サッカーを楽しむということ
2020年12月某日。冬オフ中の出来事。
このオフ期間は希望者をグラウンドに集めてフィジカルトレーニングを行っていた。トレーニング後、集まった選手達がミニゲームをやろうと言い出したが、人数が1人足りなかったため、僕が入ることになった。
3年以上前にサッカーを辞めてからほとんどボールを触っていない僕が、東京都1部で戦おうとしている現役の選手達と張り合える訳もないし、こういうのは楽しくやってれば良いのは分かっているのだが、いざミニゲームが始まるとムキになってしまう。
点を取れたら結構嬉しいし、ボールを取られたら少しイラっとする。
負けず嫌いですぐにムキになってしまうところは自分がサッカーをプレーしていた時からの悪い癖なので、昔と変わってないんだなと感じると同時に、サッカーってこれだよなというような感覚すらあった。
振り返ってみれば、自分がサッカーを始めたきっかけは小学校2年生の時に母親に連れられて参加した体験練習のミニゲームで優勝したことが大きかった気がする。そのメニューは、1人1個ボールを持って自分のボールを守りながら人のボールをグリッドの外に出し、生き残った人が勝ちというよくあるものだった。あの時、ボールを蹴ったことはほとんどないながらも必死に自分のボールを守りながらどうやって相手の隙を突くかを考えに考えたこと、最後まで残ってコーチから褒められたこと、ただの練習の中の1メニューでありながらこの上ない喜びを感じたことは今でも鮮明に覚えている。
もしかするとプレイヤーとしての僕は、あの快感を味わうために10年近くサッカーを続けていたのかもしれない。
そう考えると、生粋の負けず嫌いな性格に仕上がったのも納得だ。
プレイヤーとしての僕にとっては、サッカーとは勝利を目指してバチバチの真剣勝負をする舞台であり、サッカーを楽しむとは勝利の快感を得ることであったのだろう。
冬オフ中のミニゲームでサッカーってこれだよなと感じたのは、勝利を巡った感情の動きを感じられたからに違いない。
高校でチームメイトよりも一年以上早くサッカー部を辞める決断をしたのも半年以上まともにプレーできない状態が続いた結果、真剣勝負に気持ちが向かなくなってしまったからだった。
部活を辞めてからはサッカーとは距離ができてしまい試合を見ることもボールを蹴ることも全くなかった。
部活を辞めた途端にそうなってしまったことを考えると、サッカーをプレーしていた当時の自分は、ただただ自分が上手くなり試合に勝つことばかりを考えていて、純粋にサッカーという競技を楽しむという気持ちはあまりなかったのかもしれない。極端に言えば、バチバチの真剣勝負に身を置けさえすれば、その舞台がサッカーである必要はなかったのだろう。
そんな中でも、受験期真っ只中に開催された2018年のロシアW杯の試合は勉強の合間を縫って観た。
4年に一回しかないイベントだし観ておかないともったいないかなくらいの、その辺のにわかサッカーファンレベルの気持ちで観ていたが、終わってみれば日本代表の戦いに大きく心を動かされていた。
ベルギー戦を見終わった直後はなんだか心にぽっかり穴が空いたような感じがして勉強が手に付かなくなっていた。
サッカーというものを自らが真剣勝負を繰り広げるための舞台としか考えていなかった僕にとって、他人の試合を観てこんなにも心を動かされたのは初めてのことだった。
この試合をきっかけにプレイヤーとは違った立場で再びサッカーという舞台で真剣勝負をしてみたい、そしてプレイヤーとしては辿り着くことができなかったトップレベルの戦いに関わりたいと思うようになった。
こうしてサッカーの世界で生きる決意をして東大に入学した僕はア式でフィジカルコーチとして活動することにした。その辺の経緯は以前のfeelingsに書いたので省略しよう。
1、2年時は前監督の山口遼さんの下でサッカーの奥深さを学ばせてもらい、試合を観ること自体がめちゃくちゃ楽しくなったしサッカーという競技自体の面白さを知れた気がする。
遼さんに教えてもらった複雑系や戦術的ピリオダイゼーションの考え方、その他具体的なトレーニングの組み方、指導のテクニックなどは間違いなく今の自分の土台となっている。
ただ、ア式での活動に満足しているかと言われると答えははっきりNoだ。
正直に言うと、この2シーズンの自分はチームが勝っても負けても特に何も思わなかった。
2年前一部での最後の試合で國學院相手に完璧な試合をして勝利した時も、去年玉川戦で昇格を決めた時も、感情を爆発させる皆を引いて見てしまっている自分がいた。
これは単純に自分のコミットメント不足が理由であることは間違いない。
この2シーズンは遼さんに頼りっきりで、僕の仕事というと遼さんにフィジカルのことについて質問された時にちょっとしたアドバイスをする程度でしかなく、フィジカルコーチというよりはフィジカルアドバイザーと言った方が良さそうなレベルであった。
そんな仕事をしていてはチームに感情移入などできる訳がない。
そのことを決定的に自覚し、チームに持ち得る全てを捧げる決意をしたのは昨シーズンの最終節亜細亜戦後のことだ。
前期での完敗が嘘のように素晴らしい試合を見せたが、終わってみれば0-2という前期と同じスコアでの敗戦。
試合後の集合での遼さん、内倉さん、大谷さんの話を聞いている内に自分の無力感と責任を感じた。
最後の亜細亜戦で見せた通り、戦術的な部分については積み上げてきたものが完成形に近付いたような感じがあったが、結局フィジカル的な部分の差で勝利を逃してしまった感じがあることは否めない。
試合後、みんなは引退する4年生と写真を撮ったり最後の言葉を交わしたりしていたが、自分はこの人たちに何もしてあげられなかったという申し訳なさを感じその輪から離れてしまっていた。
こんな思いはもう2度としたくない。
次のシーズンは、どんな結果になろうと最後は胸を張って選手にお疲れと言えるように全力で向き合おうと決意した。
今シーズンの始め、内倉さんから今年のチームが勝てるかはお前にかかっていると何度か言われた。
その時は軽く流してしまったかもしれないけど、その自覚はあるので安心してください。
実際、今シーズンに入ってからは全ての仕事のクオリティが大幅に上がったと自信を持って言える。
グラウンドを使っての練習ができない期間のオンライントレーニングは昨シーズン、今シーズンの両方で経験したが、今シーズンのオンライントレーニングのメニューのバリエーションは昨シーズンとは比べ物にならないほど増えたし、全体トレーニング以外にも希望者を集めてより細かいトレーニングをやったりもした。
グラウンドでのトレーニングのアップに関しても、去年まではルーティーン化された同じメニューを毎日繰り返していたが、今年は毎日違うステップのメニューを入れて15分間のアップでアジリティ能力の向上を目指している。パッと数えてみたところ、今シーズン始まってからだけでも100種類近くのメニューを考案しているらしい。
去年までは自分が指導している時にしっかりと取り組まない選手がいても、この人たちはそういうレベルの選手だからと諦めモードに入っていたが、今年はかなりイライラするし、どうにかしてこの人たちが進んで取り組むようなトレーニングにしてやるという風に良い意味でムキになれている。
これぞ現在の僕の理想のサッカーの楽しみ方だ。
サッカーは知れば知るほど楽しめるのは間違いないが、僕にとってはやはり感情が揺れ動く時こそがサッカーの楽しさを感じられる瞬間である。
実際に自分の体を使ってサッカーというゲームをプレーすることはないが、選手のために自らの全てを注ぎ込み、選手と同じレベルで試合での勝利を目指す、つまり選手とは違う立場でありながらサッカーというゲームに選手と同じレベルの熱量で参加するということ。
そういった意味で、自分はア式の”プレイヤー”としてサッカーを全力で楽しんでいきたいと思う。
これまで自分はア式でフィジカルコーチをやっている理由を将来に直接繋がるからだと考えていたし、将来サッカー界で生きていくつもりのない自分以外の選手やスタッフは他にもたくさんやれることがある中でよくこんなことやってるよなと思っていた。
しかし、改めて考えてみると、自分は東大ア式での活動をしなかった場合、外部でのパーソナルトレーニングや記事の執筆などいくらでもできることはあるし、プロチームのフィジカルコーチとして働く選択肢を消しつつある自分にとって、東大ア式のフィジカルコーチが将来に直接繋がるという保証もない。そもそも将来のことなど何も分からない中で、将来に繋がることをやろうと考えること自体がナンセンスだ。
そう考えると、自分も他の選手やスタッフと同じく、よくこんなことやってるよなと思われる側の人間なのかもしれない。
ア式部員はなぜサッカーを続けているのかと聞かれると、口を揃えてただ楽しいからだと言う。
自分はその言葉をよく理解できていなかったが、よくよく考えると自分も全く同じ立場だ。
東大ア式の存在目的は、部員全員がサッカーの楽しさを享受することと設定されていたはず。
とにかくサッカーを楽しもう。
そして、最高の楽しさを享受するために全力で勝ちに行きましょう。
3年フィジカルコーチ 田所剛之
このオフ期間は希望者をグラウンドに集めてフィジカルトレーニングを行っていた。トレーニング後、集まった選手達がミニゲームをやろうと言い出したが、人数が1人足りなかったため、僕が入ることになった。
3年以上前にサッカーを辞めてからほとんどボールを触っていない僕が、東京都1部で戦おうとしている現役の選手達と張り合える訳もないし、こういうのは楽しくやってれば良いのは分かっているのだが、いざミニゲームが始まるとムキになってしまう。
点を取れたら結構嬉しいし、ボールを取られたら少しイラっとする。
負けず嫌いですぐにムキになってしまうところは自分がサッカーをプレーしていた時からの悪い癖なので、昔と変わってないんだなと感じると同時に、サッカーってこれだよなというような感覚すらあった。
振り返ってみれば、自分がサッカーを始めたきっかけは小学校2年生の時に母親に連れられて参加した体験練習のミニゲームで優勝したことが大きかった気がする。そのメニューは、1人1個ボールを持って自分のボールを守りながら人のボールをグリッドの外に出し、生き残った人が勝ちというよくあるものだった。あの時、ボールを蹴ったことはほとんどないながらも必死に自分のボールを守りながらどうやって相手の隙を突くかを考えに考えたこと、最後まで残ってコーチから褒められたこと、ただの練習の中の1メニューでありながらこの上ない喜びを感じたことは今でも鮮明に覚えている。
もしかするとプレイヤーとしての僕は、あの快感を味わうために10年近くサッカーを続けていたのかもしれない。
そう考えると、生粋の負けず嫌いな性格に仕上がったのも納得だ。
プレイヤーとしての僕にとっては、サッカーとは勝利を目指してバチバチの真剣勝負をする舞台であり、サッカーを楽しむとは勝利の快感を得ることであったのだろう。
冬オフ中のミニゲームでサッカーってこれだよなと感じたのは、勝利を巡った感情の動きを感じられたからに違いない。
高校でチームメイトよりも一年以上早くサッカー部を辞める決断をしたのも半年以上まともにプレーできない状態が続いた結果、真剣勝負に気持ちが向かなくなってしまったからだった。
部活を辞めてからはサッカーとは距離ができてしまい試合を見ることもボールを蹴ることも全くなかった。
部活を辞めた途端にそうなってしまったことを考えると、サッカーをプレーしていた当時の自分は、ただただ自分が上手くなり試合に勝つことばかりを考えていて、純粋にサッカーという競技を楽しむという気持ちはあまりなかったのかもしれない。極端に言えば、バチバチの真剣勝負に身を置けさえすれば、その舞台がサッカーである必要はなかったのだろう。
そんな中でも、受験期真っ只中に開催された2018年のロシアW杯の試合は勉強の合間を縫って観た。
4年に一回しかないイベントだし観ておかないともったいないかなくらいの、その辺のにわかサッカーファンレベルの気持ちで観ていたが、終わってみれば日本代表の戦いに大きく心を動かされていた。
ベルギー戦を見終わった直後はなんだか心にぽっかり穴が空いたような感じがして勉強が手に付かなくなっていた。
サッカーというものを自らが真剣勝負を繰り広げるための舞台としか考えていなかった僕にとって、他人の試合を観てこんなにも心を動かされたのは初めてのことだった。
この試合をきっかけにプレイヤーとは違った立場で再びサッカーという舞台で真剣勝負をしてみたい、そしてプレイヤーとしては辿り着くことができなかったトップレベルの戦いに関わりたいと思うようになった。
こうしてサッカーの世界で生きる決意をして東大に入学した僕はア式でフィジカルコーチとして活動することにした。その辺の経緯は以前のfeelingsに書いたので省略しよう。
1、2年時は前監督の山口遼さんの下でサッカーの奥深さを学ばせてもらい、試合を観ること自体がめちゃくちゃ楽しくなったしサッカーという競技自体の面白さを知れた気がする。
遼さんに教えてもらった複雑系や戦術的ピリオダイゼーションの考え方、その他具体的なトレーニングの組み方、指導のテクニックなどは間違いなく今の自分の土台となっている。
ただ、ア式での活動に満足しているかと言われると答えははっきりNoだ。
正直に言うと、この2シーズンの自分はチームが勝っても負けても特に何も思わなかった。
2年前一部での最後の試合で國學院相手に完璧な試合をして勝利した時も、去年玉川戦で昇格を決めた時も、感情を爆発させる皆を引いて見てしまっている自分がいた。
これは単純に自分のコミットメント不足が理由であることは間違いない。
この2シーズンは遼さんに頼りっきりで、僕の仕事というと遼さんにフィジカルのことについて質問された時にちょっとしたアドバイスをする程度でしかなく、フィジカルコーチというよりはフィジカルアドバイザーと言った方が良さそうなレベルであった。
そんな仕事をしていてはチームに感情移入などできる訳がない。
そのことを決定的に自覚し、チームに持ち得る全てを捧げる決意をしたのは昨シーズンの最終節亜細亜戦後のことだ。
前期での完敗が嘘のように素晴らしい試合を見せたが、終わってみれば0-2という前期と同じスコアでの敗戦。
試合後の集合での遼さん、内倉さん、大谷さんの話を聞いている内に自分の無力感と責任を感じた。
最後の亜細亜戦で見せた通り、戦術的な部分については積み上げてきたものが完成形に近付いたような感じがあったが、結局フィジカル的な部分の差で勝利を逃してしまった感じがあることは否めない。
試合後、みんなは引退する4年生と写真を撮ったり最後の言葉を交わしたりしていたが、自分はこの人たちに何もしてあげられなかったという申し訳なさを感じその輪から離れてしまっていた。
こんな思いはもう2度としたくない。
次のシーズンは、どんな結果になろうと最後は胸を張って選手にお疲れと言えるように全力で向き合おうと決意した。
今シーズンの始め、内倉さんから今年のチームが勝てるかはお前にかかっていると何度か言われた。
その時は軽く流してしまったかもしれないけど、その自覚はあるので安心してください。
実際、今シーズンに入ってからは全ての仕事のクオリティが大幅に上がったと自信を持って言える。
グラウンドを使っての練習ができない期間のオンライントレーニングは昨シーズン、今シーズンの両方で経験したが、今シーズンのオンライントレーニングのメニューのバリエーションは昨シーズンとは比べ物にならないほど増えたし、全体トレーニング以外にも希望者を集めてより細かいトレーニングをやったりもした。
グラウンドでのトレーニングのアップに関しても、去年まではルーティーン化された同じメニューを毎日繰り返していたが、今年は毎日違うステップのメニューを入れて15分間のアップでアジリティ能力の向上を目指している。パッと数えてみたところ、今シーズン始まってからだけでも100種類近くのメニューを考案しているらしい。
去年までは自分が指導している時にしっかりと取り組まない選手がいても、この人たちはそういうレベルの選手だからと諦めモードに入っていたが、今年はかなりイライラするし、どうにかしてこの人たちが進んで取り組むようなトレーニングにしてやるという風に良い意味でムキになれている。
これぞ現在の僕の理想のサッカーの楽しみ方だ。
サッカーは知れば知るほど楽しめるのは間違いないが、僕にとってはやはり感情が揺れ動く時こそがサッカーの楽しさを感じられる瞬間である。
実際に自分の体を使ってサッカーというゲームをプレーすることはないが、選手のために自らの全てを注ぎ込み、選手と同じレベルで試合での勝利を目指す、つまり選手とは違う立場でありながらサッカーというゲームに選手と同じレベルの熱量で参加するということ。
そういった意味で、自分はア式の”プレイヤー”としてサッカーを全力で楽しんでいきたいと思う。
これまで自分はア式でフィジカルコーチをやっている理由を将来に直接繋がるからだと考えていたし、将来サッカー界で生きていくつもりのない自分以外の選手やスタッフは他にもたくさんやれることがある中でよくこんなことやってるよなと思っていた。
しかし、改めて考えてみると、自分は東大ア式での活動をしなかった場合、外部でのパーソナルトレーニングや記事の執筆などいくらでもできることはあるし、プロチームのフィジカルコーチとして働く選択肢を消しつつある自分にとって、東大ア式のフィジカルコーチが将来に直接繋がるという保証もない。そもそも将来のことなど何も分からない中で、将来に繋がることをやろうと考えること自体がナンセンスだ。
そう考えると、自分も他の選手やスタッフと同じく、よくこんなことやってるよなと思われる側の人間なのかもしれない。
ア式部員はなぜサッカーを続けているのかと聞かれると、口を揃えてただ楽しいからだと言う。
自分はその言葉をよく理解できていなかったが、よくよく考えると自分も全く同じ立場だ。
東大ア式の存在目的は、部員全員がサッカーの楽しさを享受することと設定されていたはず。
とにかくサッカーを楽しもう。
そして、最高の楽しさを享受するために全力で勝ちに行きましょう。
3年フィジカルコーチ 田所剛之
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