脱皮
共通テスト、2次試験という修羅場を二度も経験し、潜り抜けたのだからそこまでメンタルが弱いわけではない。
むしろ、夏と秋の冠模試でE判定を出しながらも東大に出願した自分はなかなかの強心臓であるとも言える。
しかし、殊サッカーにおいて、自分は臆病者であると思う。
そう思うようになったのはいつからだっただろうか。
始めた当初はボールを蹴るのが楽しかったし、日に日に上達していくことが嬉しかった。
試合でいいプレーをするのが気持ちよかった。
褒められるのが嬉しかった。
学年が上がるにつれて試合の規模も大きくなり、プレッシャーを感じるようになった。
サッカーなんてミスするのが当たり前だと今ならば思うが、当時の自分はミスすることをひどく恐れた。
練習を一ヶ月休んだり、試合前にトイレに籠ったりと、今思えば幼稚な手段で現実逃避していた。
もしこの文章を当時の監督が読んでいたら、この場を借りて謝罪したい。
弱腰が祟って、大事な試合でPKを外したこともあった。
このシーンがテレビで放送されて、ひどく恥ずかしい思いをした。
そんなこんなで試合恐怖症に陥っていた自分は、中学一年で一度サッカーをやめた。
当時はJ3だった地元のクラブチームの下部組織に一応所属していたが、J下部なんていう強くて当たり前のチームと何度も試合することは、恐怖以外のなにものでもないと感じてしまっていた。
高校に入ってもう一度サッカーを始めたが、時間が経っても試合前にひどく緊張する癖は続いた。
自分が高校3年のとき、コロナの影響で高総体がなくなり、代わりに代替試合が開催された。
自分がパスを受け、前線のパスコースを探し、一度CBにボールを返したところで試合終了のホイッスルがなった。
この時、結局何も変われなかったという後悔を感じた。
最後に出したパスは一度ゲームを組み立てるために選択した行為ではなく、相手のプレッシャーを感じて逃げたにすぎなかったからだ。
ここまで書いていて、なんでこいつは大学でもサッカーを続けているのかと、自分でも思ってきた。
多くの人は、プロになるわけでもないのに大学でも本気でサッカーをやっているのは不思議に思うかもしれない。
理由なんて探せばいくらでも見つかる。
ムキムキになりたいから。
(元)アフロの友達が入部したから。
サッカーというスポーツを通じて作られるコミュニティーの素晴らしさを知っているから。
ア式はプロモーション活動や広報活動など、部の外部へ向けた活動が充実しているから。
それでも、高校最後の試合で感じた後悔の念が自分を突き動かしたのだと思う。
あの時、結局何も変われなかったと感じたのを今でも覚えている。
上手くいかず、歯痒い思いをする毎日ではある。
それでも、純粋にサッカーを楽しめていると思う。
そして、少しでも変われたと思えるように、過去の自分から脱却できるように、今日もグラウンドへ向かう。
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