自省録
吉田恵梨(3年/スタッフ/高崎女子高校)
2月から半年弱留学に行っていた友達が、今週末には帰ってくる。
送り出した時は、だいぶ先まで会えないものだと思って、すごく寂しかった。最後に会ったのは、わかりやすく、渋谷のちらし寿司屋さんだった気がする。惜別のふりかけと手紙を渡して、異国の地での生活を励ました。
「その間わたしも色々頑張るからね。」と、そう言って、自分も奮い立ったのを覚えている。
嘘じゃなく、本当に頑張る気持ちでいっぱいだった。ちょうど期末試験が終わって、3年生になる頃だった。
頑張るべきことは沢山あったし、頑張りたいとも思っていた。
もしかしたら頑張っていたかもしれないし、自分でハードルを高くし過ぎたのかもしれない。でもやっぱり、何も残せてはいなかった。あんなに長かったはずの春休みも、何も思い出せない。4月から6月はハリケーンみたいに、びっくりする速度で過ぎていった。
光陰矢のごとし。歳月は人を待たず。本当にそう。
でも、この「頑張る」の基準は自分でもよくわかっていない。
自分なりに満足できればいいのか、結果が出ていればいいのか。なるべく他人によらない基準がいいけれど、自分だけではやっぱり甘くなるし、ある意味冷めてもいる。
頑張るものが勉強だったり、就活だったり、部活の業務だったりするから、それは曖昧になる。
勉強と就活はさておき。
マネージャー業務は、余計わからない。やりがいがないとかの話では無くて、思い切り頑張っている感はほとんどない。ボールを絶え間なく追いかけている時、タンクから水を素早く入れている時、マーカーの置き方を考えている時、ログを必死にとっている時。自分の中の「頑張る」とは、ちょっと違うんだよなあと思ってしまう。勿論忙しなくて、疲れて、大変だと思う時もあるけれど、やっぱりそういうことじゃない。
言語化すると余計にこんがらがってくる。ただ、私は最近、というかちょっと前から、グラウンド業務を頑張ろうとしている。ちょっと違う「頑張る」じゃなくて、自分の中では本当の意味で頑張ろうとしている。何が違うのかというと、多分気持ちの問題で、頑張ろうとしているから頑張っているんだと思う。
結局やっていることは前とさほど変わっていないかもしれないし、不十分なところも沢山あると思うけれど、なるべくよく見て、気づいて、動いて、頑張ろうと思っている。
いっそのこと、サッカーをやりたいとも思ってしまう。選手は、明らかに頑張っているように見える。本人たちからしたら当たり前なことかもしれないけれど、熱中していて、頑張ろうとしていることがあるのは、やっぱり羨ましい。モチベーションが揺らぐことだってあるのかもしれないけれど、私から見たらずっと頑張っている。
自分がスタッフだからそう思う部分もあると思うけれど、多分外から見てもその差は確実にあって。
でも逆に考えると、その分いちスタッフが頑張ること(頑張る姿勢を見せること)が組織に与える影響は、選手のそれよりも大きいんだと思う。
そう思うと、マネージャーとして頑張ることには割と意味があると思う。
私が「頑張るってなんだろう」とか、「マネージャーは結果に直接関われないよな」とか、そんなことを考えるよりも、
今日や明日のグラウンドで頑張る姿勢を見せることのほうが、結局意味があるんだと思う。
そうなるとまあ、頑張ろうとして頑張ることも、本当に業務に寄与できているかはさておき、間違ってはいないのかもしれない。
だとしたら、継続あるのみ。
頑張るためにここまで落とし込む必要があるのかというと、決してそんなことはない。feelingsの着地点がわからなくなった私が、教習所で学科の授業をぼーっと聞いている間に思いついたことなので、本当に気にしないでほしい。
ただ、そういう根本的な前向きさをもって取り組みたい、というのはしっかり示して、終わりたいと思う。
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