをすることには、天と地の差がある。
遼くんが常々言ってるけど、結果はコントロールできないし、
淡々と目の前のプレーで最善を尽くすことで、勝利という結果が近づいてくる。
僕は頭が混乱しないように試合前に最低限やるべきことをできるだけ絞ってから入るようにしていた。
後は試合が始まってみないと何が起こるか分からない。
試合が始まったら、
どこで受ければ相手にズレを生めるか、どこにボールを送り込めば有効か、序盤だし相手がどこまで自分に付いてくるか見てみるか、ここで引きつけてグイっと一枚剥がしたいな、なんとなく窮屈だから奥は空いてるんちゃうか、早めに一本シュート打ちたいな、
とにかくいろいろ考えた。
そうすると緊張していること自体を忘れられるので、自然体で試合に入ることができた。
昔からガチガチに緊張する僕にはこの方法はすごく合っていた。
ノボリさんがよく言ってたけど、上手くいっていないときに早く何かアクションを起こさないと、あっという間に90分って過ぎてしまう。これが本当に難しい。
自分が考えたことが上手くプレーで表現できたときはすごく楽しかった。
やっぱり公式戦の90分って格別。
その中で自分が選択し続けたプレーが90分といういわば長期的に見て勝利という結果に繋がらないといけない。
そこまではまだまだ足りなかった。
試合を重ねるごとにチームも自分自身もよくなってきている感覚がつかめていたところで、
足首の捻挫を悪化させて3試合欠場。
大谷の試合中の殴打により、前歯は無くなりかけた。
かなやんのいう通り、調子がいいときに限ってアクシデントはつきものだ。
これまでほとんど怪我してこなかったのに。
前歯は家の近くの丸山歯科で治してもらった。歯垢も除去してくれた。
足首は、中高のときによくお世話になった岐阜県本巣市の三善接骨院に7,8年ぶりに診てもらいに行った。
なんと先生はまだ僕のことを覚えててくれた。
福井からはるばる通ってたから印象に残ってたのかな。
相変わらずのノリの良さとマジックハンド(指圧)のおかげで足の状態はかなりよくなった。
本当に感謝しかない。
最終節の後半30分、リーグ戦初ゴール。
ゴールシーンは画面録画して多分200回は見た。
ボールを受けたときはとにかく打つことしか考えてなかった。
みんなが「打て打て」って叫んでるのもちゃんと聞こえていた。
よく動画を見てみるとみんなのこの一年の成長をよく表すゴールシーンだったと思う。
周平の得意のカットインからの、引きつけてリリース。和田ちゃんはポジションを微調整しながら胸を合わせ続ける。ティクミンは周平が開けた手前にタイミングよく下りて顔出してるし、ともは幅を取りつつ裏抜けの準備。こぼれ球には周平と和田ちゃんの2人が反応。
今年ずっとやってきたことを全員が当たり前のように体現できていた。
この試合はそんな場面が多かった。
みんなでこの一年間成長できた。
終了間際には人生初のレッドカード退場を経験し、僕のア式の4年間が幕を閉じた。
強がっているわけではない、本当に泣いている自覚はなかった。
みんなに「泣いてた」って言われたし、Fαcebookには思いっきり目頭を抑えている写真があった。
コルクから染み出していたのかもしれない。
何の涙だったんだろう。
いろいろ思い出したのかな。
よく覚えていないけれど、身体は正直なものだ。
Ⅴ.
もちろん、この結果でもって、この一年間の結果を肯定することはできない。
すごく責任を感じる。
後期の帝京戦、大東戦は今でもめちゃくちゃ悔しい。絶対にモノにしないといけなかった。
観ている人にとってはすごくストレスが溜まる不甲斐ない試合をたくさんしてしまった。
もっと早く成長できなかったのかなとか、あのときの実力で本当に勝ちようはなかったのかとか、色々考えることはあるが、やはり力量不足だった。
サッカーは何が起こるか分からない、ジャイアントキリングは起きやすいとはいっても、
シーズンは長いわけで、リーグ戦においては最終的に強いチームが上位にいて弱いチームが下位に沈む。
僕たちは後者だった。
これからア式がさらに上のステージへ行くためには、シゲピも言うように、もっと1部を経験しないと。
今季の初め、まず一部のレベル感に慣れるための期間が必要だった。
そうではなくて、開幕から最終節まで勝ちにいく姿勢を継続しない限り、またそのメンタルを継続できるだけの自信と実力がない限り、昇格は見えてこない。
後輩たちにはそこまで行ってほしい。
今年、後輩には少し強めにいろいろ言ってきた。
自分のことを棚上げして言うのはすごくエネルギーが要る。
大してできてねえくせに偉そうな口叩くなよ。
僕自身も中沖さんにたくさん言われた。
中沖さんは自分が言ったことは全てできていたけど、それでも「中沖、うぜー」って何回も思った。
誰かが言わないといけないし、嫌われ役を演じなきゃいけない。
言われた方は今度は基準を示す立場にならないといけない。
来年からは言う立場だよ。
(なかおくん、ご飯連れてって下さい。)
こうして4年間を振り返ってみると、嬉しいことよりも悔しいことの方が圧倒的に多い。
あのゴール、なぜ最後が僕だったのかは神のみぞ知るところだが、まさに有終の美みたいになった。
サマさんには「みんなの記憶に残るゴールになった」と。
寺さんには「ア式で見た中で一番いいゴールだった」と。手放しに讃えてくれた。
少し照れくさかったが、素直に嬉しかった。
だけど、あのゴールは、僕のほんの一部分、それも一番かっこいい部分に過ぎない。
数え切れないほどたくさん、悔しい思いをしたし、情けない姿も見せたし、仲間に失望させたし、失敗したし、ボールを簡単にロストしたし、パスミスしたし、球際負けたし、守備で奪い切れなかった。
その全てが僕の4年間だった。
大学サッカーは僕にとっては本当に厳しい世界だったけど、
途中で投げ出さずに最後までやりきったことは、ほんの少しだけ褒めてあげてもいいのかな。
「調子が悪い」「メンタルが弱い」って言葉は僕はすごく嫌いで、そう言ってしまえば上手くいかないことが多少正当化される。
僕自身も今までこの魔法の言葉を使っては何度もごまかしてきた、逃げてきた。
上手くいかないことから逃げずに真正面から向き合わないと、結局その場しのぎの解決策しか思いつかない。
壁にぶつかる度にめちゃくちゃ考えた。
何が最適解なのかは絶対に知りえない。
他の人でうまくいくやり方が自分にも合っているとは限らない。
だけど、考えることだけは絶対に放棄してはいけないと思った。
ここにいたら心が折れそうなときなんて無限にある。
その度に折れてたらとてもとてもやってられない。
Ⅵ.
ラストイヤーは本当にいろんな方に支えてもらっていることを実感できる一年だった。
旬悦のおっちゃんは数年ぶりに試合を観にいったと言ってくれたし、
こくわのお兄さんたちはいつも結果を気にしてくれてた。
小中のときの恩師もSNSでメッセージをくれた。
大学の友達、高校の同期、元ア式の人、もちろん引退した先輩方も、いろんな人に試合を見にきてもらった。
観に来てくれてありがとうございました。
初めて観に来た人に決まって言われるのが、「隼ってあんな真剣な顔できるんだな。」
いや、できるわ。
色紙でたっぷり感謝を伝えたけど、
遼くんのおかげですごく成長できた2年間だった。
大学生でこんなにもサッカーが上達するとは思わなかった。
サッカーを見る目が180度変わったってミツナガシが言ってたし、
僕はプレースタイル的にも本当に学ぶことは多く、すごく楽しかった。
少しはサッカーのことを理解できたし、そのきっかけをくれたことに本当に感謝。
唯一無二の同期。
本当に感謝している。
入部したときから半分くらい辞めちゃってすごく不安だったけど、
残った13人はすごく頼もしかった。
1年生のとき課題が300000個あった吉くんが、
ずっと育成でやってた城後が、
3年間ほぼサッカーしてなかった大池が、
公式戦で活躍する姿を見ていたときは、
悔しい思いもあったけど、感慨深かったし、素直に嬉しかった。
東農戦、大東戦の2人のゴールは今でも忘れない。
4年間で彼らよりも成長できたかと言われると、自信をもって首を縦に振れない。
ラストイヤーの彼らはすごかった。
「他人の成功を心から喜べる人が真の大人。」
いつかの集合で利重さんがおっしゃってた。
彼らのおかげで僕は少し大人になれたのかもしれない。一石四鳥。
そして優くん。
初めてア式に行ったとき、こいつ同期?うまって思った。
同時に、絶対に負けたくなかった。
ピッチ外ではいつもじゃれあい戯れているけど、ピッチに立つと常にたくましく謙虚でひたむきだった。
一番近くにサッカー選手としてのお手本がいて、たくさん学べたし、負けたくないって思えたし、成長できた。
たまにMTGに遅刻してたけど、本当に尊敬している。
最後まで最高に上手かったです。ありがとう。
両親へ。
大学まで行って部活でサッカーを続けさせてくれて、本当にありがとう。
父が単身赴任で東京に来て毎週試合を観にきてくれるようになってから僕の調子がだんだん上向いていったのも、
本来なら最終節来れなかったのに台風で延期になったおかげで父の前でゴールを決めることができたのも、
きっと偶然ではないだろう。
恐るべし親父パワー。
母。きっと内心もっと学業に専念してほしかったんだろうけど、
子どものときからずっと僕のやりたいことを存分にさせてくれてありがとう。
猛暑の中、身体が弱いのに車椅子で双青戦観に来てくれて、
マジで涙出るくらい嬉しかった。
ありがとう。
後輩たちに一言。
頑張れ!!
(一人一人には結構言いたいことあるんだけど、小っ恥ずかしくここでは書けない。)
4年間お世話になりました。
本当にありがとうございました。
Ⅶ.
誕生日ってのと、
サッカーを始めてから最初につけた番号だったので、
13が好きでした。
細井 隼 #13
コメント
コメントを投稿