自分と付き合う
このブログを書いているのが、2021年4月12日。東大の創立記念日で入学式が行われているので授業がなかった。ラッキー、と思うと同時に、え、あの入学式からもう2年も経ったの?とショックを受ける。気づいたら大学3年生で20歳。ほんとついこないだまで高校生だった気がするのに、成人もしたし大学生活ももう後半戦。周りの友達がいつの間にか就活の話をするようになった。幸い自分は理系だし、親にも院に行っていいと言ってもらっているのでおそらく大学院に進学するが、自分たちがそろそろ社会に出る年齢だという事実に正直焦る。
コロナで1年間がすっぽり抜け落ちたような気もするが、それでも大学に入って何か成し遂げられたのか、何か成長できたのか。自信をもって答えられることは今のところないように思う。1日1日は、到底満足できるレベルではないけど、それなりに頑張って生活してきたのに、感じるのは漠然とした虚無感。
サッカーの話をすると、この前の週末に東京都リーグが開幕、最後から2番目のシーズンに同期の多くはAチームの主力として活躍するが、自分はずっと育成。この前の土曜日も、去年まで関東リーグにいた青学と同期の選手がやりあってるのをYouTubeで昼飯を食べながら見た。
とまあここまで書いた文章を振り返って、なんかすげぇ暗い声で下向いてぼそぼそしゃべるような文章書いてんな、と感じてます。Feelingsで、ある程度の分量をマジメに書こうとするとどうしても反省、とか後ろ向きなことを書いてしまって、別にそれ自体は良くないことではないと思うし、自分みたいに結果が出せてない人はちゃんと自分自身を批判的に振り返って行動を変えていかなきゃいけないんで必要なことだと思います。
でも、「真鍋公介」として20年間生きてきて少しずつ自分のことがわかるようになって、こいつはこういう後悔とかモヤモヤを正のエネルギーに変えられる奴じゃないな、とも思う。むしろそういう感情を感じたときに、必要以上に重くとらえてしまって、結局それから目をそらしたり逃げたりしてしまうクセがある。ア式でも、正直ずっと何かにビビりながらサッカーしてたし、だからあんまり楽しくなかったし、上手くもならなかったし、部の人とのコミュニケーションにも積極的になれなかったと思ってます。だから、こいつ何甘えたこと言ってんのと思う人もいるかもしれないけど、もうあまりいろいろ考えないようにしようと思います。ごちゃごちゃ考えないで、目の前のやるべきこと、やった方が良いだろうことに取り組む。逃げがちな自分と付き合って、前を向いて取り組むために、上手く表現できないけど、真面目をやめるのも大事なんじゃないかなと思います。
最後に、こないだの卒部式での先輩たちの話を聞いていて思ったこと。よく、結果より過程が大事だ、いや結果がないと無意味だ、といった議論があると思います。自分の場合、例えばア式での活動を過程で肯定することはできないんだろうな、と思う。ここまでの人生最大の成功であろう東大受験も、勉強をやり切ったという達成感で肯定することはできなくて、まぁ受かったから良いでしょう、としか思えない。そんな自分がア式を肯定するためにはやっぱり結果が欲しい。具体的には、公式戦でプレーしたい。もう半分以上過ぎてしまったア式生活、最後に自分を認められるよう頑張ろう。
ぐちゃぐちゃな文章を読んでくれた人はありがとうございました。
3年 真鍋公介
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